竜騎士の願い

戦ノ白夜

Episode 1

 柔らかな緑に彩られた小径を駆ける一騎があった。

 頭上に昇った太陽が隠れ、俄に辺りは暗くなり、響いてくる遠雷が大気を震わせる。降り出そうとする雨から逃れようとするように、馬は疾駆した。

「……これはずぶ濡れ間違いなしか」

 迫り来るにび色の空を振り仰ぎ、嘆息する馬上の士──身に纏う白銀の甲冑と翻る青いマントは世に名高い蒼月騎士団のそれ、腰に長剣を吊るし、馬蹄の響きも高らかに駆けてゆく。

 この国に数多いる騎士のうちの一人であることは一目瞭然であった。が、彼の場合は一目で素姓が知れた。

 というのも、兜を被らずに露わにされた頭は、人間のものではなかったのである。

 岩のように角張った輪郭、湾曲した二本の角。頑丈そうな顎、そこから覗く牙、黒光りする鱗と、縦長の瞳孔を囲う青い瞳──人の目を惹き付けながらも、どこか直視を避けさせる、雄々しき神秘。

それは完全に竜頭であった。

「──グレーザー卿!」

 とある邸宅の前を駆け過ぎようとしたとき、彼は己の名を呼ぶ声を聞いた。馬を止め、声の降ってきた方向を見上げれば、窓から顔を出す知己の姿が見える。その邸の主人、エディンガー家のアーノルドであった。

「濡れますぞ。寄っていかれよ」

「……かたじけない。お邪魔させて頂こう」

そう答える、響き豊かな低い声が驟雨の中を通る。遠く彼方に鳴る時鐘のような、重々しいが穏やかな声は、逞しい彼に良く似合う。異相と相まって、不思議な貫禄を生んでいた。

 斯くして雨を逃れることとなった竜騎士──馬首を巡らし、門をくぐるその異形こそ、蒼月騎士団長、且つユノガンド領主グレーザーである。


「助かった。礼を言う」

 甲冑を脱ぎ、部屋着に着替え、グレーザーは応接間に通されてほっと息をついた。

「何の。……今日はまた、如何なさった?」

「いや……副官に休めと怒られて、仕事を取られた故、遠乗りに……」

 決まり悪そうに呟いて、アーノルドに笑われた彼である。

「休めと言われて遠乗りに行く上官とは。副官殿も大変だ」

 快活な壮年紳士はそうやっていつもグレーザーをからかった。

 ぴんと伸びた背筋、綺麗に撫でつけた銀髪、顔付きは柔和で、人柄は温厚且つ明朗。芯の通った印象を与えながらも、どことなく愛嬌を感じさせる。年こそ離れているものの、グレーザーとは少なからぬ親交があり、良い友人であった。

 エディンガー家は古くからの名門である。元は中央にいたが、何代か前の主人が都の喧騒を嫌い、閑静な辺境に移り住んだという。そこがカラデアという、海を背にした長閑な田園地帯であった。そして、グレーザーが武功によって昇進し、領主に封ぜられて得た領地が、カラデアの隣、ユノガンドなのだ。二人の交友は近所付き合いの発展とも言える。加えてアーノルドの息子たちはグレーザー麾下きかの騎士であった。

「倅はきちんとやっているかな」

「ああ、確実に腕を上げている。流石は卿の御子息だ」

「何、まだまだ子供だよ」

 アーノルドのまなじりが下がる。彼は数年前に妻を病で喪い、以来、一層子供たちのことを愛おしんでいるのだった。

 彼らの話題はエディンガー家の息子たちのことから、近頃の隣国の情勢、今年の天候と収穫、やがて日常の他愛ない笑い話へと移っていった。

 寡黙さで知られるグレーザーも、アーノルドの前では喋る。今日は愛馬ラクーに振り落とされたという話を縷々るるとして語った。

「──もう少し乗り手のことを考えてくれぬものかな。幾ら俺の甲冑が擦れて痛かったとは言え、何も振り落とさなくても良いだろうに……おかげで何日か関節を痛めた」

 肩を竦め、溜息をつく。笑い話と言っても、大概はグレーザーが神妙な顔で語る愚痴である。確かに当の本人にとっては嘆かわしい出来事であっても、他人からすると少々間の抜けた災難であった。戦場に出れば武神であろうとも、日頃は何故か不運の続く苦労人なのだ。

「人を乗せぬ暴れ馬だったそうじゃないか。乗れるだけ大したものだよ」

 笑ってグレーザーを慰めるのも、常にアーノルドであった。


「……止まないな」

 首を巡らし、窓の方を見る。雨が頻りに硝子を叩いている。雷鳴が近くなっており、暫く降り続きそうであった。かと言って、そこまで会話が長続きする訳でもない。あくまで口重の彼である。

「そういえば、グレーザー卿」

 次の話題に困ったらしい彼を慮ってか、黒雲を裂く稲妻に目をやりながら、ふとアーノルドは言った。

「娘が兄弟たちのことを案じているようなのだ。良ければ娘にも様子を話してやって欲しいのだが……」

 心做しかそう言う顔が曇っている。

「……ソフィア嬢、がか?」

 そうだ、娘がいたのだ、と記憶の糸を手繰った。アーノルド本人の口からも、噂でも幾度か聞いた覚えがある。

 歳の頃は十六ほど、大層美しいが、身体が弱く、生まれつき目が見えぬらしい。グレーザーは度々エディンガー家を訪れているが、知っているのは名のみで、未だ会ったことはなかった。

「実はあれも寂しがりでね。きっと喜ぶと思うのだ」

「……承った」

 女が苦手なグレーザーであった。気は進まなかったが、断る訳にもいかず承諾する。

「すまないな。……実は少々所用があるので、私はこれで失礼するが。ユリア、ご案内しなさい」

(癇癪持ちのお嬢様でないといいが……第一、俺などが行って大丈夫なのか)

 内心でそう呟きつつ、グレーザーは席を立った。


 使用人のユリアに案内され、グレーザーは離れの一室に来た。庭園に囲まれた、瀟洒しょうしゃな部屋である。

(やはり俺の姿は、殊に女性にょしょうの目には、奇異、か……)

 先程から前を歩くユリアの足取りはぎこちなく、肩が小刻みに震えている。決して彼の方を見ようとはしなかった。

(山を降りるべきではなかったのか)

 ──竜人は元来、人々が秘境と呼んだ高峰の頂に住んでいた。神秘的な言い伝えを持つ未踏の地に憧れを抱いた人間たちが彼らの住処に入り込んだとき、二つの種族の間に戦いが起こった。

 しかし、竜人たちに人間の生活を脅かすつもりはない。また人間も、単に人外境に足を踏み入れてみたかっただけであり、竜人たちと争うつもりはない。両者は間もなくして和平を結び、共存の道を選んだ。それ以来、故郷を出、人間の世の中で生計を立てる竜人も現れたのだ。

 今日、街に竜人の商人や傭兵の姿はちらほら見られる。が、何せ二種族の間に関わりが生まれてから、まだ日が浅い。確かに竜人は身体も大きく、外見からは荒々しく恐ろしげな印象を受けるのも半ば致し方ないことである。厭悪えんおと差別は消えておらず、彼らは未だ蔑みの対象であった。

 グレーザーも例外ではない。剛勇と統率力を買われ、誉ある蒼月騎士団を率いる立場となったが、尊敬の目ばかりが向けられる訳でもない。不器用だが将兵の心を掴むことには長けており、麾下の騎士たちからの信頼は厚く、王も彼を重用しているが、それが気に入らない者も多い。「蒼月騎士団は遂に化け物に誇りを奪われたのか。代々の団長に謝れ」と罵倒される始末である。

 街でも不便は多い。「あんたがいると客が寄らないから早く帰ってくれ」とすげなく追い返されることもある。通りを歩いていれば、貴婦人たちに「おお、いやだ。野蛮な怪物だわ」と聞こえよがしに嘲られ、男たちには「王様に気に入られてるからと言って、調子に乗りやがって」と喧嘩を吹っかけられる。地位も実力もあるだけに、余計に風当たりが強かった。皆が皆、アーノルドや部下たちのように彼を認めてくれている訳ではないのだ。化け物と誹られることに、少なからず心の傷と劣等感を抱えていたグレーザーである。

「お嬢様、起きていらっしゃいますか」

 ユリアの声で、意識が引き戻される。思わず息を潜めて返答を待った。

「……ええ。なんですか?」

 ややあって返ってきた声は、グレーザーの心にすっと溶けるように響いてきた。

(可憐な、声だ)

 静かで柔らかく、上品だが可愛らしい。澄んだ水のせせらぎのようだ。

「お客様です」

「……どちらさまですか?」

 普段、客は来ないのか、訝しむような声音で尋ねてくる。

「蒼月騎士団長の──」

「蒼月騎士団が一人、ユノガンドのエルダインと申す者だ」

 グレーザーの重々しい声が、女中の言葉を掻き消した。彼女は抗議しようとして思わずグレーザーを見上げたが、無言の圧力と、彼の瞳の空恐ろしさに屈して黙り込んだ。感情を映しにくく、どこか無機質な竜の目は、見る者に畏怖の念を起こさせるようである。

「お入りください」

 ユリアは身震いしながら扉を開け、グレーザーは足を踏み入れた。

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