ただ君を救いたくて

桜居春香

プロローグ

 退魔師というものは難儀な存在だ。人々の平穏を保つ為に居なければいけない存在でありながら、怪異の実在を秘匿する為には退魔師もまた自らの存在を秘匿する必要がある。故に、一部の事情を知る人間以外には素性を明かすことも出来ず、表向きの顔を作りながら人間社会に紛れ込まねばならない。それはまるで、怪異と同じような生き方と言えるだろう。

金森かなもりさん、また傷が増えてない?」

「昨日もまた他校の生徒と喧嘩したって聞いたよ」

「あんまり噂すると私たちも目をつけられるんじゃあ……」

「なんで停学になったりしないんだろう」

「ほら、金森家って色々コネがあるらしいから、学校も強く言えないんだって」

 聞こえているよ、恩知らずども。

 右腕についた真新しい擦り傷を左手で撫で、私は窓の外へと目を向けた。教室の最前列、一番左側のこの席からは、中庭の様子がよく見える。時間帯によっては日の光が鬱陶しい場所でもあるが、他人を視界に入れず空を眺めていられるこの席は、私のお気に入りだった。

 そんなふうにボーッとしていると、いつの間にか教師が来ていたようで、一時限目の授業が始まろうとしていた。

「起立、礼、着席」

 号令に従って立ち上がり、座り直したら、再び窓の外へ目を向ける。教壇に立って黒板にチョークを走らせる若い男性教員は、そんな私の態度を注意する様子もなく、ただちらりと視線を向けて眉をひそめるだけだった。

 どいつもこいつも、臆病者と卑怯者ばかり。

「なんだ、朽縄くちなわはまた休みか。今日で何日目だ?」

 教師の言葉を聞き、私は自分の右隣、一週間以上使われていない空席を一瞥する。本来であれば、朽縄くちなわ凛音りんねという名の陰気で物静かな女生徒が座っているはずの席だ。

 まだ誰も、彼女の欠席を異常事態だとは感じていない。せいぜい、不登校か何かだと思っていることだろう。だが私は知っている。彼女がどこに居るのかも、どうして学校に姿を見せないのかも。

 事態の解決を急ぐ必要がありそうだ。もたもたしているうちに朽縄凛音の出席日数が足りなくなっても困る。しかし、何事にも準備は必要である。急げばどうにかなるというものでもないのがもどかしい。

 だけど、心配はない。彼女のことは必ず、私が救ってみせると誓ったのだから。

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