二十七日目
僕らの団地から、国道とは反対方向に十分も歩くと、富士塚がある。そのかたわらには神社があり、子どもの頃はよく同級生が虫取りに行っていたのを覚えている。あと今はやらなくなっちゃったけど、ささやかなお祭りも開かれていた。
道には木漏れ日が降り注ぎ、幻の金貨を道に散りばめている。これが本当にお金だったらな、と俗すぎる考えが頭に浮かぶ。
反対側の道から、誰かがこっちへ向かって来る。
彼女だった。
「よお」
いつものラフな格好ではなく、襟や袖が少しひらひらとしたブラウスに足首が少し出ているベージュのパンツという、カジュアルだけれども主張が控えめなコーディネートをしていた。
「バイトもう終わったの?」
「ちげーよ、今日はパートの面接」
それから「いつまでも日雇いやってられねーからな」と付け加えた。
「そうか……。受かるといいね」
ミンミンゼミがけたたましく鳴いている。まるで命を燃やし尽くさんばかりの勢いだった。
「木陰だってのに、あっちーな……」
彼女がつぶやいた。まだ十一時前なのだが、気温は三十二度を超えていた。
木陰が終わると、駄菓子屋が目に入った。あそこも子どもの頃、母と寄っては買ってもらったものだった。残念ながらあのときのおばあちゃんはもういないけれど。
「あそこでラムネ買っていこうよ」
僕は駄菓子屋のおばちゃんにラムネ二本を頼んだ。すると冷蔵ショーケースから二本の瓶を取り出してくれて、僕はお金を支払った。
「この間のビールのお返しには、ちょっと足りないけれど」
そう言って僕は彼女にラムネを渡した。
「あー、ひゃっこくて気持ちいい」
ラムネは王冠タイプじゃなくて、捻ると自然にビー玉が動くプラスチックタイプだ。この開けるときのポン、って音がいいんだよね。
僕らはラムネを飲みながら、さっきとは反対側の木陰の道に入る。
「今日母親が退院するから、このまま病院行って来る」
彼女はそう言った。この道を五分もあるけば病院だ。
僕はその言葉を聞いて表情に陰を落とした。
「あんま心配すんな。この間より落ち着いているから大丈夫だって」
彼女は強がってそう言い「ごっそさんな」とラムネの瓶を僕に渡した。そして並木道の向こう側へと去っていった。
(彼女は本当にたくましく、現実と向き合い始めている……。だけど僕は……どうだ?)
僕らは昨日、流れでお互いの気持ちを確認した。事実上の告白だ。だが、僕に彼女を好きでいる資格などはない。
僕は彼女にまだ、大学院に進学することを打ち明けられていない。
このことを彼女に話して、市役所の職員になると嘘ついたことを謝るまで、僕は彼女を好きになる資格などない。
この数日で、僕の意志は固まった。
大学院に進学する。
もう、「やっぱり就職しようか」などと中途半端な気持ちに惑わされたりしない。それは彼女のためでも何でもなく、自信のなさを言い訳しているだけだ。
あの日、彼女は僕の「言葉」を信じてくれた。だから僕は今日まで「言葉」を紡ぎ、考え続けることができたのだ。僕は、「言葉」の世界に全力で打ち込むことで、彼女の信頼に応えたい。
僕の両手に握られたラムネの瓶からは、無数の結露がキラキラと光りながら地面に濃いシミを作っていた。
「嘘」がバレて、彼女と離れ離れになるまで――あと三日。
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