第2話「Between 子供 To 大人」

 秘密とは、苦しく狂おしい興奮だ。

 セツヤはそれを小さな頃から知っていた。

 小学校で掃除中に割ってしまった、石膏像せっこうぞう

 友達とみんなで拾ってきて、内緒で世話した捨て猫。

 言葉にできない後ろめたさと、それを隠す日々。

 秘密は一人では抱えきれないのに、友達と分かち合えば毎日楽しかった。

 それも今は、秘密のスケールが違う。


「ったく、どうしろってんだ。大人に相談するか? でも、母さんの反応がああだからな」


 昨夜、混乱しながらもセツヤは家に逃げ帰り、見たままを全て母親に話した。

 だが、取り合ってもらえなかった。

 あまり普段から、いい子にしてなかったのもあるだろう。

 でも、確かに自分でも荒唐無稽こうとうむけいな話だと思う。

 真夜中の学校で突然、満身創痍の騎士と出会った。彼は天狗てんぐの面を付けた巫女みこに導かれて、学校の中へと消えた。

 全て事実で、現実だ。

 しかし、大人に信じろという方が難しかったかもしれない。


「ま、黙ってろと言われたからもう喋らないけどさ。……でも、俺は本当に見たん、がっ! いってぇ!」


 突然、頭を出席簿で軽く叩かれた。

 言うほど痛くはないが、驚いたのでつい大げさな声がでた。

 そして、思い出す……今はホームルーム中で、小学校で言う『帰りの会』だ。

 初めての中学校生活を、丸一日セツヤは無為むいに過ごしてしまったのだ。

 ずっと、昨夜の怪奇現象のことばかり考えていた。


「こーら! 春日井カスガイ! お前、他の先生も言ってたぞ? ずっとぼんやりして、なにかあったか? ん?」


 担任の教師は、若い女だ。

 生真面目きまじめそうな人で、事実肩肘張かたひじはった馬鹿真面目ばかまじめな人物だと早くも思い知らされている。。

 なにせ、入学式の日の夜に『息子さんが教科書を全部忘れていきました、信じられないことです』と家に電話をしてくるような先生である。

 セツヤが言葉に詰まっていると、女教師は再度ポスポスと頭を撫でる。


「みんなもいいかな? もう、君たちは全員中学生だ。ここから先は、本格的に大人の社会に旅立つ準備期間になるんだ。勉強はして当然、部活動や委員会でも自分を成長に繋げられる」


 そんなこと、頼んだ覚えはない。

 けど、みんな神妙に教師を見詰めていた。

 ただ、クラスの大半がセツヤと同じ小学校の出身で、一部は元クラスメイトだ。そういう連中は普段のセツヤを知ってるので、ニヤニヤと笑みを浮かべている。


「初日を終えて少し疲れてるだろうけど、もう中学一年生なんだ。帰ったら予習と復習、しっかりね。じゃあ、今日はこの辺で」


 こうして、セツヤの一日が終わろうとしていた。

 いな、始まりである。

 退屈な学校が終わってからが、彼にとっての充実した一日なのだ。

 教師にうながされて、日直が声をあげる。


「起立、礼! 先生、さようなら!」


 セツヤは教壇きょうだんへ戻る教師の背中をにらんだ。

 そして、周囲のクラスメイトと一緒に定型句を唱和する。

 これで解放されて、いつもの放課後に悪ガキ様のお出ましだった。

 すでに脳裏には、今日という日のとびっきりな過ごし方が色とりどりに浮かんでいた。

 だが、周囲が帰り支度をする中、もう一度担任教師がやってくる。


「春日井君、ちょっとちょっと……大丈夫かしら?」

「な、なにがだよ、先生。えっと……何先生、だったっけ」

桜井サクライです! 桜井ショウコ! 春の春日井、桜の桜井、近くて似てるんだから覚えてよね」

「あ、はい。でも、大丈夫って?」

「他の先生からも今日、相談されたのよ。君ね、全然授業に身が入ってないって。……なにか悩み、あるのかしら?」


 ドキリとした。

 だが、話せない。話す気になれない。

 それで思わず、困らせてやるかくらいにしか思えなかった。


「実は、困ってんだよー! なあ、先生」

「あ、あら、なにかしら。先生でよければ――」

「クソ重い教科書を置いてったら、わざわざ電話してくんの。そりゃもー、面倒で面倒で」

「ッ、こらっ! 当たり前でしょ! 教科書がなきゃ、家で勉強できないじゃない!」

「今までしたことないって、そんなこと」

「なら、今日からしなさい! 中学生なんだから、もう子供じゃないんだから!」


 なんだか納得できずに、セツヤはくちびるとがらせる。

 勉強が大事なのは知ってるし、嫌でもわかる。

 ただ、同じくらいにセツヤの自由な時間も大切なのだ。


「そもそもさー、桜井先生。なんだって突然、中学に上がったら勉強漬けになるんだよ」

「あら、言ったでしょう? それが大人になるための準備なの。それにね、春日井君」

「それに?」

何故なぜ勉強しなければいけないのか、その訳を探すために勉強するのよ」

「なんだそりゃ」

「勉強の意味がわかってから勉強を始めるより、勉強しながらそれを探す方が効率的よ。大丈夫、先生たちもサポートするから。いいわね?」


 それだけ言うと、桜井ショウコ女史はカツカツと真新しい靴を鳴らしていってしまった。

 セツヤは面倒臭さ丸出しの声で「へーい」と返事するだけだった。

 そして、ショウコが出てゆくと勢いよく立ち上がる。


「おっしゃ、放課後だ! みんな、部活見学にでも行こうぜ!」


 昨夜のことを忘れるために、自分でも驚くほど浮かれて元気のいい声が出た。

 こんな時、小学校ではすぐに仲間たちが集まってきた。

 セツヤはリーダー的存在で、遊びの達人だった。

 だが、今日に限って周囲のリアクションは薄い。

 特に、同じ小学校から進学した、今も昔も同級生の子たちは淡泊だった。


「悪い、セツヤ。俺、今日から塾でさ。しかもこれ、土日もあんだぜ?」

「僕も、ごめん。習い事があるから」

「私は家を手伝わないと。もう中学生だし、遊んでばかりもね」


 以前までとはテンションがまるで違う。

 その理由を、はきはきと通りの良い女子の声が教えてくれた。


「ちょっと、セツヤ? ガキ大将気取りもそのへんにしときなって。もうあたしたち、中学生なんだよ?」


 振り向けば、ポニーテールの女子が腰に手を当てこちらをすがめていた。

 幼稚園から一緒の腐れ縁、幼馴染おさななじみ峯沢ミネザワキリカだ。

 ねめつける表情は凛々しく厳しいつもりらしいが、酷い童顔に華奢きゃしゃ矮躯わいくで、小学生だった先日までより小学生に見える。きっちり着こなした制服がまた、微妙にサイズが合ってなくて幼い印象を強くしていた。


「なんだよ、委員長。あいかわらず口うるさいのな」

「六年続けたクラス委員長も、終わったの! ま、次のロングホームルームの時間にこのクラスの委員長を決めるらしいから、またやることになると思うけど」

「へーへー、それで? 部活見学じゃなくてもいいんだよなあ。お、そうだ! 委員長だけでもどうだ? 二人でまた裏山に行こうぜ。春だし、面白い物が沢山――」


 その時だった。

 突然、キリカが顔を真っ赤にした。

 そして、今までにない反応で反発を返してくる。


「ばっかじゃないの! そ、そんな……いつまでもガキじゃないんだからね! あたしは、ピアノとバレエのレッスンがあるんだから」

「ピアノ? バレエ? そういうがらかよー! それよりさ、駄菓子屋だがしやにも寄って」

「うっさい、バカ! あたし、行くから! みんなだって、忙しいんだからね!」


 プイとそっぽを向いて、キリカは立ち去ろうとした。

 少しショックだ……いつもいつでも、大きな悪戯いたずらをする時はキリカが一緒だった。相棒とさえ思っていた。でも、それは一方的な思い込みだったのかもしれない。

 それに、どこかでセツヤは考えていた。

 キリカになら、今までの仲間たちになら、秘密を打ち明けられるのではと。

 昔、キリカが割ってしまった石膏像のことを秘密にした。

 キリカが見付けてきた捨て猫も、みんなで大人に黙って飼ったのだ。

 でも、それが随分と昔のように感じた。


「な、なあ、委員長! キリカ!」

「な、なによ……名前、覚えててくれたんだ。それで?」

「あー、えっと、なんだ、その」

「はっきり言いなさいよ! ……う、ううん、やっぱ言わないで。まだ準備が」

「お前さあ、って知ってるか?」


 足を止めて振り返ったキリカは、先ほどにも増して真っ赤だった。

 耳まで朱に染まって、彼女はその熱気と圧力を怒りに変えた。


「知らないわよ! バカ、バカバカッ! アンポンタン!」

「な、なんだよ、おい」

「みんなも、こんなのに付き合うことないよ? あたしたち、中学一年生なんだから。みんな忙しいし、やることあんだからさ!」


 それだけ言って、キリカは行ってしまった。

 他の友達も皆、バツが悪そうに挨拶して去っていった。

 理屈はわかるし、とがめはしない。昔から、遊び友達を拘束するような付き合いはしたことがなかった。ただ、キリカの異常な反応だけは理解不能だった。

 ともあれ、突然ひとりぼっちになってしまった。

 今まで仲間だった友達が、突然皆が一律に別人になってしまったような気分だった。

 そんなセツヤの背中を、か細い声が叩いた。


「あの、春日井セツヤ君、で合ってますか? えっと、わたし」


 振り向けば、ショートカットの少女が教室の隅に立っていた。丁度そこ、最後尾の窓際が彼女の席らしい。

 その女子は、途切れ途切れに要領悪く、しかし一生懸命に言葉を選んでくる。


「わたし、渡良瀬ワタラセカナミです。それで、そのぉ……さっき、アヴァロンって」

「お、おう。俺は春日井セツヤ、よろしくな! って、知ってるのか?」


 カナミは何度も大きくブンブンとうなずいた。3

 そして、ぽてぽてと小走りに駆けてくる。


「わたし、やっと学校に来れて、それで……みんな、新入生だから、知らない人ばかりで。でも……知って、ます。アヴァロンっていうのは」


 セツヤより少し背が高くて、前髪で目が半分隠れている。そして、あらわになってるもう片方の瞳がキラキラと輝いていた。

 これが、渡良瀬カナミとの出会いだった。

 そしてセツヤは、彼女の申し出で全く未経験な放課後へと踏み出すことになるのだった。

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