第26話:移民問題

 ドラゴン辺境伯領内での俺の評判は鰻登りだった。

 今の状況で辺境伯領内で評判だという事は、全人類で評判だという事だ。

 前世ではまったく考えられない快挙である。

 だが、元々小心で、領主の責任を重々承知している俺には、凄い重荷だ。

 全人類の命運がこの肩にずしりと圧し掛かった気がする。

 祖父も同じ重圧に苦しんでいるのだろうな。


「エドワーズ子爵カーツ様、マーシャル城の兵士28人と文官37人がこちらに寝返り、マーシャル城代の不正を証明することができました。

 辺境伯様にご報告され、断罪する事をお勧めいたします」


 ヴァイオレットが今日も処刑する人間を教えてくれる。

 穀物栽培に成功して2カ月、俺の名声は盤石になった。

 祖父と父も俺の提案や献策には全く反対しない。

 例えそれが権力を持った大臣や、大兵力を預かる将軍の処刑であろうともだ。

 まあ、もっとも、将軍を処断する時は、手足となる配下を寝返らせた後だ。

 俺にはとてもできない事だが、カチュアたちがやってくれる。


 最初は佞臣一派を皆殺しにするかと思っていたカチュアたちだが、生きていくために長い物には巻かれるしかない小者は、適当な罰で済ませる事にしたようだ。

 実際、軽い労役に住ませる事を条件に、多くの小者を寝返らせている。

 命懸けの兵卒から境界域の農民に身分を下げられた連中は、むしろ魔族と戦わずにすむことをよろこんでいた。

 それに耕作した穀物の4割を自分のモノにできる事に歓喜していた。


「分かった、討伐の兵はカチュアの配下を使うのか。

 それとも辺境伯家の兵士を使うのか」


 非常時にはマーシャル地区の領民全員を収容して護るための城、それがマーシャル城で、その地域の軍事政治を任されているのがマーシャル城代だ。

 配下の将兵や領民を味方につけて叛乱すれば、結構な規模の戦いになってしまうのだが、カチュアたちの事だから、すでに内部分裂をさせているのだろう。

 今回の寝返りで、損害を出さずに勝てると確信したのだろう。

 それにしても、辺境伯家は中枢部だけでなく地方まで腐っていたのだな。


「今回は辺境伯家の兵に任せましょう。

 こちらが指示した手順通りにできず、戦いになり多少の死傷者が出たとしても、それは辺境伯家の指揮官の責任です。

 我々にはもっと大切な事があります」


 ヴァイオレットが冷たく言い切る。

 確かに、辺境伯家の問題は当主である祖父や次期当主の父が解決すべき事だ。

 エドワーズ子爵となり、城と領民を預かる俺が優先すべきは、自分の城の統治と領民の生活を守る事だ。


「大切な事、か、移民問題はそんなに深刻なのか」


 だが、今問題になっているのは元々エドワーズ子爵の領民だった者の事ではない。

 俺の名声を慕って集まってきた者たちだ。

 普通に働けば十分な塩が手に入るだけでなく、月に数回とはいえ穀物が食べられると知った各地の貧民が、家族を連れて続々と集まってきたのだ。

 本来ならこんな状況になるはずがないのだ。

 辺境伯家でも貧民対策に公共事業を行っていたのだから。


 辺境伯家の公共事業で十分な塩と食料を与えていたはずなのだが、上は大臣から下は作業監視員までが、大切な塩と食料を横領していたのだ。

 しかも辺境伯家が決めていた労働量に倍する過酷な労働をさせていた。

 そんな事をさせていた大臣や役人は、すでに処刑されるか財産没収になっている。

 今では辺境伯家の規定に従った労働量と食料配布なのだが、1度失った信用はそう簡単に回復しない。


 以前は性根の腐った兵士が強制的に労働者を集めて、辺境伯家から横領する物資を少しでも多く確保しようとしていた。

 そんな過去もあって俺の献策が厳しく実行され、強制されなくなった辺境伯家の公共事業には誰も集まらななくなってしまい、それもまた貧民を飢えさせてしまった。

 それでも俺の名声が広まっていなければ、飢えに耐えかねた貧民が自然と辺境伯家の公共事業に集まっていたのだろう。

 だが現実には、俺の治めるエドワーズ子爵領に貧民が集まってきてしまった。


「はい、あまりにもエドワーズ子爵への期待が大きすぎました。

 少なくとも辺境伯家以上の待遇を用意しなければいけません。

 エドワーズ子爵の評判を落とさないためには、塩気のきいたスープと、月に1度は雑炊か麦粥を与えなければいけませんが、どうなされますか」


 またヴァイオレットが挑戦的な笑顔を向けてきた。

 だが以前とは違い、内心で期待しているような雰囲気がある。

 期待には応えたいのだが、俺の前世の知識には限りがあるのだ。

 なにより俺の精神力は豆腐でできている。

 ああ、胃が痛い、このままでは血便が出るぞ。


「方法がないわけではないが、多くの人々の協力が必要だ。

 特にカチュアたちには惜しみない協力をしてもらわなければいけなくなる。

 やってもらえるのかな」


「我々が死傷しない範囲であれば、協力させていただきます」


「やって欲しいのは、境界域の耕作地を守るための魔獣の血だ。

 今は収穫期だけ撒いて、普段は兵士や猟師が警備している。

 だが常時撒くだけの血が確保できれば、兵士や猟師を常駐させなくてすむ。

 マティルダ義姉さんに狩ってもらえば簡単なのだが、とても嫌な予感がするのだ。

 義姉さんの魔力は、魔族の侵攻に備えて蓄えておきたい」


「カーツ様の勘を無視するわけにはいきませんね。

 ヴァイオレット、魔獣を狩って血を集めてください。

 血が魔法薬の材料になるような、強大な魔獣を狩る必要はありません。

 耕作地を荒らす程度の獣や鳥を追い払えればいいのです」


 珍しくカチュアが長く話した。

 しかも俺のために話してくれたのだから、この場で踊りたいくらいうれしい。

 だが義姉さんや家族がいる前でそんな事はできない。

 表情に出す事もできない。

 今日だけは家族で情報を共有する事にした事を後悔した。


「承りました、その程度の魔獣なら直ぐに狩ることができます」


 ヴァイオレットが恭しくカチュアに答えている。

 その態度を見れば、ヴァイオレットの主君が俺ではなくカチュアである事が明らかで、俺にすら透けて見えるくらい固い絆の主従関係に、軽い嫉妬を覚えてしまう。


「ただ、我々だけではどうしてもできない事があります。

 その事はエドワーズ子爵も理解してくださっていますよね。

 その交渉には、いつ行ってくださるのですか」


 カチュアが俺の目を鋭く見ながら質問してくる。

 胃が痛くて逃げ出したいくらい苦手な事だが、ここはやるしかない。


「分かっている、カチュア。

 集まってきた難民に耕作地を与えるためには、エドワーズ子爵家に認められている領地以外の地域の支配権が必要になる。

 今までの献策は使者ですませてきたが、今回はさすがに会う必要があるな。

 境界域の耕作権を手に入れるために、辺境伯と交渉してくる」

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