六話 椎葉夕声
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交通情報センター金井さん、ありがとうございました。以上、この時間のトラフィックをお送りいたしました。
佐貫SKビルサテライトスタジオから生放送でお送りするラジオ竜ヶ崎『どらごんちゃんねるモーニング』。お相手はわたし
お便り、リクエストは番組サイト及び公式ツイッターで受付中でっす。メールアドレスは――
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ピクニックの翌日は九時近くになってようやく寝床から出た。
まだ元気、まだ遊べると帰りしなまで訴え続けていた子ダヌキたちは、昨日は車に乗った途端にスイッチを切ったように眠りに落ちてしまった。
寝落ちして重さの増した彼らをリビングのクッションまで運ぶのは、もちろん僕の仕事だった。
そのせいで今日は全身が筋肉痛に悲鳴をあげていた。
ラジオから流れる地元情報を聞きながら、少し遅い朝ご飯を準備する。
買い置きのウィンナーを低温で時間をかけてボイルして、その間に電気ケトルでインスタントの味噌汁に使うお湯を沸かす。
同時に使用するとブレーカーが落ちてしまうのでケトルが止まるまで待ってから、今度はレンジで冷凍ご飯をチンする。
「……」
サランラップに包まれた冷凍ご飯を手に取った時、またも夕声の顔が浮かんだ。
我が家での夕食のあとで炊飯器にご飯が余ると、いつも彼女がこうして一杯分に小分けして冷凍してくれるのだ。
この三ヶ月で、すでにそれは日常となっていた。
視線をあげて壁に目をやると、壁のフックには白い袖付きエプロンが吊されている。
男の僕には少し小さすぎる、Sサイズのエプロン。
「……やれやれだな」
いつものようにため息をついて、僕は首を振った。
やれやれ、この家には、あちこちにあのキツネ娘の気配が染みついている。
『椎葉さんは、夕声ちゃんが好きですか?』
昨日から何度も反芻している問いかけが、再び蘇る。
「……僕は、夕声が好きだ」
一人のリビングでそう呟いてみる。何気なく、言葉の響きを点検するみたいに。
特に感情は込めずに口にしたはずの言葉は、しかし発した瞬間から覿面に心を乱しはじめた。
口から出て耳に入り、鼓膜から染み入ってその奥にある脳髄を揺さぶった。
息が苦しくなった。心臓が、自分でもわかるほどに高鳴った。
『友達としてでも、それ以外の意味としてでも、どちらでもいいんです。椎葉さんは、夕声ちゃんが好きですか?』
昨日あの質問をするとき、水沼さんはそう付け足した。
【問い】栗林夕声は僕こと椎葉八郎太にとってどのような存在であるか?
【答え】
【補足】
【強調】しかしあくまでも友達である。
自分の中にある夕声への感情は、たとえどこまで膨らもうとも友情に過ぎないのだ。
僕は今までそう思ってきた。そう考えてきた。
そう信じてきた。
……いや、そう自分に言い聞かせようとしてきた。
でも、たとえばだ。
たとえばピクニックの前夜、我が家の台所でせっせとおにぎりを握っている夕声を見ながら、僕の心に去来した想いとはどのようなものだったか?
まずは、とにかく幸せだった。言語を逸した部分で、強烈な多幸感に痺れた。
そのあとで、きっとこの子は良い奥さんになるのだろうなと、そう思った。本邦の伝承に現れる狐嫁が揃いも揃って良妻賢母であるように、夕声も良き妻に、さらにやがては良き母になるのだろうなと。
そんなことを考えながら、制服の上に直接エプロンを着けた後ろ姿に、他のすべてを忘れて見惚れた。
そして最後に、夕声の求婚を受け入れてしまえば、そんな情景がかりそめではなく自分のものになるのだと気付いて、震えが走った。
手を伸ばせば手に入るのだと。手に入ってしまうのだと。
これだけじゃない。
たとえば夜、夕声が帰ったあとで……帰ってしまったあとで、泣きたいほど切なくなることがあった。
お互いに『おやすみ』と送ってメッセージアプリのやりとりを打ち切ったあとで、回線の向こう側に夕声の吐息を感じて、胸が苦しくなった。
電気を消した布団の中で夕声も僕のことを考えているのだろうかとそう思って、どうしていいかわからなくなった。
『友達としてでも、それ以外の意味としてでも、どちらでもいいんです』
今ならわかる。あのたった一言の付言は、僕に対して水沼さんが用意してくれた逃げ道だったのだろう。
だけど、もうダメだ。
逃げ道は僕が自分自身で塞いでしまった。
だから、これ以上の欺瞞など、これ以上の誤魔化しなど、もはや不可能だ。
認めよう、僕は夕声が好きだ。友達としてではなく。
僕は彼女に恋をしている。
「……やれやれ」
もう一度僕はため息をつく。
僕という男は、本当に、度しがたいほどにやれやれな奴だ。
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さぁ、いよいよ来月は龍ケ崎の夏の風物詩、八坂神社祇園祭ですね。
八坂神社というと全国的にはスサノオ神を祭る神社というイメージがありますが(あるそうなんですね、ユッキー不勉強でよく知らないのですが)、上町八坂神社の御祭神はというと、
そう、龍ケ崎ではご夫婦揃ってお祭りしてるんです! なんだか縁結びの神社としても御利益ありそうですね!
さて、そんな二柱の神様に見守られる八坂神社祇園祭はハイライトも二本立て。
指定無形文化財にも登録されている伝統芸能『
パレードの参加申込書は商工観光課窓口およびJR龍ケ崎市駅東口すぐ目の前の観光物産センターにて配布中、申し込み期限は七月五日――。
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ラジオ竜ヶ崎は今日も今日とて地元情報を伝えている。
「あれ、この神社って……」
パーソナリティの口にした神社の名前に、堂々巡りに陥りかけていた思考が引き戻された。
上町の八坂神社といえば、商店街にあるあの神社のことじゃないか。
水沼さんの働いている『まいん』から程近く、猫のたまり場になっている駐車場の隣の、あの。
「……あそこって、思ったよりすごい神社だったんだなぁ」
雑念を遠ざける目的もあって、意識的に声に出して呟く。
寂れた商店街の並びの中に鎮座まします、静かに神さびた神社。
龍ケ崎の一大夏祭りがあの神社の祭祀だったなんて、なんだか意外だ。
僕もあの神社には何度か足を運んでいる。
いずれも夕声絡みの用事で。
神社というか、神社の裏手にあるあの駐車場に。
「……」
最初にあの場所に足を運んだ日のことを思い出す。
ゴールデンウィークも過ぎた五月中旬、市役所からの帰り道のことだった。
はじめて乗ったコロッケ電車。
ノスタルジックな商店街。
それにネコのマサカドとの出会い。
浮かんでは消えるイメージのすべてが、なぜだかひどく切なかった。
『あんたの予想の中であたしと一緒にいた同級生って、女友達? それとも、男だった?』
彼女の愛する龍ケ崎名物りんごコロッケは、ハートの形をしていた。
ろくすっぽ箸を付けていない食事を放り出して、充電中のスマホに手を伸ばす。
『話があるんだ。学校が終わったら神社で会えないかな?』
そうメッセージを送って、ウインナーをかじる。
二袋で398円のトップブランド商品は、いつもほど美味しいと感じられなかった。
たぶん、物思いにふけっている内に冷めてしまっていたからだろう。
味気ない食事を続けていると、数分後に新規メッセージの通知音が鳴った。
『わかった。四時までには帰る』
いつもながら簡潔な夕声のメッセージに、僕もなにか返事を返そうとする。
しかし結局、適切な言葉を発見することはできなかった。
『うん』とか『よろしく』とかの文章未満の短い受け答えも、あるいは言葉ですらないスタンプでさえも、どうしても状況に適した返事であるとは思えなかったのだ。
もう一度ため息をついて、使ったまま出しっぱなしになっていたクッションの上にスマホを放る。
とにかく、保留にしていた答えを届けにいくときがきたのだ。
彼女が婚姻届を持ってきた夜から……
いや、タヌキ屋敷での事件のあとで彼女を送り届けた女化神社からの帰り道で、はじめて夕声が僕に求婚したときから。
あるいは、もっと前からずっと先送りにし続けてきた問題の、その
※
なにも手につかないまま午前中が終わり、なにも手につかないまま午後が流れた。
そうして、時計の針が三時を指すのを待ってから家を出た。
我が家から女化神社までは徒歩で十分ほど、途中に土浦竜ヶ崎バイパスという大きな道路があるのだけど、そこで信号に引っかかったとしても二十分はまずかからない。
夕声の指定した四時には早すぎるとわかってはいたものの、それでも、万が一にも彼女を待たせることはしたくなかった。
その
神社の境内には平日の月曜日特有の空気が流れているような気がした。
参拝者らしい参拝者の姿はなく、工具と脚立を手にした業者さんが目の前を通り過ぎた。
買い物帰りに立ち寄ったのだろう、自転車のカゴにスーパーのレジ袋を入れた奥さん二人が手水舎の前で談笑している姿も見て取れた。
夏めいてきた気候や七月のお祭りについて、それにご近所の誰それさんに持ち上がったおめでたい話など、井戸端会議の内容は一点の曇りもなく平和なものだった。
賽銭箱に小銭を投げて、祭殿に向かって二礼二拍手一礼し、そのあとで石灯籠のあたりまで下がってスマホを取り出した。
時刻は三時二十五分。
動画でも見ながら時間を潰そうとロックを解除した、数秒後だった。
「ハチ!」
待ち人の声が、少し遠くから僕を呼んだ。
「夕声……!」
僕も彼女の名前を呼んで駆け寄った。
「が、学校が終わってすぐ、自転車飛ばして帰ってきた」
目一杯に息を弾ませながら言って、彼女は膝に手をついた。
終礼は確か三時十分とか言ってたから、本当に全速力で飛ばして帰ってきたのだろう。
なんのために?
……バカか。そんなの、わかりきってるだろ。
「……ハ、ハチ!」
息を整えた夕声が、顔をあげて僕を見た。
もう一度、僕の名前を呼んだ。
彼女の目には、期待よりも不安のほうがずっと色濃かった。
今日、今から僕が答えを告げようとしていることを、この子は気付いているのだ。
いつもは彼女のほうが我が家を訪れるのに今日は僕から出向いた、その意味を察しているのだ。
察して、それでこんなにも不安げな、怯えたように不安げな顔をしている夕声が、苦しくなるほどに愛しかった。
君は自分がどれだけ魅力的な女の子なのか気付いていないのかと、その無自覚について説教してやりたくなった。
君みたいな子に告白されて受け入れない男なんて、いるわけがないだろうと。
そう言って彼女を抱きしめることが出来たなら、僕はそのまま死んだっていい。
「……ハチ」
もう一度、夕声が僕の名を呼ぶ。
三度目のそれは静かな音調を備えていて、明白に僕になにかを促していた。
ずっと待たせ続けていた答えを促していた。
だから、僕は言った。
「……君の
言ってしまった瞬間に心に浮かんだのは、このときも水沼さんの言葉だった。
――『椎葉夕声』って、とっても素敵な名前だと思いますよ。
あのとき、水沼さんはそう言ってくれた。
でも、いま僕の目の前にいる世界一素敵な女の子が『椎葉夕声』になることは、絶対に有り得ないのだ。
どのような意味合いにおいても。
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