第9話 等しく重き三者

「話だけきーてやる。案内しろや長船」

「はいはい。案内させていただきますよ」


というわけで。長船言継の説得により、この上もなく不本意ながら新羅辰馬は昇殿することになった。


 不愉快である。昨年正月以前までほとんど接点がなかったとは言え、実の姉を殺してこいと言われているのだから無理もない。いつもの事ながら辰馬が人と魔を分けて区切って考えることのできる人間ならここまで悩まなかったかも知れないが、辰馬にとって人も魔も、魔王だろうがひとしくおなじ「命」である。ゆえに殺す事への禁忌感は強い。ましてや肉親をや。


 辰馬は瑞穗と雫に左右を支えられ、先導する長船について柱天城の廊下を歩く。兵士や官吏の居住区、庶務室とは裏腹に、皇族の住まう禁裏の廊下には塵一つ落ちいておらず、窓にも埃一つついていない。掃除が行き届いていると言うよりむしろ城の主の偏執的気質がうかがい知れた。掃除が不完全だと清掃夫を打擲するという話も、あながち誇大な噂ではないらしい。


 すぐに殿前に通されるわけではなく、まず宰相執務室に通されて筆頭宰相・本田馨綋と面談。


「済まんな、坊主」


 精力的な老宰相は普段の活気をひそめ、辰馬に軽く頭を下げる。正式に遜って例を施したわけではないが、一国の宰相、その長がわずか18才、無位の一士官に頭を下げるのは前代未聞である。


「ホントにな。あんたあのデブにしっかり縄つけて操縦しとけよ」


 辰馬は宰相の謝罪に感慨もなく、むしろ当然とばかり昂然と言い放つ。その内容が皇帝批判に繋がることから、本田は眉をひそめた。


「……ここでは構わんが、そういう言葉は封印しておけ。殿上でそんなことを口にしたら最悪、首が飛ぶぞ」

「知るかよ。殺せるもんならやってみろ……どーせ、おれに価値があるうちは殺せねぇだろーが」


 確かに、価値があるうちは殺されない。実のところアカツキの大陸覇道において有用な将軍であるうちは辰馬はおおいにもてはやされるが、覇業がほぼ確定的な物となると狡兎死して走狗煮らるる、永安帝に裏切られて後方から攻められることになる。もっとも、その背信があればこそ辰馬は国を見限り、自分の国を興す決意をするのだが。


 さておき、それは今は余話。


「辰馬さま、ここは宰相を立ててください。お願いします」

「……あー、うん」

 晦日美咲に言われて、辰馬は負けん気の鋭鋒を引く。自分でも驚くぐらい気が昂ぶっていたことに、ようやくで気がついた。


「美咲ちゃんのいうことはきく~。あたしが言っても聞かないクセに~」

 雫が拗ねたように言い、瑞穗もこくこくと頷く。二人とも、辰馬の美咲優遇措置に思うところがあるらしい。辰馬としては別段に美咲を別枠扱いにしているつもりもないのだが。


「ヘンなことひがむな。単に尤もなこと言われたからってだけだろーが」

「だってさ~……」

「晦日さんには優しいですよね、辰馬さま……」

「おれは誰んでも優しーわ。邪推すんな」

「美咲ちゅわん、なんじゃのその目? 坊主に向ける目優しくない? どうせならその目、ワシに向けてくれんか?」

 辰馬が瑞穗と雫にすげなく応えると、こんどは宰相が美咲にすがりつく。辰馬は一応切れ者で知られる老宰相の後頭部を、ぺしんとはたいた。

「どーでもいいからさっさと行こーや。ことによったらアホ皇帝をしばき倒す」

「そういうことを言うな。シャレにならん。お前の叔母が本当にやったことだぞ、それは」

「へー、おばさんもなかなか気っぷの良いことやってんだな」

「19年前の事だがな。そのお陰で蓮純はいまだ、国の枢要に復すことを許されん。主上の怒りというのはそれほどに根深いのだ、努々気をつけよ」

「死ぬほどどーでもいーわ。単に恨み深いジジイってだけだろーが」

「その恨み深い老人に睨まれては、この国で生きてはおかれぬということだ。冗談や脅しで言っているわけではないぞ」

「はー……アホらし、なんのかんのでジジイの機嫌取りさせられんのか……」


 というわけで、謁見の間に。

 玉座の間ではない、謁見の間でも、辰馬の位と格を考えれば頑張ってやった方だろう。そういう透けて見える高慢に辰馬は敏感であって、不快感を覚える。脳髄に火がついて頭蓋の中が包み焼きにされるような、強い熱感をともなう不快感。ひさしぶりに覚える心因性の嘔吐感に苛まれながら、しかし辰馬の心は萎えるどころか先鋭化され、攻撃性に特化される。気分はすこぶるに悪いが、気性はかっかしているという状態だ。


 そして皇帝・永安帝が辰馬の前に座す。床几に凭れてぐでーっとしながら、冕冠の簾も降ろさず、辰馬……というより辰馬の周囲に侍る少女たちの肢体を値踏みするようにじろじろと見る目つきはそろらの日雇い労働者のエロ親父と変わらず、少女たちはその粘着質な視線に嫌悪と不快感で震えた。辰馬もなぜかねっとりした視線でなめ回され、寒気に震えた。


「新羅辰馬、であるな」

「であるよ。気持ちわりー目で見んな、減る」

「ははは、威勢の良い若者である……死にたいか?」

「死にたいわけねーだろーがばかたれ。下らんこと言ってんな、ボケ」

「まったく……本当にこのガキがあの聖女なのか? 本田?」

「は。間違いなく」

「ふむ。仕方あるまい、聖女ちゃんの勇姿に免じて、無礼を許す」

「気持ち悪りーこと言うな! 聖女ちゃんてお前、アレのファンか!?」

「悪いのか? この城の地下牢を吹き飛ばした際の修理費、ディナーショーで捻出しただろう」

「……それが?」

「ワシは最前列で見ておった」

「………………」


 どーにかしてくれこの変態、とこの上もなく強く思ったが、先に女装して人心を惑わせたのは辰馬の方でありお前も変態じゃないかと言われると非常に苦しい。その辰馬の弱みに乗ずるようにして、永安帝はニタリと嗤った。


「漸く、まともに会話の席に着く準備が出来たようだな」

「……あー、そーだな。さっさとしてくれ」

「用件は簡単。勇者として起て。勇者、新羅狼牙の息子が新代の勇者として起ったとあれば、我が国の臣民はそれだけで奮う」

「………………」

「そしてその上で、魔王討伐の師を率いよ。偽魔王クズノハを斃し、出来るならば生け捕って我が前に連れてこい」

「何考えてるか丸わかりのスケベ面だな……断る。あれは一応おれの姉貴でな。おれにとっては同胞だ。売れん」


 このセリフは辰馬の最大の失言であった。仮にも人間国家の元首相手に、自分は魔王の同胞と言ってしまったのだから「人間の敵」と見なされても文句は言えない。脇で後ろで控える瑞穗たちが、ひやひやと固唾を呑んだ。


 豪放に笑い飛ばす、などという好展開は用意されておらず、永安帝の眼光はあからさまに剣呑さを帯びる。不遜な少年を処刑する理由を得てそれを言葉にする数瞬前。辰馬の後ろ、美咲のとなりに控えていた宰相・本田が、滑り込むように辰馬と皇帝の間に入る。皇帝が一度口にした言葉は絶対で覆せない。ゆえに永安帝が口を開く前に機先を制す必要があった。


「ひとまず、勇者殿には魔軍6芒将の撃滅、これを委任するがよろしいかと!」

「……本田、差し出口だぞ?」

「僭言お許しください、なれど、この者無闇に殺すには惜しい傑物であれば……!」

「フン……よかろう。だが、条件だ。1月に1体、6芒将を倒して報告せよ。あと一つ。軍勢の支援はナシだ、独力のみでやってのけろ」

「6芒将がなんかってこと自体よく分からんが……勝手に話決めてくれんな。おれを殺したかったり救いたかったりお疲れさんだが、はっきり言っておれは他人に命の心配される人間じゃねーんだわ。むしろあんたらこそ、おれに殺される恐怖に震えとけ! こんなへんぴな国ひとつで、おれをどうこうできるとか思うなよ!」

「辰馬さま(たぁくん)、ちょっと静かに!」

瑞穗と雫が、力任せに辰馬を抑えつけ、口を塞ぐ。これ以上は本当に辰馬と新羅家が危ない。


そこに。

拍手と下駄の音。


 足音は近づき、そして襖を開ける。紫の水干をまとった、逞しき白髪長髯の老人の姿がそこにはあった。


「大将……」

「五十六さま……!?」


 長船と穣が、信じられないと言うかのように呆然と呟く。穣の洗脳催眠は解けても大神官神月五十六への敬愛の念は消えていないし、長船は好色な野心家としての手本である五十六にやはり敬意を持っておりそれは色あせていない。


 辰馬との一戦以来、また地下牢に閉じ込められたはずの五十六は、手かせもなく、足の鉄球も外し、呪符による封神結界も完全に打ち破り、悠々とやってきた。


「いや、なかなかの大言壮語ではないか。ただ為政者の駒で終わる役者かと思っていたが、どうして。主役たりうる器よ。我が大望……衣鉢を托すに足る」

「えっ、ええ、衛兵! なにをしている、脱走者だぞ!」


 永安帝の言葉に、隣室に潜んでいた衛兵たちが一斉と飛び出す。

「邪魔よ……が、今は機嫌が良いのでな、命だけは勘弁してやる」


 一歩踏み込み、掌を突き出す。撓められた、不可視の圧縮された空気の塊が、ドゥ! と兵士たちをなぎ払う。数十人のえり抜きの戦士たちが一瞬で壊滅であった。空間削撃の威力は鎧を引き裂き削って穿たれ、衝撃力は水袋を掌で強打したように全体に浸透して、数十人を全滅させる。


「さて、役不足の昏君よ」

「っひ!?」

「この英雄児に相応しい待遇を用意してやれ。貴様の如きが強制せずとも、この小僧は舞台に望まれる役割を自ずから演ずるであろうよ」

「……なんか、いーとこ持ってかれるなぁ……。確かに、魔族の跳梁は止めないとならんしな。伐つとか殺すとかは、おれが決めるとして」

「それでよい。誰も責任など負わせもせぬ。お前はお前の心が赴くままに振る舞うがいい」

「そーさせて貰う。つーわけで愚帝。外交官免状寄越してくれ。いちいち入出国に手間取るのめんどくさい」


 外交官免状というのは世界全国におけるフリーパスだ。外交官というのは常に最新の情報を大使館から本国に届ける役割を担う以上、あらゆる国家への出入り自由を認められる。ゆえに、公の国家、施設に対しての入出に関する交通証、免状の最たるものは外交官免状ということになる。


 辰馬の鋭気と烈気、そして五十六の威を前に、永安帝がどうこうできるはずもない。すぐに折れて宰相に免状を交付させた。


 こうして。新羅辰馬はひとまず、実の姉を殺すこと、魔族を滅ぼすことを強制されるはずのところ、すべては自由意志というかなりの譲歩を引き出すことに成功した。


「さて……ヴェスローディアまで記者で半月、か……」

「いえ、これを……」

 ハゲネ・グンヴォルドは言い置いて、懐からなにやら折りたたまれた布を取り出した。広げると6.6メートル四方の中に、金糸の魔方陣。多少の霊視力があればたやすく分かるほどに、強い魔力を放つ。


「魔軍が転移に使う大規模魔方陣を接収したものです。これで戻りましょう」

「……よし、そんじゃーシンタたちも集めて、往くか、ヴェスローディア!」

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