第18話「Between 先生 To 妖怪」

 宮廷の奥、内裏と呼ばれる場所には選ばれた人間しか入れない。

 セツヤの時代でもそうだが、帝と気軽に会うことができる人間などいないのだ。

 夕暮れ時の御所に入ると、すぐに空気が違うのがわかる。

 頼光や綱、金時といった面々の表情にも緊張が見て取れた。

 一方で、大興奮と大感動ではしゃいでる少女が一人。


「おおー、凄いですっ! これが内裏……わたし今っ、歴史の中にいるんですね!」

「おいおい、カナミ。はしゃぐなって」

「はしゃげてしまいますよぉ、セツヤ君! だって、本でも御所の内側は全然書かれてないことが多いんです! 正直に言って、眼福です!」


 眼鏡の奥で瞳がキラキラしてて、それでお行儀だけはちゃんとしてカナミが浮かれている。その微笑ましい姿に、自然と誰もが頬を崩した。

 狐の面を被って居てるリネッタも、小さく喉を鳴らしている。

 厳かな雰囲気の中で、僅かに空気が弛緩する。

 だが、それもこの瞬間までのことだった。

 いよいよ帝との謁見かと思われたが、最後にまさかの難関が待ち構えていた。


「皆々様、御苦労様です。ここから先は武器をお預かりし……って、うん? どうしたんだい、少年。ふふ、ボクの顔になにかついてるかい?」


 セツヤは呆気に取られて絶句した。

 隣でカナミも硬直して震える手で指をさす。

 その先に、見るも可憐な女官が立っていた。

 顔についているどころではない、逆に狐の御面がないのが不自然なくらいである。そう、そこには事件の元凶に最も近いであろう人物が微笑んでいた。


「なっ……チギリ先生っ! どうしてここに!」


 思わず叫べば、セツヤは思ったよりも大きな声が出てしまった。

 それで周囲も騒がしくなるが、大人たちの視線を浴びてもセツヤの混乱は収まらない。

 すぐ側で「これこれ」と綱がとりなしてくれて、ようやく平常心を取り戻す。

 そして、咳ばらいを一つ挟んで頼光が前に歩み出た。


「剣を預けよう、玉藻殿。皆のものもな。それと、金時」

「おうっ! ああ、これか? いや、気に入っちまってよ。槍とかいうんだが、ああ、いいぜ。預けておくが、結構重いぜ?」


 チギリと全く同じ顔の美女が、静かに楚々と笑う。

 そして、男手が駆り出されて皆の武器が預かられた。

 その間もずっと、セツヤは瞬きを繰り返すばかりだ。隣でカナミも、何かを言いかけては口を噤む。それでも彼女は、意を決して恐る恐る小声で問いかけてくる。


「セツヤ君、あ、あれ……」

「ああ、間違いない……ありゃ、チギリ先生だ。どうしてここに? 俺たちを助けに来たとか……いや、それはないか」

「それより……今、玉藻と。もしや、あの伝説の……玉藻前」

「なんだぁ? その、玉藻とかってのは」

「そういえば、確かに年代の近い物語……で、でも、あれは作り話では」


 ――玉藻前。

 それは、平安時代に現れたという絶世の美女である。その妖艶なる美しさは帝を骨抜きにし、色香に迷った統治者の元で国は荒れたという。

 俗に言う傾国の美女だが、これは後の物語に語られた架空の創作である。

 そうだと現実では言われてきたからこそ、カナミは驚いているのだった。


「そう、玉藻前の正体は実は――じゃあつまり、チギリ先生は? では、やはり」

「お、おいおい、カナミ! しっかりしろ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

「す、すみません。ただ、繋がりました……リネッタさんを助けて安倍晴明をやらせた狐、それは恐らく……」


 そのリネッタだが、気軽に狐のお面を外して玉藻前に近付く。

 やはり顔見知りのようで、彼女はチギリにそっくりな協力者の存在を知っていたようだ。


「あら、安倍晴明……もとい、リネッタ、だったかな? あの二人がキミの探してた友人ってことだろうね。よかったじゃないか、会えたんだね」

「まあね、っていうか……ちょっとこう、説明するからこっち来て。頼光! お綱も金時も、少しいいわね? セツヤたちに話しておきたいことがあるの」


 リネッタは改めて、金髪と尖った耳を晒した。そして、自分が人間ではないことを明かす。一瞬だけ綱が「鬼でありましょうや?」と腰に手を伸ばしたが、既に宝刀髭切はそこにはない。

 そして、リネッタに敵意も害意もないことを知ると黙った。


「我もまた、セツヤやカナミと同じビトゥインダー……って言っても通じないわよね。ようするに異世界の人間よ。もとの場所に戻りたいけど、間違ってここに出ちゃったの」


 鬼火から出てきたと言われるセツヤとカナミも同じだ。

 そして多分、リッタたち鬼と呼ばれている者たちもそうだろう。

 それなのに、玉藻前はどぼけたような微笑を浮かべるばかりである。


「なんだか面白そうな話だね。えっと、ゲートだっけか? 前もリネッタから話は聞いている。ふむ……ボクにそっくりな巫女がそれを管理、守護している。実に興味深い」


 どうやら、玉藻前はチギリとは別人らしい。

 だが、あまりにも似ているし、カナミの尋常ではない動揺が気になる。

 しかし、どこか底知れぬ深い澱みを感じるのに、その奥に邪悪は感じられなかった。むしろ、こちらを面白そうに見詰めて細められた目には、優しさとぬくもりがある。

 それなのに、カナミの一言は不思議な印象を黒く赤く染めてゆく。


「セツヤ君……玉藻前の正体は、巨大な九尾の狐、妖狐です。帝に取り憑き、その生気を吸って……安倍晴明に正体を見破られるや、本性を現し帝の軍勢と戦いました」

「えっ、じゃあ悪者なのかよ!?」

「そ、それが、とくに悪事という悪事を働いた訳では……ただ、帝がメロメロになってしまったことは確かです。そして……屈強な武者たちに打ち取られた玉藻前は、殺生石という毒を振りまく岩に姿を変えたんです」

「すげえ悪者っぽいな。でも」


 改めて、セツヤは玉藻前を見やる。

 そして、自分の視線に震えて怯えた眼差しをカナミが重ねてくるので、その肩をぐっと抱き寄せた。カナミの方が背が高いので、思いっきり背伸びして抱きとめた。

 リネッタと話し込む玉藻前は、やはりとてもチギリに似ている。

 やっぱり、悪い人には見えない。

 セツヤの考え事が結論を捜して求める時間は、その時急に中断させられた。

 不意に悲鳴のような声が響き、奥から役人の男たちが血相を変えて駆け出してくる。


「頼光殿! 先程引き渡していただいた鬼が! 鬼がっ! 奪い返されました!」


 その声を追いかけるように、地鳴りが響いて振動に襲われる。

 平安京そのものが揺れ動くかのような、激しい烈震だった。

 源氏の武士たちは動じないどころか、すぐに係の者から武器を取り戻す。その時にはもう、カナミを支えようとして逆に押し倒されそうになっていたセツヤは……気付けば、駆け寄ったリネッタに抱き起こされていた。

 不気味な揺れはついには、耳障りな金属音を連れて空気を震わせる。


「リネッタさん、これは!」

「こんな文明レベルの時代に、ありえないでしょ! 我が思うに、これって――」


 瞬間、音を追い越し衝撃波が突き抜けた。

 華の宮廷が絶叫を張り上げるように軋んで揺れる。

 あっという間に屋根が崩落して、セツヤはカナミを引き連れ瓦礫の雪崩から逃げる羽目になった。リネッタの助けもあって、どうにか安全な場所へと転がり込む。なるべく大きな柱がある場所へと、誰もが必死だった。

 そんな中でも、臨戦態勢の侍たちのなかから金時の声が大きく轟く。


「何者だぁ! ここを帝の御所と知っての狼藉か! って、この気配はよぉ……こりゃもう、お前しかいないよな! 酒呑童子っ!」


 屋根が抜けて、埃と土煙が舞い上がる。

 煙たいスクリーンの中で、巨大な影がゆっくりと下りてきた。

 金色の瞳が二つ、ぼんやりと浮かび上がる。

 その巨体は、熱く排熱の烈風で周囲を薙ぎ払いながら吼えた。

 そう、獣の絶叫にも似た闘志の発散だった。

 酒呑童子と呼ばれた真っ赤なロボットは、以前見た茨木童子よりも一回りは大きい。そして、人の姿を象るシルエットも筋骨隆々とした無骨な厳つさを湛えていた。


「カナミッ! 俺から離れるなよ!」

「は、はいぃ! でも、こ、これはやっぱり」

「間違いない! やっぱり鬼って、この時代の外から来たロボットだ!」


 そう、間違いなく機械の駆動音だ。

 巨大なパーツ同士がこすれ合い、?み合って動く轟音。そして、オイルの灼けた臭い。どれも、本来の平安時代にはない存在感で襲ってくる。

 その尖った指が並ぶ手が、グイと地面に向かって大きく屈んで伸ばされた。

 その時、酒呑童子の中から男の声が響く。


「とにかく情報が欲しい! 中尉、つかまってろ! 一人捕虜を取って、すぐに戻る……となれば、悪いが御婦人! 我らが陣地に招待させていただくっ!」


 鬼の手が玉藻前を狙って伸びる。

 咄嗟にセツヤは、助けようとして身を押し出した。

 だが、首を横に振ってカナミが引き留めようとする。彼女にしては珍しく、袖を引っ張る両手に物凄い力が感じられた。

 それでもセツヤは、その手をそっと振り払うや猛ダッシュ。

 あっという間に、玉藻前の前に割り込んだ。


「逃げてください、チギリさん! じゃない、玉藻さんっ!」


 あの槍があればと思ったが、もしあっても無駄かもしれない。

 それでも、なにかできることを捜して必死で身を投げ出す。

 ふわりと抱擁を感じて、果実のような香りに包まれたのはそんな時だった。


「ふむ、鬼の招きに身を委ねてみるも一興、かな? 付き合え、少年!」


 なんと、玉藻前は逆にセツヤを抱き上げるや、鬼の手に飛び込んだ。

 金属とも材木ともつかぬ奇妙な感触で握られた、その瞬間……あっという間に空が広がる中へと飛びあがる。息が苦しくなるほどの高速移動で酒呑童子は飛んだ。

 そんな時、玉藻前は着物をはだけて胸もとから何かを取り出す。

 セツヤの顔に被せられたそれは、狐のお面。

 心なしか呼吸が楽になったような気がするが、視界が奪われセツヤは心細さに震えるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る