ビギニング・ナイト

-3話 邂逅は突然に

 家路につく人々を運ぶ電車は、いつもよりゆっくり走っている。それは仕事疲れの乗客に負担をかけないためではなく、街を覆い隠そうとする降雪が原因だ。俺の住む町は薄く積もる事もあるが、ここまで降るのは珍しい。さらに年明け前という限定した時期に限れば、33年生きてきた中で一度もなかった気がする。


 やがて列車はホームに向けて減速を始め、車輪を滑らせつつも停車した。冷気とともに大粒の雪が車内に入り込み、入れ替わるようにしてホームに降りる。


 スーツの裾に新雪がまとわりつくほど積もったのなら遅延ですんで良かったと考えるべきだろう。今年の仕事納めに運休で帰宅できないなんて目も当てられない。


 帰宅難民になりたくなくて半ばむりやり退社したが、きりの良いところまで作業できなかったのは痛い。毎度ながら大型連休明けに作業効率が落ちる事を考えると、帰宅してから続きをやるべきか。


 それにしても寒さが身にしみる。マフラーを口元まで上げながら改札へ続く階段を上がり、そして下った。


 それほど衰えた自覚はないが、二十代の頃はここまで寒さに弱くなかった気がする。もう三十半ばになろうとしている俺は若くないんだろうな、と思いながら自動改札を通り抜けた。


 駅前のロータリーに出た人々は足跡を残して家路につき、夜の闇と降りしきる雪の中に消えていく。中には迎えに来た家族の車に乗り込む人もいた。早々と寒さから逃れられてうらやましいと思うが、家族がいない俺には無縁の話だ。


 誰も待っていない家に帰ろうとしたが、不審な女性が視界に入り足が止まる。その女はロータリーのバス停にあるベンチに腰を下ろし、うつむいたまま動かない。


 そこには雨よけがあったが降りすさぶ雪を防ぐには力不足だ。彼女の髪やコート、そしてこんな天候では異質にしか見えないパンプスに雪が付着している。異質なのは彼女だけではない。隣に少年も座っていた。


 少年は顔の前で手をこすり合わせる。白い息が広がり、息を吹きかけたのだとわかった。見ているだけで寒さが伝わってくる仕草だったが、俺が興味をひいたのは少年ではない。隣の女性だ。


 彼女の横顔には見覚えがある。古い記憶を手繰り寄せ、思い出した時には名前を呼んでいた。


田上たのうえか」

 

 高校の同級生だ。三年生の文化祭までは仲がよかったと言ってもいい。しかし、それ以降は言葉を交わす事もなく、卒業してからは顔すら合わせていない。


 本人である自信はなかったが、振り向いた彼女は旧友だと認めてくれる。


幸二こうじ? こんな日に遅くまで仕事とはご苦労ね」


 田上の言葉は旧交を温めるものではなく、雪のように冷たい。そんな態度をとられても仕方がないと思いつつ言葉を返す。


「田上こそ、こんな日にこんな所で何をしている」

「バス待ち以外に何があるのよ」

「この雪では運休になっていないとしても、いつ来るかわからないぞ」


 案内板の運行表に張り付いた雪を落とす。まだ走っている時間だったが、終バスは予想より早い。田舎町ならこんなものかもしれないが。


 向き直っても田上は目も合わせようともしない。代わりに隣の少年が俺を見上げている。その目は好奇心に満ちていた。


 ……いや、そうではない。彼は視線が交わった瞬間に顔を伏せて田上の袖をつまんだ。好奇心ではなく、不安のまなざしだったらしい。それにしても寒そうだ。しっかり着込んでいるとはいえ、むき出しの小さい手は赤くなっている。


 あまりにも悪い状況なので提案を持ちかけた。


「どこに行くつもりだ? 助けが必要なら送ってやる。少し待たせてもいいなら車を――」

「うるさいわね! 私なんか放っておいてよ! 他人に興味なんかないくせに! それとも偽善にでも目ざめた?」


 言葉をさえぎって出てきたのは罵倒。俺たちの過去を考えれば恨まれているのも当然だ。それだけに何も感じないが、怒鳴り声は少年におびえを植えつける。


 さらに追い打ちをかけるように雪と風が強まってきた。田上は翻弄される髪など気にもとめずに怒っているが、選べる状況ではないと教えてやった方がいいだろう。


「田上は良くても、その少年には厳しい環境だろう。どこでも乗せていってやる」

「……行くところなんてないわ」


 吐き捨てるように言ってはいるが、その言葉は消えてしまいそうなほどか細かった。よほど追いつめられているに違いない。


「わかった。ついてこい。少し歩くが、このまま留まるよりいいはずだ」

「いったいどこへ?」


 田上の物らしきトラベルケースを雪からすくいだして答えた。


「俺の家だ。当てがないなら一晩休んでいけばいい」


 田上の返事はない。この無言は拒否だろうか。しかし彼女は立ち上がった。パンプスと足首に雪がまとわりつこうが構わずに少年の手をとる。二人からついてくる意思が感じられたので降雪で白くなっている帰路に踏み出した。


 いつも以上に暗い田舎道を進みながら思う。田上は一度も少年を見ていない。母親というのは我が子を第一に考えると認識していたが、彼女は例外だろうか?


 早くに亡くした母はどうだったか、記憶をさかのぼりながら黙々と足を動かす。その古い思い出は鮮明とはいえず、踏んで消える新雪のように感じた。

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