第三章 星群の戦い

彼も馬の子

 栗毛の茶色い馬体、エクレール。稲妻のごとき瞬発力を駆使し、最終直線で一気にライバルをねじ伏せる競走馬。

 昨年、デネブ賞、アルタイルステークス、ベガ賞全てで一着を獲り、史上七頭目となる三冠を達成。さらに年末のペテルギウス記念でも古馬相手に打ち勝ち、その年の競馬の話題を総なめにした。史上最強の呼び声すら上がることのある素晴らしい馬だ。

 もしノーザンスカイが現役を続けられていたら、エクレールとの対戦が叶ったかもしれない。それはきっと、歴史的一戦となる夢の舞台となっただろう。

 そして年は移り、新しい時代が幕を開ける。

 今年の王者となるのはどの馬か。それはまだ、誰にもわからない。



 年が明け、シルバーライトは三歳になった。

 四月に行われる三歳限定SⅠのデネブ賞へ向け、調整を行っていく手筈となっていた。

 しかし。

 その日のシルバーライトの調教を終えたカズマのもとに、調教師のミズタニが近寄ってきた。

「どうだった?」

「うーん、どうもよくないですね。なんていうか、元気がない」

 昨年十二月に行われたSⅢドゥーベ杯のレース以来、シルバーライトは調子を落としていた。精彩を欠く走りばかりだ。

 病気や脚の故障なども疑われるほどだったが、検査の結果どこも異常は見当たらなかった。

「一度放牧したほうがいいか?」

 ミズタニがカズマに尋ねた。放牧とは、馬を競走馬厩舎から牧場へ移し、広い放牧地でゆっくり過ごさせることで身心ともにリフレッシュさせることを目的とする。

「うーん」

 カズマは煮え切らない態度のまま、その場で答えを出すことができなかった。シルバーライトの不調の原因がわからないのだ。

「今後のスケジュールはどうすべきか……」

 ミズタニがブツブツと独り言を始めた。



 ミドリは調教後のシルバーライトの体を洗い、馬房に戻してからご飯を用意した。

 普段ならすぐに餌に食いつく食いしん坊なシルバーライトだが、このところ食欲が落ちていた。そのせいでこの前のレース時より20kg近く体重を落としている。今も餌を気にする素振りはするが、なかなか口にしようとしない。

 ミドリはシルバーライトに近づいていき、馬の背中を何度も擦った。

 これまで元気がありすぎるせいでなにかと問題を起こしてきた馬だが、そんなシルバーライトの元気のない姿を見るのは問題を起こすことよりも心苦しかった。

 なんとかしてあげたい。なにか自分にできることはないだろうか。ミドリは必死に考える。

 その時、隣の馬房に住む鹿毛のクラシオンが調教から帰ってきた。厩務員に引かれてシルバーライトの馬房の前を通過する。クラシオンに気づいたシルバーライトが顔を上げた。

 デビュー以来なかなか勝ち星に恵まれなかったクラシオンだが、先日ついに未勝利戦で初勝利を上げた。それも二着に五馬身の差をつける圧倒的勝利だった。シルバーライトの友人は彼と対照的に調子を上げている。クラシオンはシルバーライトとの併せ馬でも先着することが多くなった。

 クラシオンは一度は自分の馬房に入ろうとしたが、シルバーライトのことが気になるのか、ミドリたちのいる隣の馬房に首を伸ばした。すると、いつもならすぐにクラシオンに近づいていくはずのシルバーライトが、顔を背けてクラシオンから距離を取った。ミドリは馬のその様子をじっと観察していた。

 ……もしかして、この馬は。

 ミドリの脳裏にある思考がよぎった。

 ミドリはドゥーベ杯レース直後のシルバーライトの様子を思い出した。自分を破った相手、黒い馬体のテンペスタをじっと睨みつけていた。

 もしかしてシルバーライトは、あの時の敗戦の悔しさをいまだに引きずっているのだろうか? クラシオンと目を合わせないのも、クラシオンが自分より速く走ることが悔しいから? そのせいでご飯も食べなくなるほど落ち込んでいる?

 その考えが浮かんだ時、ミドリの胸に湧いたのは、シルバーライトに対する愛しさだった。

 ミドリはシルバーライトの体の側面に自分の体を密着させた。もし相手が人間だったら、きっと正面から優しく抱きしめていた。

 暴れん坊でなかなか人の言うことを聞かない自分勝手な馬に見えるけど、実はこんな繊細な側面を持っているのだ。そのシルバーライトの弱い部分を知った時、ミドリはこの馬のことをより好きになった。

「大丈夫だよ、うん。私がちゃんと支えてあげるからね」

 その日以来、ミドリはシルバーライトと一緒にいる時間を増やし、体に触れながら勇気づけるように言葉をかけるようになった。その甲斐あって、シルバーライトは徐々に食欲も戻り、活力を取り戻していった。

 信頼の証か、ミドリが馬房の前に姿を見せるとシルバーライトは自分から彼女のほうに寄ってくるようになった。ミドリはそのことがとても嬉しかった。これまでずっと傍若無人だったシルバーライトがようやく心を開いてくれたような気がしたのだ。

 そして目に見えてシルバーライトの調子が上がってきたある日。

 ミドリはカズマに食事に誘われた。

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