黒き翼の大天使~外篇・紅蓮の女帝

遠蛮長恨歌

第1話 終焉ののち

 神と魔が世界を支配する時代、その終わりを経て。

 今は人が人として在る最初の時代。


 その、世界最初の人類統治国家・赤竜帝国3代目皇帝。名をエーリカ・リスティ・ヴェスローディア・ザントライユ=新羅。


 かつてアカツキで美少女グラドル(のち一時期だけ正統派アイドル)として売った彼女も、すでに70才。老境を越えるも背筋はまっすぐに伸び、容色衰えたりとは言えなお美しさの残滓ざんしを宿す端正な顔立ちには叡智の輝きが強い。実際エーリカは女帝として帝国に多くの国益をもたらした。それは女性優位だった男女参政権の平等化、各地に「駅」を置くのは赤竜帝国以前からの制度だが、駅に「亭」という自由小都市を置いて貧者のために解放、衣・食・住を約束するなど福祉的に力を尽くした。農商工業の発展へ支援を惜しまなかったのもさることながら、エーリカの政策が初代・新羅辰馬と比して違う点を一つあげるなら水の重要性への着目。辰馬とて水が大事でありそれを帝国中に供給させる必要は感じていたし、2代目、新羅瑞穗は各地の駅亭から辺境各地へ水の配送サービスを行ったが、エーリカは徹底的な根本策として帝国全土に完全無比といえる水道整備工事を行い辺境の片田舎であろうと24時間常時綺麗な水が流れるようインフラを改革した。これに医療設備と制度を充実させることにより、帝国の疫病は7割方消滅したといわれるほどの大功であった。


辰馬が軍人上がりでありやや武断に傾く傾向があったところを瑞穗は文事へと舵取りしたが、エーリカはその方針を継承しつつも瑞穗の、4年間の甘すぎる統治が帝国に多くの叛乱の種を残したこともかんがみ、強力な藩屏はんぺいたる軍隊を復活させた。恭順するもの賛意を示すもの、社会的弱者に対しては手をさしのべるが、反面わずかでも敵対の意を見せた相手は有能な将軍たちを派遣して徹底的に叩いた。雫には辰馬の将器も瑞穗の兵略もなかったが、政治的にここを取るべし、ここを取られるわけにはいかないという、その部分を見抜くセンスは卓越していた。女帝のすぐれた才覚により、叛乱は次々に鎮圧された。


 そうして、彼女の苛烈さからついた渾名が「紅蓮の女帝」。「完全無欠の赤帝」新羅辰馬、「知謀百達の賢帝」神楽坂瑞穗に比べると、その言葉の裏には憎悪や嫌悪が含まれるのも間違いはない。公表してはいないとは言え彼女が神楽坂瑞穗(エーリカは瑞穗の死後、皇妃、女帝としての地位を剥奪、よって新羅の国姓も認めていない)を謀殺したのは確かであり、そのことは漏れてエーリカ打倒を掲げる憂国の士……エーリカから見れば現実を見ていない片腹痛いバカども……に格好の大義名分を与えている。よってエーリカは三大の皇帝中もっとも多大な政治的成果をあげ、帝国に大いなる国益をもたらしながらも、基本的に嫌われ者であった。


 べつにいいけど。


 今日も昼間での執務を終えて、エーリカは自室に下がる。赤竜帝国……というか新羅辰馬個人の意向で、朝廷は朝の4時に開いて昼には閉廷ということになっている。その8時間があれば辰馬、瑞穗、エーリカの3人の賢帝にとっては執務をこなすことは十分だった。昼からの時間、辰馬はしばしば微行おしのびで市井にくだり民衆と交遊して彼らの声を政治に反映、瑞穗は過去の兵法と自分の経験から次世代に残す兵法書を執筆して、夕方からは朝政の残りを総覧しつつ皇家揃っての歓談の時間だった。今、エーリカの周りに家族は、一人しかいないが。


 息子から用があるといわれていたことを思い出し、室内に声をかける。


「シェティ! シェティはいる!?」

「は。ここにおります、母上」


 男にしてはやや……かなりに甲高い声とともに現れたのは、銀髪の美丈夫だった。さらさらの銀髪を長く伸ばして横しばりにしているのは亡夫を想うエーリカの意向。顔立ちはかつての「赤帝」新羅辰馬にうり二つで、大きな赤紫の瞳、白くふっくらした頬、うっすらと朱の指した唇は紛れもなく新羅辰馬の血を継いでいることを確定づけるが、当然受け継ぐべき辰馬の鋭気やエーリカの烈気は受け継がれず、どうにも覇気のない、ぼんやりした雰囲気で、言ってしまえば気弱げな顔立ちであった。


 シェティ・ザントライユ=新羅、39才。

 まぎれもない新羅辰馬とエーリカ・リスティ・ヴェスローディア・ザントライユの息子であり、赤竜帝国ただ一人の皇位継承有資格者である。


 エーリカはシェティを見て……正確にはシェティの中にある辰馬の面影を認めて……表情を弛緩させた。


「よしよし、シェティは今日も可愛いねぇ」

「母上もいつもながらお美しいです」

「あら。珍しくお世辞?」

「世辞など。本心です……ただ、一つお願いがあるのですが……」


 シェティはやや言いづらそうに口ごもる。上機嫌のエーリカはだいたいにおいて一人息子である皇子の言葉を無碍むげにしないが、それでもこれを言うにはかなりの勇気を要した。


「サトラ・アカツキ(アカツキ地方)のサトラップ(地方官)、わたしに任せてはいただけないでしょうか?」


 ぴし、と。

 空気が凍る。エーリカの表情が、炎を覆い固めた氷のそれになる。ここは重ねて言い募るべきか、それとも撤回するべきか、シェティは迷い、その迷いがエーリカをイラつかせる。


「お前にあそこの経営が任せるものか、ばかたれ!」

「ば、ばか、たれ……?」


 思わず、亡夫の口癖が口をついたエーリカに、息子は怯えきった顔で何事かと目を白黒させる。はっとして気づいたエーリカは咳払いして、少し冷静に言い直す。


「ごほん。彼の地は難治必争(治めるに難く、戦争は避けられない)、シェティには荷が重いよ。これはお前の身を案じていっているのだからね、くれぐれも軽挙することのないように」

「……はい」


 明らかに納得していない顔で、シェティは頷く。


 息子に対して心苦しくはあるが、実のところエーリカはシェティの容姿以外での能力を評価していない。武人としての勇気も、政治家としての老練も、軍略家としての智慧も、君主としての徳も、すべて及第点には遠く、それ故にエーリカは「自分の命あるうちに帝国を完全なる盤石にしなくては」という焦りに囚われている。この感覚はかつてヒノミヤ事変の首謀者、故・神月五十六が孫の神威那琴のためにアカツキの実権を奪うべく奔走したのに似ている。五十六の場合は僚佐りょうさ・神楽坂相模への憧憬しょうけいと憎悪という動機があり、エーリカ・リスティ・ヴェスローディアには亡夫新羅辰馬への追慕があるわけだが。


 息子を下がらせた私室で、エーリカは一人ぼんやりと過去を想う。


「たつま……瑞穗、牢城センセ、大輔にシンタに出水……焔さんに厷さん……」


 辰馬はもうこの世にない。33年前、創世の竜女神・グロリア・ファル・イーリス打倒を果たして死んだ。もともと盈力という次元の違う力を身に宿すことで常に限界だった辰馬にとって、グロリア打倒を果たしたことで神力魔力が希薄化した世界に生きることは苦しすぎた。ついに自分の内包する盈力に焼かれて倒れたが、最後の一週間、瑞穗とエーリカの二人だけに看取られ、燃えるような高熱にも平然と耐えながらこの世を去った。


「グロリア《あのバカ》が消えて、もう一本の柱であるおれが残っちゃ不公平だからな。つーわけで、瑞穗、エーリカ……あとは任せた。これからの世界のことを、宜しく頼む……誰もが平和で、笑って暮らせる世の中を……それを、自分で見届けられないのはちょっと悔しーけど……まぁ、おまえらのこと、信じてるから大丈夫だろ……」


 それが遺言になった。享年37才。だからエーリカも、世界をよりよくするために奔走する。ときには残忍酷薄の誹りを受けても、最後には人びとの笑顔に繋がると信じて。


 その信念の残酷さと相容れなかった神楽坂瑞穗は、29年前、エーリカが殺した。あまりに性急さから縁遠い第一皇妃のやりかたでは何十年かけても世界の抜本的な立て直しなど不可能と判じて、会食に誘い、そこで食器に毒を塗って暗殺した。どうも瑞穗はこの謀を読んでいたらしく、あらかじめ残された遺言書にはエーリカを弁護し、エーリカを次の皇帝に推す言葉が並ぶ。長子・新羅獅廉8才も謀殺。しかし当時1才の次子・とらきはなにものかに連れ去られ、杳としてその後の消息不明。


 牢城雫……おそらくは新羅辰馬の愛情もっとも厚かったろう女性は、辰馬の病死よりさらに数年前、エーリカとその派閥が陥れて朝廷から逐った。「皇帝・新羅辰馬との間に子をなすことの出来ない牢城雫は、皇妃にふさわしくない」という理由をつけ圧力をかけると、妙に気遣いが出来て気の優しいところのあるあの半妖精の娘は自ら辰馬の前から立ち去り、以後40年近く、エーリカは一度としてその足取りを知らない。


 朝比奈大輔は現在、帝国元帥。まさかただの空手バカな一般人がこんな地位に、とは本人の言。奇をてらった派手な用兵には無縁ながら、とにかく詰め将棋のように堅実で正確な手を積み重ね、絶対に確実な勝利を得るタイプの得がたい元老である。兵站や兵士の健康管理といったあたりにも気を配る人物であり、そういう細やかな気配りを込みで考えれば大元帥に叙してもよいのだが大元帥は一代に一人、と辰馬が決めたので定員オーバー。細君は長尾早雪。


 出水秀規は辰馬死後一時野に下り、妖精・シエルと正式に結婚。作家稼業に邁進していたがエーリカの三顧の礼でふたたび廷臣に戻った。役職は帝国広報戦略担当大臣。若い頃から作家としてならしていただけに文章力があるというのもあったが、かてて加えて神社の息子という出自ゆえに朝廷の正式な奏文、神前に捧げる祭文などに関してもほぼ完璧。それを縦横の筆でものするのだから文官としては非常に頼りになる。


 シンタこと上杉慎太郎は帝国海軍大将。海軍欽差大臣梁田篤の直属として、八葉はちよう大陸アルティミシアの沿海を護る。彼の才能といえば間違いなく狙撃力だが、それは海軍の砲撃戦においても遺憾なく発揮された。辰馬が最後にアカツキと決着をつけ、赤竜帝国を開闢させた楠顛ぐすてん平野の戦い、あそこで竜騎兵(軽装銃騎兵)主体の新羅軍と歩兵および弓兵・烏銃(マスケット……とはいえこの時代になるとライフリングされたものが主になっている)主体のアカツキ兵の膠着を背後から艦隊で攻撃、旗艦から艦長みずからの砲撃を成功させて大いに戦勝に寄与した。功績から言えば元帥クラスなのだが、態度がいまだに学生気分というか、女帝エーリカに対して呼び捨てで「おい」とか「お前」とか言うので大将のまま。やはり今も独身。


 明染焔、この男は帝国に隠れもない唯一の大元帥。正兵奇兵問わずありとあらゆる状況あらゆる地形あらゆる兵力での戦闘に即応して最大の戦果を上げる名将など、エーリカの知る限り帝国のこの人物を置いて存在しない。大輔やシンタもそうだが、もともと冒険者であり傭兵であり、正規の軍人としての経験はない彼らが帝国最強の剣として活躍しているのは赤竜帝国の成立過程を考えるにつき興味深い。竜の巫女イナンナと結婚。


 かいな武人は近衛隊長として、エーリカの身辺警護長を務める。本来エーリカは腕利きであり、また同じ女性と言うことで晦日つごもり美咲にこの任を打診したのだが、美咲は辰馬が死ぬや帝国にはなんの未練もないとばかり主君・小日向ゆかと身をひいて個人的に主君であり愛した人でもある辰馬の菩提を弔う。その穴埋めとして抜擢された武人だが、隻腕でどうしてもバランス感覚が健常者に比べ劣るはずながら凄絶としかいいようのない剣技でしばしば、敵の多いエーリカを助ける。


 ほか、新羅辰馬、エーリカ・リスティ・ヴェスローディアにかかわった人間は多いが、主立った人びとの過去現在はこんなところ。エーリカがさらに思考を進めて過去に思い致そうとしたところに、侍女に伴われて廷臣の一人が駆け込んだ。


「た、大変です陛下! サトラ・アカツキで叛乱発生!」

「……そんなもの、いつも通りに対処しなさい」


 エーリカは不機嫌に対応するが、次の一言に雷霆の直撃のような衝撃を受ける。


「先帝陛下……新羅辰馬の次子を名乗る男、新羅乕とその参謀牢城雫、挙兵から4日で、叛軍はサトラ・アカツキを掌握してしまいました!」

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