僕の墓の前で幼馴染が手を合わせたら

「茜さんには、彼の声が聞こえませんか?」


 僕の墓の前で、目を瞑ったままの奏さんと茜さんが、会話を始める。


「……特に、何も聞こえないわよ?」

「そりゃそうですよ。だって彼はまだ何も喋ってないですもの」

「…………」


 一体なんていう会話だろうか。だったらその質問の仕方は間違ってるだろって、茜は一瞬だけ薄目を開いて奏さんの顔をちらっと確認したように思えた。だけどまたすぐに元の体勢に戻り、茜はもう一度しっかり目を閉じて、今度はより強く両手を合わせていた。


「彼に語りかけてあげてください。きっと彼も何を話すべきか困ってると思います」

「…………」


 僕は対応に困り果てていた。その意味では奏さんの言う通りでもあった。

 ただそれ以上に困惑しているのは間違いなく茜の方で、そもそも何を話そうかなんて決めていたとはとても思えない。いくらお墓の前とはいえ、自分の想いを伝えることはできるだろうけど、会話ができると信じて墓の前にやってくる人なんて、普通いないんじゃないだろうか。

 ただ、死んだ僕と生きている茜は、昨晩も茜もお風呂の中で会話をしていた。本当に他愛のない会話。『あんたのせいで安心してお風呂に入れないじゃない』とか、『どうやったら真奈海先輩の演技に近づけるんだろう?』とか。愚痴をひたすら聞かされたかと思ったら、女優としての仕事の相談まで持ち出され、毎日僕もわけわからないことになっている。茜が一方的に喋り、僕はただそれをひたすら聞いてあげるだけ。もちろん相槌とかもする。そんな状況がここ二週間ばかり続いていて、相変わらず茜はお風呂の中で恥ずかしそうにしているけど、特に僕の存在が迷惑というわけでもないようだ。


 そんな茜と、今更何を話せと……?


「……あのさ、透。あたしの声、ちゃんと聞こえてる?」

「ああ。聞こえてるよ」


 僕はお風呂で会話をする時と同じように、僕は声を返す。


「今ここにいる透はさ、昨日もあたしのお風呂を覗いていた透でいいんだよね?」

「それって本当に僕は、覗き魔扱いなんだな」

「だって実際にそうじゃない……」


 そもそもどういう意図の質問だったのだろう。まるで僕が二人いるかのような言い草だ。ただし目を閉じたままの茜はそれを確認すると、少し安心したかのような表情を浮かべていた。奏さんの方はというと瞑想しながらくすくす笑うばかりで、それはそれで僕も納得いかなかったけど。


「ほんと、毎日女子風呂を覗きにくる幽霊とか、サイテーよね」

「覗いているのは別に風呂だけじゃないはずなんだけどな……」

「だけどそれだって、一ミリもフォローになってなくない?」

「ああ。なってないな」


 どうやら茜にとっての僕は、本当にただの覗き魔のようだ。茜はやや緊張の声を張り上げ、奏さんは大声で笑うのを必死に堪えているかのよう。……ある意味、最悪だ。


「でもそしたらなんで死んでからもあたしの前に現れたの?」

「そんなの決まってるじゃんか。改めて聞くまでもないだろ?」

「ちゃんと言ってくれないとわからないよ〜……」


 やはり茜は駄々をこねるように、小さな子供のような声を溢す。


「いつまでも茜を守ってあげたいと思ってるから。そうに決まってるだろ」


 僕は躊躇なく、茜に答える。特に恥ずかしいとかそんな気持ちさえも起きなかった。自分では臭い台詞を溢しているとわかっていても、茜の質問に対する回答は、それ以上でもそれ以下でもなかったから。


「……………………はぁ」

「なんだよ?」


 茜は目を瞑ったまま、しばらくフラットな顔で無言を貫いていた。ようやく出てきたものが何かと言えば、それは深い溜息だったんだ。


「せめて告白の一言くらい期待してたのに、透が腰抜けで思わずため息出ちゃったよ」

「茜は一体幽霊に何を期待してるんだ!??」


 だからって心の奥から出てきた言葉がそれというのは果たしてどうなのだろう?


「いいじゃん別に。透の告白とかあたし一度も聞いたことなかったし」

「ああ。生涯一度もしたことないんだから聞いたことなくて当然だな」

「ケチ!」

「そもそも茜は幽霊に告白されて本当に嬉しいのか!?」

「だったらなんであたしの前に現れたのよ?」

「そこに話が戻るのか……」


 堂々巡り。それはさっきはっきりと答えたばかりだ。これは僕が本当に告白しないと、話が終わらないパターンだろうか。でもそんなのって、本当に茜は求めていたりするのだろうか。

 茜は目を瞑ったまま、ずっと手を合わせ続けていた。さっきよりもやや真剣な表情で、茜が待つ僕の言葉を聞き出そうとしている。そもそも茜は、僕のどういう言葉を待っているのだろう。僕が茜にできることはもう一つもないというのに。


「でもきっとこうして透をこの世に残してしまったのは、あたしのせいなんだよね?」

「……え?」


 だけど茜はますます僕の頭を混乱させる。


「本当はこれじゃいけないって、わかってるんだ。男子を女子風呂から撃退する方法、女子寮を怨霊の覗きから救う方法。それらを考えなきゃいけないのはわかってるはずなんだけど、あたしは元々、幽霊が苦手だからさ……」


 何気に恐ろしい文言が含まれていた気もするけど、聞かなかったことにしよう。


「……ううん。違うよ。そういうこと言いたいんじゃない」

「いや、今の勝手に言ってるの、僕じゃなくて茜だからな?」


 だけど茜はそんな僕の虚しい抵抗さえも無視してくる。


「あたしは透のことが好きだもん。大好きで仕方なかったんだもん!」


 無視した挙句、僕にその言葉を鋭いナイフのように突きつけてくるんだ。


「だけどあんたは死んじゃって……そんなのあたしが簡単に納得できるわけないじゃん!! 今あんたがあたしの前に現れてしまうのは、きっとあたしのせい。あんたはとっとと成仏しなくちゃいけないのに、そうしなきゃあんたは幸せに天国で暮らすことも、新しく生まれ変わってくることもできないのに、あたしはあんたの未来を全部奪ってしまってるの! 全部、あたしが、あたしが……」


 瞑られた大きな瞳の奥から、大粒の涙が溢れ落ちる。そういえば茜は昔から、泣き虫だったよな。普段はいつも強気で、そういうキャラクターじゃないくせに、僕の前ではこんな風に泣かせてばかりだ。僕の葬式の時だって泣いていなかったくせに、どうして僕が見ている前ではこうもあっさり泣くのだろう。それはそれで卑怯極まりない。


「茜……」

「な、何よ……?」


 茜は少しだけ泣き止んで……いや、やはり全然泣き止んでないけど。


「……やっぱし、馬鹿じゃないのか?」

「!?!??!?!?!!」

「だからそんな茜を守ってやりたいんだって、さっきから言ってるだろ」


 その顔は明らかに納得していない顔だったけど、残された最後の力を振り絞って、なんとか両手を合わせているようにも見えた。素直じゃないのも小さい頃と何も変わってない、僕もよく知る茜のままだ。


「わかったわよ……だったらもう少しだけ、女子風呂の覗きを許してあげる」

「やっぱし、あれって許可が必要なんだな?」

「当たり前でしょ!!!」


 茜が何か言葉を飲み込んだのがわかった。だけど互いにそれを確認することはない。


「そうだなぁ……。せめてあの花が満開に咲くまではここにいてよ」

「あの花って?」

「いやそれ、花の名前じゃなくて、花言葉の方だろ!!」


 だけど茜はくすっと笑うのみで、ついには花の名前までは教えてくれなかった。僕は花言葉なんて調べたことないから当然どの花のことなのかわからない。ただし、そういえばと思い返すと、前に奏さんもその花言葉を口にしていた記憶があった。確かチロルハイムの庭先にその茎が生えていて……。

 僕はちらっと奏さんの方を振り向く。するともうとっくに奏さんは立ち上がっていて、僕の顔色を確認すると、僕が聞きたかった質問をすぐに理解したようだった。


「そういえばチロルハイムの庭先に生えていたあの花は、もうとっくに枯れて跡形もなくなっちゃいましたよ?」

「なんだって!??!?」

「花の命なんて儚いものです。透さんはあの花が咲いてるところを見なかったのですか?」

「…………」


 そんなにあっさりと枯れるものとは考えもしなかった。せめて一ヶ月くらいは咲いているものだと思っていたのに。


「美しい、白い花でした。本当にあの花言葉がぴったりだと思いましたね」


 そういえば茜はその花が咲いているのを見たのだろうか。気がつくと茜も立ち上がっていて、ともすれば僕と奏さんの会話をどこまで聞いていたのかわからない。


 浜辺から届く風に白い顔を預けて、茜は黙ったまま風の行方を調べていたんだ。

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