悪者とお姫様-5

「よかった。リナちゃんなら、そう言ってくれると思ってたんだ」


 しかし幼馴染は、親を見つけた迷子の子のように微笑む。


「多分ね、努力すれば好きにはなれたんだよ。でも、それはできなかった。しなかった。……さすがに良心が働いたのかもね。私の人生にケイ君を付き合わせるのは申し訳ないって。それならそもそも結婚するなよって話なんだけど」


 はは、と自虐的な笑いをこぼすサヤちゃん。


 本当に嫌だったのだろう。サヤちゃんの気持ちも分からなくもない。それでも、これだけは言っておかなければならなかった。


「それで結婚っていう選択ができるのはすごいよ」


「そう? 自己中でしょ?」


「私は、逃げたから」


 例えそれが歪んだ抵抗だったとしても、サヤちゃんはしっかりと根を張ってみせた。そうだというのに、私はどうか。


 田舎が嫌い――そんな包括的な理由とともにこの地を離れた。それを逃走と呼ばずに何と言う。友人が、幼馴染が、必死に足掻いていたのに。


「ねえ、リナちゃん」


 だんまりを決め込んでしまった私を心配してか、サヤちゃんが不意に口を開く。


「覚えてるかな、ここで遊んだ時のこと」


 それは幼い私とサヤちゃんの間で流行した、ごっこ遊びだ。片方がお姫様となり、片方が悪者となり、敵に捕まるまでをシミュレートする。言うなれば演劇付きの鬼ごっこだ。


 懐かしい遊びを思い出すと同時に、背筋を名状しがたい寒気が走る。


「あのー……うん、ごめん」


「なんで謝るの」


 それは、川辺で見つけた漫画から得た知識だった。


 悪者に捕まったお姫様は服の中に手を入れられ、肌をまさぐられ、嫌と口にしながら頬を赤らめる。顔を真っ赤にするほど嫌がることをするだなんて、これこそが真の悪役だ――疑って止まなかった私は、意気揚々と幼馴染へと披露するのだった。


 性教育の「せ」の字も受けていかなった五歳頃のことである。


 あの一件で、私はサヤちゃんを汚してしまった。無知という免罪符を掲げても、決して許されることはない。許されてはならないのだ。


 あまり触れないで欲しい。視線を逸らして、それとなく話題を変えようとするが、サヤちゃんは揺るがない。淡々と、さながら台本を用意していたかのように続け、


「私がケイ君と結婚した理由、実はもう一つあってね」


 するりと、サヤちゃんの指が頬を滑った。


「女の子が好きなの」


 偽装結婚。少数派マイノリティを隠し、多数派マジョリティに擬態するための婚姻。同性愛者の間では決して異質ではない選択肢なのだという。


 思い当たる原因はたった一つであった。


「私の、せい……?」


「ううん、リナちゃんの。この気持ちはおかしくないんだって、そう気づけたから」


「ま、待ってよ! あの時は――だって五歳だよ? それなのにレズとか……そんなの分かる訳ないじゃん」


「確かにあの時点では気づかなかったよ。私がレズビアンだって認めたのは高校生の頃。ち丁度リナちゃんと会わなくなった辺りだね。女の子との行為でパッと思い出したのが、この東屋でやったごっこ遊びだった」


 その行為に何も嫌悪を抱かなかった。幼い記憶を「今」に置き換えても何ら違和感なく、それどころか絹糸のようにするりと受け入れられた――そうサヤちゃんは語った。


 ひどく優しい声色に、昔の無邪気さはない。しっとりと、私の胸に一つ一つ種を植えるように吐露する。


 男女間であれば少なからず漂う艶やかさは、虫の音にすっかり飲まれていた。


「『私のせい』なんて言わないで。この場所で、お股が知った温もりは、幸せのヒントになったんだから」


「……でも、だとしても」


 私にとっては黒歴史なのだ。ビール缶がら落ちた汗が、私のスウェットに染みを作る。それを慌てて擦っていると、ことりとサヤちゃんが缶を置いた。


「今度は私がしよっか」


「え?」


 そう言うや否や、サヤちゃんは私の上に跨ってくる。


 はらりと、サヤちゃんの肩から落ちた黒髪が私の視界を覆い尽くす。


 月明りを遮るサヤちゃんは、微かに輪郭が見える程度だったが、それでもどんな表情をしているか読み取れた。


「ねえ、覚えている? 悪者に捕まったお姫様がどうなるか」


 薄らと色づく唇を三日月型に歪めて、サヤちゃんは目を細める。


「いっぱい悪戯されて、んだよ。ぺろりって。教えてくれたでしょ、リナちゃん」


 黒いワンピースから伸びる白い手が、私の腕を、肩を撫でる。するすると肌を滑るそれがひどくくすぐったくて、ぶるりと身体を震わせた。


「だから、今日はリナちゃんがお姫様」


 じわじわと胸に掛けられた手に力がこもる。いくら服越しとはいえ、私の胸は鉄壁ではない。耐えられるはずがなく抗議の声を上げた。


「いた……っ、ばか、強すぎ! それでも同じ女なの!?」


「あっは、ごめん。リナちゃんコンパクトだから、手元が狂って」


「嫌味? てか、さすがに駄目だって、ね、サヤちゃん、やめよ?」


「慌てないで、ゆっくり息吸って……」


「サヤちゃん、足、震えてる。深呼吸が必要なのはそっちでしょ……」


 ばくばくと心臓が跳ねる。焦りゆえか普段よりも口が回る。


 サヤちゃんに女性経験があるかは分からない。偽装結婚だというから、男性経験の有無も怪しい。だが彼女が本気ということは分かった。そうでなければ震えを感ずるはずがない。


「そっ、そういうの、普通に性犯罪だと思うんですけど!」


 思わず声を上げると、私の胸を揉みしだく手が止まった。またしても沈黙が降りる。


 ひどく気まずい。だぼついたスウェットを膝で踏まれているから身動きが取れず、軽く肩を押して退くよう促す。


 サヤちゃんはじっと私の顔を眺めていたが、やがて気が済んだのかへらりと笑った。


「もー、リナちゃんってば。ちょっとは流されてもいいんじゃない?」


 そう軽口を叩くものの、サヤちゃんはどこかほっとした表情を見せていた。そう、感じたかった。


「一応私、彼氏いるし。サヤちゃんだって旦那さんいるでしょ。駄目だよ、こんなの。不倫になっちゃう」


「あは、不倫かぁ」


 何がおかしいのか、サヤちゃんは肩を揺らしている。


 先程までの艶やかな雰囲気は、すっかり霧散したように思えた。久し振りに会えたから、テンションが上がってしまっただけなのだ。そう納得してサヤちゃんの肩を押そうとすると、不意に温もりが落ちてきた。


 唇に残るビールの苦み。とろりとしたグロス。何をされたか理解した瞬間、カッと脳の奥が燃え上がった。


「なっ、な……!?」


「ごめんね、これだけは許して?」


「……本気になって馬鹿みたい」


 あれはただのお遊びなのに。私の肩に頭を乗せたサヤちゃんは、力なく笑うのだった。

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