7. 北の窓口

 マルクさんに髪をわしゃわしゃいじられている私の後ろから、まず最初に聞こえたのは、シューという風を切るような音だった。


 私の後方から飛来してくるものを見たマルクさんが驚いた表情を見せ、ヒラリと後ろに下がる。私の顔のすぐ横を通り、ついさっきまでマルクさんがいた空間を切り裂くようにして、一羽の真っ白い鳥のような生き物が滑空する。そこまで時間にして約一秒弱。一瞬の出来事だった。


 謎の飛翔体は目の前でマルクさんの鼻先を掠めた後、私たちの頭上を旋回し、やってきた方へと戻っていった。


「あっちゃー。北のお嬢は今日も大層お怒りみたいだ」


「その汚らわしい口で二度とお嬢などと呼ばないでください。女の敵め」


 マルクさんが困ったように鼻先をかきながら呟いた言葉に応えるように、凛々しい声が私の後方から聞こえる。慌てて振り返ると、雑踏の中から一人の女性がこちらに歩いてきていた。その姿に私は思わず息を飲む。


 腰までストレートに一つの淀みもなく伸ばした髪と、どこまでも深く青い瞳を持った凛とした顔は、どちらも大理石でできた彫刻のように整っていた。濃紺の地の所々に装飾の入った夜空を思わせるようなローブも、彼女自身の肌の白さをさらに際立たせていた。左腕には先程の飛翔体の正体だと思われる、白い鳩のオートマタが乗っている。


「アバノス星系の位置関係から"西に女難の相あり"と出ていたから、どうせまたあなたが不埒なことをしているのだろうとこちらに来てみれば案の定ですか。毎度毎度、恥を知りなさいこの下衆」


「おー怖い怖い。ベガ嬢は今日も勤務熱心なことだね。そんなに俺のこと睨んでたら、綺麗な顔に皺ができちゃうよ?」


「誰のせいだと思ってるんですか! いつもあなたはそうやって煙に巻いてはぐらかそうとして! 今日という今日はその腐った心根を……って、あら?」


 かなりヒートアップしてマルクさんに捲し立てていたベガさん? はそこでようやく私とジュノさんに気づいたようだった。フッと一息ついて、こちらに向き直る。


「失礼、少々取り乱しましたジュノさん。それと、あなたは?」


「この子はリエルちゃん。ジュノさんとこに来た新人さんだよ」


 あなたには聞いてない! とばかりにベガさんはキッと口を挟んできたマルクさんを睨む。マルクさんからはともかく、ベガさんから見たマルクさんは天敵の扱いのようだ。チラリとジュノさんに目線を移し、ジュノさんが軽く頷くのを見たベガさんがため息をつく。そして私の方に向き直った。


 深い青色の瞳がまっすぐにこちらを見つめてくる。なんだかこの人を構成する全ての造形が美しすぎて、同性なのに緊張してしまう。


「リエルさん、でよろしいでしょうか? 私、ベガ・ヒューメリクと申します。中央図書館校閲管理課を担当しております。肩に留まらせているのは、私の鳩型オートマタ、ファクトです」


 ベガさんはそこで深めに一礼した後、少しだけこちらに笑みを向けた。表情をちょっと変えるだけで、違う絵画の傑作が出来上がるようだった。なんだろう、世の中は不公平であると言う真理を、まざまざと神様から突きつけられた気分。


「ジュノさんの下の新人ということでしたら、きっと今後のお仕事で私と関わることも多いはず。どうぞなんなりと気軽にご相談ください。ああ、もちろんあの男の始末でも結構ですので」


 凄絶な笑みを浮かべながらマルクさんを横目にとんでもないことを言うベガさん。マルクさんの方は、視線も言葉も慣れたものと言うように軽々と受け流している。


「ベガ嬢はやっぱり俺に対して当たりキツくないかい? 全く身に覚えがないし、こんな美しさの集大成みたいな女の子に嫌われるのはすごく悲しいなあ」


「あら、下衆が何か言いましたか? 今度は確実にファクトに屠ってもらいたいと言うのであれば、やぶさかではありませんよ?」


 ベガさんの言葉に呼応するように、カチカチと鳩のオートマタ、ファクトが鉄の嘴を鳴らす。マルクさんは肩をすくめながら両手を上げて、降参の姿勢を示した。


 たぶんここまでがある種お決まりなのだろう。これまで終始笑顔でやりとりを見つめていたジュノさんが、まとめに入る。


「まあまあベガちゃん。マルク君とは同業でもあるんだから、仲良くね? それと、さっきベガちゃんも言った通り、これから二人とも、リエルちゃんのサポートは色々してもらうことになると思います。よろしく頼むわね?」


「あ、えっと。新人のリエル・クレールと申します。改めてこれからよろしくお願いいたします!」


 ここは私も挨拶しなければと思い、空気に飲まれないよう必死で声を出す。


「はい。こちらこそよろしくお願いします、リエルさん」


「よろしくリエルちゃん。今度この近くの美味しいお店紹介してあげるね」


 二人ともいい人ではあるのだけれど、とてもクセが強そうだ。どんなふうに仕事で関わるのかはまだわからなかったけど、この二人にこちらから話しかけられるくらいまで打ち解けるには、一体どれくらいかかるのだろう。


「まだ舌の根も乾かぬ内にナンパまがいのことを……。やはり新人に毒牙が回る前に、私が始末する必要がありそうですね」


「おっと、またそう言ってファクトをけしかけるのはやめようぜベガ嬢。あ、そうだリエルちゃん。なんなら今から一緒にご飯行くかい? 良いお酒を出す店を新しく発掘したんだよー」


 ……うん、まだまだ先になるような気がする。

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