第9話 二階堂研究室での身体測定

 『京都大学理学系研究科霊長類研究所 コンゴ友愛祈念ボノボの森 キャンパス』という立派な看板が掲げられた建物に入った。

 受付で、穂香ほのか(大)が、三井ハイケミカルの身分証を提示しつつ、二階堂研究室への訪問申請をする。

 

「二階堂先生、妹さんの進路相談伺いの凪沙野穂香なぎさのほのかさんがいらっしゃいました。同行者は妹さん1名となります」

 そう二階堂先輩に連絡をしてくれた受付のおじさんにお礼をしつつ、わたし達は研究所内に入った。


 エレベーターを3階で降り、わたし達は二階堂研究室に続く廊下を歩く。

 

「イモウトよ、少し緊張しているかい?」

前を向いたまま、穂香ほのか(大)がわたしに尋ねてきた。


「もちろん、少しはね」

穂香ほのか(大)の背中に向けてわたしは答えたけれども、緊張しているのは、たぶん穂香ほのか(大)だ。


 わたしの記憶が正しければ、穂香ほのか(大)は、おそらくは二階堂先輩にほぼ現役トキメキ中。一方、脳内年齢で既に今の先輩の年齢を越え、彼氏なし歴も二十代も卒業済のわたしの方は、ずうっと枯れた心持ちである。


 コンコンっとドアをノックをした穂香ほのか(大)は、

「二階堂先輩、失礼します」

と、研究室に入っていった。


 ☆

 

 軽く挨拶をした後に、打ち合わせ用机でわたし達と向かい合った二階堂先輩は、穂香ほのか(大)とわたしとを交互に眺めた後に、

「本日は妹さんのことで相談があるということだったけれども」

と、穂香ほのか(大)を促した。


「はい、私の隣に座っているのは、私のイモウトのようなものなのですが。私は末っ子で妹はいないのです」


「ほう」

 二階堂先輩に視線で続きを促されるままに、穂香ほのか(大)は、少し詰まりつつも、穂香ほのか(大)目線でわたしとの出会いを話しはじめた。

 すなわち、マンションの自室の寝室に凪沙野なぎさのジャージで座っていたわたしが、所持していた黒色の身分証を差し出した馴れ初めのことを。

 

 穂香ほのか(大)が三井ハイケミカルのIDカードを差し出すのに合わせ、わたしは四葉蛋白質工業のIDを先輩に差し出した。2つのIDカードの名義は共に凪沙野穂香なぎさのほのか、会社住所も同一。わたしの脳内年齢を穂香ほのか(大)が知る決定打となったIDだ。

 

 両者を見比べた二階堂先輩は、

「三井ハイケミカルが四葉グループに入る、という近未来か」

とつぶやいた。


 穂香ほのか(大)に代わり、わたしが三井ハイケミカルが四葉蛋白質工業に吸収合併されてからの話を簡単にする。海外の商流は、変わらず物産に任されているので三井グループの影響下にあること、合併後に広報担当となったわたしは週に一度は大手町の物産ビルに通っててることなど。そして、この身体になる前のわたしが(穂香ほのか(大)の前で作った設定通りに)26歳であったことを話した。

 

「先輩にご指導いいだいて、せっかく研究職も目指せる立場にいたのに、残念ながら力足らずでした」

と、少しわざとらしいかなと思いつつもテヘペロポーズを作って、わたしは話を区切った。


 いくつか確認の質問をした後に、先輩は、

 「今の話により客観的なあかしが欲しいな・・・そうだな、2人の身体測定などをさせてもらおうか」

とわたし達を促した。


 別室の測定室に皆で向かう時、中身31歳のわたしは世慣れした口調を隠そうとはせずに、

「そうですね。ふたりとも『ナギサノホノカ』なのは紛らわしいでしょうから、見た目13歳くらいのわたしのことをとりあえず凪沙野なぎさの、24歳の彼女のことは、これまで通りに穂香ほのかと呼んでください。」

と、二階堂先輩に話した。


「わかった」

と二階堂先輩は、うなずいてくれた。


 ☆


「すまないが、まずはそれぞれの直近の体重を教えてくれ」

測定室に入った先輩のその質問に、穂香ほのか(大)は、

「実は私の部屋には、体重計がないんです」

と答えた。


 そう、わたし達は子供の頃から、身長の伸びには多大な関心があった。なにしろ、宝塚のスラリンとしたお姉さま方に憧れていたわけだから。とはいえ、18歳から身長の伸びが止まったことが明らかとなった、二十歳の頃には身長は諦めがつけられた。結果、身体測定そのものへの関心がなくなっていった。小柄痩せ型の母の遺伝子を受け継いであろう太りにくい体質だったので、会社の健康診断で測定されるわたしの体重は、社会人になってからの10年間、いつも45Kg以下だったわけだし。


「わかった。まぁ、いわゆる痩せ型の体重だろうということか。では、まずはは穂香ほのか君がここで測ってみてくれるかな。靴下は脱いでおくように」

と二階堂先輩。

 先輩も、わたし達が女性であっても体重を気にしていないことは理解したことだろう。併せて、身長は気にしていたことも。


 先に呼ばれた穂香ほのか(大)は、靴下を脱いで、身長体重測定器の方に歩いていく。説明を受け、穂香ほのか(大)は、右手と左手でそれぞれの脇にあるバーを握った。


 身長体重の他に体脂肪率とかいろいろと測定する計測機なとだと思われる。


 ハイテクそうな計測器がここにある経緯が気になった。

「この計測室は、もしかして普段はボノボ達の身体測定をするためのものなのでしょうか?」

と聞いたわたしに、先輩は

「研究所の設立経緯からしても当然そういうことだ。さぁ、次は、凪沙野なぎさの君だ」

とお答えになり、淡々と測定を促す。


 既に靴下を脱いでいたわたしは、「はい」と返事をしてちゃっちゃと歩き、体重身長などなど測定器の上に立った。

 

 測定を終えたわたしが靴下を履いていると、

「これはすごいな・・・2人のBMIが大きく相違している」

という先輩の声が聞こえてきた。


((何が?))と、わたし達が二階堂先輩の方を向くと、

「原因は凪沙野なぎさの君の方の体重が、9Kg重い、という、測定結果だ。体脂肪率は君の方が少ないのだが」

押仰おっしゃり、わたしの方を見た。


(はて?) わたしは、目を瞬いた。


「そちらに、もう1つ体重計があるので、乗ってみなさい」

と二階堂先輩は、普通らしい見た目の体重計を指さした。


「はぁ」

わたしは解せない思いと共に、普通らしい体重計に乗った。

表示された数値は、53.3Kg。わたしの人生初の50Kg越えだ。


「私も乗ってみようか?」

穂香ほのか(大)が少し心配そうに声をかけてきた。

数値は、44.3Kg。確かに、わたし達の間の差は、9Kgある、らしい。


 ☆


 先輩の研究室に戻り、わたし達は再び椅子に座って、先輩と向き合った。

 

「意外な測定結果ではある。凪沙野なぎさの君の体脂肪率の測定値は20%と標準的な人類の範疇である一方で、身長体重比はボノボなど類人猿の測定値に近しい値だ。一般にボノボたちの体脂肪率は、人類より低いのだが」


 そう言った二階堂先輩は、目を瞑って静止した。アゴのところに触れているのが掌ではなく拳であるならば、ほぼロダンは「考える人」のポーズである。

 

 この数日間、部屋に籠もっていることが多かったとはいえ、ここまでわたしの体重が増えることは、当然ない、だろう。

 脳内年齢31歳のわたし、身体が13歳っぽく若返っただけではなく、人類の範疇を越えた何かなのかもしれない。以前のわたしとの体重差の分の何かが体内に埋め込まれているのだろうか?

 わたしの脳内にハテナが広がっていく。


「とはいえ、凪沙野なぎさの君は、日常生活を送る上では差し障りはないのだろう。今まで話を聞いた限りでは。」

 いつの間にか、「考える人」を止めていた二階堂先輩がわたしに尋ねた。


 わたしは少し間をおいて考えてから、

「この身体になった直後、駅に向かっている時に、自転車をこぎにくく感じたくらいですかね。それもサドルの高さがあってないなと、水元公園で調整した後は自転車をこぐ違和感は、ないですけれども」

と答える。

 

「ふむ」

先輩は何やら黙考を再開なされたようだった。


 先ほど、穂香ほのか(大)の後ろについて自転車をこいでいた時も、わたしに特に違和感はなかった。その他、特に身体が重いなどと感じた記憶はない。ヨーガをしていた時も、バレエのターンや自衛隊体操をしていた時も、違和感はなかったね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る