第2話 出会いとペンギン。



 その出会いはたまたまで。

 立ち寄った本屋での出来事。


「あっ」


 待ちに待った大好きな作家さんの新刊の出る日だった。大人気のそれは、店頭ではどうやら最後の一冊だったようだ。

 手に取ろうとした時、伸びる別の手があって、つい、声が零れた。その手はびくりと一瞬固まると、ゆっくりと件の本を掴み、私に差し出してきた。


「どうぞ」


 私の視線は、本からその細長い腕を伝って、やっとその主の顔を見た。「ひゃっ」小さく叫び声が零れてしまうようなイケメンだった。ーーー簡単に言えば、超タイプだった。

 柔らかそうな髪。染めたと言うよりは、色素が薄い感じだ。優しい目元。整った鼻筋。線の細い顔立ち。薄い唇。柔らかい笑顔。キメの細かい白い肌。その肌に本屋の蛍光灯の光が反射して、私はつい、目を細める。


「僕も好きなんです」

「へぁっ?!」


 突然なんだ?!と声が出た。続いて、作家さんの名前を言われて、「ああ」と取り乱した心を落ち着ける。告白されたのかと思った。まさかね。

 失礼の無い程度に、まじまじと彼の顔を眺める。会話しているのだから、不自然ではないだろう。ラッキーだ。


「……私も好きなんです。今日も、楽しみにしてて」

「発売日ですもんね。これ、どうぞ」

「いえ!先に手に取られてたので。どうぞどうぞ!」


 差し出されていた本を受け取らず、胸の前で両手を振って「大丈夫です!」アピールをした。それに対してイケメンは、整った眉毛をハの字に下げて「生活圏に別の本屋があるので、ハシゴしてみるから大丈夫ですよ。是非どうぞ」と引き下がらない。それがあまりにも困り顔だったので、差し出されたその本を受け取らないと言うのは、それはそれで良心が痛んだ。


「………じゃあ。ありがとう、ございます」


 その言葉に甘える形で、本を受け取る。ぎゅっと大事に抱き締めた。

 それを見て、イケメンは朗らかに微笑む。ーーーなんていい人なんだろう。外見に続いて、内面の印象も良くて、また胸がドキドキと音を立てた。


「それじゃあ」


 踵を返して去っていこうとするイケメンを、「あっ、あのっ!」と私の上擦った声が引き留める。


「お礼っ!したいです!隣に喫茶店があるので、何か奢らせて下さいっ…!」

「え、そんな……」


 構いませんよ、と続くはずだったであろう言葉を、イケメンは飲み込んだ。「あの、その、お時間さえ…宜しければ…」と消え入りそうな私の声を大切に聞き取って、パッと人懐っこい顔で笑う。


「……いいんですか?じゃあ、喜んで」


 あっ、好き。

 そう思った。

 だってきっと、この人、私の心を汲み取って、そういう言葉選びをしてくれたから。顔だけじゃなくて、性格もイケメン確定だった。


 そんな出会い。


 その後に入った本屋に隣接する昔ながらの古びた喫茶店。読書好きなら、こういった雰囲気も好きだろうと言う偏見は、しかし当たりだったようで。カラン、と入り口に吊るしているベルが鳴って私達を店内に招き入れた。彼は、キョロキョロと辺りを見回した後、「良いですね」と溜息のように感嘆を溢した。

 こじんまりと薄暗い店内で、一人でアイスティーを飲みながら小説を読んでいる女性。年老いたおじいちゃん達がテーブルを囲んで談笑している。それぞれが、それぞれの時間を過ごしているのに、雰囲気を共有している。

 私も、その感じが好きだ。

 私達は入り口から近い、空いているテーブル席に腰掛ける。

 まるで何かの小説に出てきそうな、絵に描いたーーなんて言うと、矛盾しているような表現になってしまうけど、私はそんな言葉遊びが好きだーーこの喫茶店にしっくりと来る、背の低い、感じの良い白髪頭のおじいちゃんがこの店の店主。

 マスターはお冷を私と彼の前に置き、注文を取りに来た。笑い皺が多くて、その皺が深く刻まれているところが好きだ。この喫茶店の雰囲気そのものみたいな存在。ほっと落ち着く。この喫茶店もマスターも、忙しない日常を忘れさせてくれる、私の大切な異空間だった。

 そんなお気に入りの場所に、先程出会ったばかりのイケメンと二人で来ていると言う事実に、やはり心臓が落ち着かない。


「ホットコーヒーで」

「あ、じゃあ僕も同じものを」

「はい。ありがとうございます」


 マスターは一礼して、カウンターの向こうへゆっくりと消えていく。伝票を取らない事に初めて来た時は驚いたけれど、お会計の時にちゃんと覚えてくれているところがやっぱり好きだった。


「素敵ですね」

「へぁっ?!」

「この喫茶店。常連さんなんですか?」


 あっ、喫茶店の話……ですよね。またしても突然の言葉に、自意識過剰に反応してしまった自分を心の中で恥じた。


「たまに。仕事帰りとかに。疲れた時は、つい立ち寄っちゃいます」

「わかります。なんだか、非日常みたいでいいですね。僕もこれから、ちょっと疲れちゃった時は癒されに来ようかなぁ」

「是非」


 前のめりに言ってしまわないように注意して発した言葉は、それでも社交辞令のような響きを持っていなくて苦笑した。是非また会いたい、そんな欲にまみれていた。

 淹れたてのコーヒーが私達の前に置かれると、彼はすぐに砂糖とミルクを入れた。

 鼻腔を擽るコーヒーの香り。そこにちょっとだけ、ほろ苦いタバコの香りも混ざる。ーーー普段、タバコの臭いなんて嫌いなのに、この喫茶店の中だと味になるから不思議だ。長く分煙してこなかったらしい昔ながらの此処も、つい二年ほど前に時間帯によって分煙を導入した。平日の朝からランチタイム前までは、店内で喫煙できるらしい。

 コーヒーを一口飲む。香ばしい苦味、と表現するのが適切なのか。いつものブレンド。

 この味、この香りが全部、今日から今後は彼との思い出になるのかと思うと擽ったかった。


「コーヒーも美味しいですね」


 引き留めたわりに、私はあまり喋るのが得意ではない。集団より独りを好む。それなのに、会話をどうしようか、と悩んでしまう前の適切なタイミングで、いつも彼の方から言葉を発した。


「彼のどの小説が一番好きですか?」


 彼とは、先程購入した作家さんの事。そんな共通の話題から派生して、「他には誰のどんな作品を読むのか」とか、「休日の過ごし方」や「学生時代の思い出」まで。不思議と、こんなにイケメンの彼にも気後れせずに会話が弾んだ。


 あっという間に時間が過ぎ、店の客は私達二人だけになった。もう数分で閉店時間だ。お客様の満足を大切にしているこの店のマスターが「そろそろ…」なんて言いに来るわけがないので、私の方から「そろそろ閉店時間だ」と切り出した。


「ああ。気が付いたら、もうそんな時間なんですね」


 私が立ち上がるのと同じタイミングで席を立ち、レジへ向かう。


「お会計、まとめて下さい」


 彼がそう言って私より一歩前に出るので、「それは駄目だよ」と取り出された財布を手で抑えた。


「譲って貰った本に、コーヒーまで。奢って貰っちゃったら、私の面目が立たないでしょ」


 会話から、彼が大学生と知り、その歳が私の方が上と分かって、より親しみやすくなっていた。姉御肌を吹かせたい私に、彼は「じゃあ」とあっさり身を引いた。


「御馳走様でした」

「こちらこそ。楽しかった。ありがとう」


 私の方が結局、得をしちゃった。ーーーそれは言いかけて、飲み込んだ。

 素敵な出会いをしたな。これっきり…、と言うのが惜しくて、なかなか「それじゃあ」と口に出来ない。彼の方も、店の前で歩みを止め、別れの言葉を紡がずに立っている。


「……家、この近くですか?暗くなりそうですし、良ければ、近所まで送りますよ」


 また、心地いいくらいの沈黙の後、適切なタイミングで彼が切り出す。


「そ、そこまでは…!」

「そうですか?」

「電車の時間、あるでしょう?」


 沢山した会話の中から、彼が今日、この近くまで電車を乗り継いで散策に来ていたことを知っていた。この近くには歴史上人物の生家があり、古い町並みが残されている通りがあった。


「電車なんて、まだ何本でもありますよ」

「いやいや。田舎を舐めちゃいけないよ。一本逃したら、最低でも三十分は待たないといけないんだから」

「待つ時間も好きですけど…」


 彼は暮れ始めた空を少しだけ見つめて、「やっぱり、近所まで」と言った後に「もう少し、話していたいです」なんて言う。そんなことをこんなイケメンに言われてしまえば、もう断る為のどんな常套句も紡げない。勿論、本当は私だってまだ一緒に居たい。送って貰えるなんて、嬉しい。

 近所まで、と言っていたけど、結局アパートの前まで送って貰った。喫茶店から徒歩にして約十分程。ここから、駅まではまた道を戻ることになる。此処から徒歩二十分程。彼はその事実に、きっと後悔なんてしないんだろうけど、やっぱり少し申し訳無かった。


「あの……。電車、……きっと待つし、移動時間も長いだろうから。本、読んで。貸すから」


 通勤に使っている大きめのバッグに仕舞い込んだ先程の本を取り出し、差し出した。


「え、でも…」

「あっ、そうか…!そしたら、返しに来なきゃだよね……」


 じゃあ部屋から別のおすすめを取ってきてプレゼント…?やり過ぎかな?気を遣わせちゃう?

 そんな風に悩んでいる間に、彼はすっと差し出された本を受け取った。


「ありがとうございます。じゃあ、また、返しに来ますね」


 ふわりと笑う、その顔に。勘違いしそうになる。ひょっとして、彼も……?なんて、ご都合主義の妄想だろうけど、でも、そんな気にさせる。きっと彼の通常装備なのに、誤解しない女子は居なかっただろうなぁと内心苦笑した。


 その流れで連絡先を交換した。アイコンがペンギンだった。


「好きなの?ペンギン」


 そりゃあ、訊くでしょう。


 「歩き方がツボで」彼は、きっと連絡先を交換する度に口にしているのであろう回答を紡ぐ。


「僕、“幸せの青い鳥”って、ペンギンのことなんだと思います」

「へぇっ?」


 ついまた、変な声が出た。


「ペンギンって、青かったっけ?」

「そこですか?」

「『そこ』ってのは?」

「いえ。みんな、僕がそう言ったら、『青い鳥は空を飛ぶだろう』って言うから」

「ああ!」


 私達はなんだか可笑しくなって笑った。


「でも、ペンギンは空を飛ばない鳥だから、君はそう思ったんでしょう?」


 何気無く言ったその台詞に、彼が驚いたように目を丸めていたのが印象的だった。






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