第三章 歩み編

第十二歩 綻び

 1


「つ、疲れた……」

 屋敷に続く路上にて。

 すっかり疲弊していた私は、つい思っていたことを吐露してしまった。

 まったく、里帰りしただけでどうしてこんなに疲れなければいけないのか。

 実家というのは普通、心が安らぐ場所のはずでは。

「はあー」

 里での事が思い返され、私は魂が抜けんばかりの大きな溜息を吐いた。


 ギルドで一人、神経衰弱に興じていたゆんゆんを捕まえ実家に戻ったのが一昨日の事。

 このタイミングで届いた手紙なのだ、てっきり私の誕生日祝いでもしてくれるのかと思いちょっと期待していたのだが。

 帰宅するや否や、母にはカズマとの進捗具合を根掘り葉掘り聞かれ、父は父で、号泣したりやけ酒を飲んだりと忙しく、こめっこは私が持って行ったホールケーキを一人でモリモリ食べていた。

 祝われるのは私のはずでは……。

 ま、まあいいのですが。

 そんな訳で、実家にいても心労が嵩張る一方だったので、予定を早々に切り上げアクセルにとんぼ返りしたのだ。


 ふう、漸く屋敷に辿り着いた。

 ここを離れてまだ数日しか経っていないのに、すごく懐かしい気がする。

「ただいま帰りましたよー!」

 普段よりも気持ち元気よく、私は扉を押し開けた。

 しかし、中から返事は返って来ない。

 ……誰もいないのだろうか。

 少し寂しく思いながらも、先に上がっていたちょむすけに続き扉を閉める。

 手始めに広間へと向かってみるが、ソファーの上にカズマの姿はない。

 この時間なら大抵、暖炉の前でボーっと寝そべっているはずなのだが。

 もしかしてまだ自室で寝ているのだろうか。

 今の時刻は正午を少し回ったぐらい。

 あの男ならば十分に考えられる。

「仕方ないですね、ちょっと起こしに行ってあげますか」

 やれやれと肩を竦めた私は荷物を部屋の隅に置きカズマの部屋へと向かった。

「カズマー、まだ寝ているのですか? 私が帰りましたよ」

 ノックをしてみるも反応がまるでない。

 と言うかこれ、人の気配すら感じないのだが。

「カズマー、いないのですか? 入りますよ」

 一言断ってから扉を開き中を覗いたが、ベッドに横たわるカズマの姿はなかった。

 カズマにしては珍しく、本当に屋敷を留守にしているようだ。

 それにしても……。

「随分と部屋がサッパリしましたね」

 ゴミも落ちていないし、布団もきちんと折り畳まれている。

 つい先日、久しぶりに覗いてみた父の工房が試作品で散らかっていたので、相対的にこの部屋が綺麗に感じるのだろうか。

 一抹の引っ掛かりは覚えたが、これ以上考えても仕方ない。

 もう一度ぐるっと部屋を見回してから、私は大広間へと戻った。

 机の脚を引掻いていたちょむすけを抱き上げ、椅子の背もたれに身体を預ける。

 するとちょむすけがゴロゴロと喉を鳴らす以外には、なんの音もしなくなってしまった。

「……見慣れた屋敷のはずなんですけどね」

 他に誰もいないだけでここまで変わる物なのか。

 なんだかこの世界には自分しかいないんじゃないかって気がしてきた。

 それにこうも周りが静かだと、無意識のうちにいろんなことを考えてしまい……。

「はあ」

「なーう?」

 為されるがままに頬を揉まれていたちょむすけが不思議そうに鳴いた。

 思い出されるのは、帰り際の母の言葉。


『次はカズマさんを連れて来るのよ。なんなら縛ってでもいいからね』


 目がかなり本気だったのは気になるが、余計なお世話だ。

 いくら親とは言え、娘の情事にいちいち首を突っ込まないで頂きたい。

 でも、その一言がずっと心の底に引っ掛かり耳から離れないのだ。

 遡ること数日前。

 届いた手紙を読んだ夜、私は覚悟を決めてカズマに頼んでみた。

 一緒に紅魔の里に来てくれないか、と。

 あの時は不安が一杯で。

 でも、やっぱり少しは期待もしてしまって。

 内心ドキドキしたまま返事を待っていたのだが、どうやらカズマは完全に機能が停止してしまったらしい。

 ハッと我に返ったと同時に手をジタバタ動かしあれこれと言い募り始めた。

 先走ってしまったと、瞬時に理解する。

 カズマがこういった時すごく及び腰になるのは重々知っていたのに、それでも持ち掛けたのだから完全に私のミスだ。

 予想はしていたとは言え、しかし受けたショックは想像以上に大きく。

 立ち去り際にちゃんと笑えた自信がない。

「っ! いけませんね。冷静沈着が売りの私がこんなに女々しくてどうするのですか。こんな所をゆんゆんに観られでもしたら笑われてしまいます」

 あれこれ考えるなど私らしくないではないか。

 大きく頭を振って、鬱屈とした気分を追い出す。

「そうです、こんな気分の時こそ爆裂魔法! カズマが帰って来たら早速連れて行ってもらいましょう!」

 そう考えるだけで自然と元気が湧いてくる。

 さっきまで悩んでいたことが嘘のように晴れていくのだから爆裂魔法は本当に偉大だ。

 今日は何処に打ちに行こうか、どうすればより崇高な一発が放てるだろうか。

 ちょむすけと戯れながらそんな事を嬉々として考えていたら。

「ふう、漸くこっちに戻ってこられた」

 いつもの黒いタイトスーツを着込んだダクネスが、若干の疲労を見せながらも久しぶりに帰ってきた。

「お帰りなさい、ダクネス。見合い話の処理お疲れ様です」

「ああ、めぐみん。ただいま。む、アクアとカズマはいないのか?」

「ええ、どうやらそうみたいです。私もさっきまで紅魔の里に戻っていたので、カズマがどこに行ったのか知らないのですよ。アクアはニホンですが」

 ニホンと聞きダクネスは苦笑を浮かべ、

「短い期間とは言え色々あったようだな。めぐみん、私がいない間の話を聞かせてくれないか? 紅茶で良ければご馳走するぞ」

「いいですね、二人でティータイムと洒落こみましょうか」

 そう言って、私はダクネスの手伝いをすべく席を立ちあがった。


「――菓子を求めてニホンへ旅立つとは、理由が何ともアクアらしいな。こうして気軽に異世界へ跳んでしまう辺り、アクアは本当に女神だったんだな」

「普段の行いを見ていたら絶対にそうは思えませんからね」

 光に包まれて消えるのを目の当たりにでもしなければ、恐らく誰も信じないだろう。

 いや、アクアの場合それすら宴会芸の一種と捉えられるかもしれない。

 そう考えると、アクアも中々に不憫だ。

「しかし、あの男は一体どこに行ったんだ。書置きもなく出掛けるとは相変わらず気分やな奴め、行き先ぐらいしっかり教えてくれればいいものを」

「まあいいじゃないですか、あれでカズマもしっかりしてる部分もありますから。それにカズマには一々連絡を寄越す義務もありませんしね」

「そ、それはそうなのだが……」

 不満そうにカップへ口をつけるダクネスに、

「何です、この私を差し置いてカズマの彼女気取りですか。あんまり束縛し過ぎると面倒臭い女認定されますよ」

「ブファッ!? けへ……けへ……! めめ、めぐみん、いきなり何を言うんだ⁉」

 紅茶を噴き出し慌てるダクネスに私は半眼になって。

「はしたないですよ、ララティーナ。それでも貴族のお嬢様ですかララティーナ。別に、数日カズマと離れただけで寂しさが募り、うじうじするあなたを可愛いなって思ってるだけですよ、ララティーナ」

「そう何度もララティーナと連呼しないでくれ!」

 涙目になって恨みがましく睨みつけてくるララティーナお嬢様。

「だが、めぐみんは心配ではないのか? あの落ち着きがなく、ちょっと言い寄られたぐらいでコロッと引っ掛かりそうな男が目の届かない場所にいて、不安にならないのか?」

 ふっ、愚問である。

 ここは一つ、勝者の余裕という物を見せ付けてあげましょう。

「当然です。多少の迷走はあるかもしれませんが、最後には私の隣に帰って来てくれると信じて疑ってませんから」

「お、お前、それはダメ男を好きな女の典型例ではないか。そんなだからカズマにちょろみん呼ばわりされるのだぞ」

「やめてください! 誰が広めてるのか、その名前が街でも定着しそうで怖いのです」

 頭のおかしいという称号だけでも不名誉なのに更にそんな名前で呼ばれたら、街中だろうと怒りに任せて魔法をぶっ放してしまうかもしれない。

「そうだめぐみん、訊いておきたいのだが」

 と、これが本題だと言わんばかりにダクネスが真面目な顔を浮かべた。

「クリスがどうしているか分かるか? 私がこの屋敷にいた時はちょくちょく顔を出していたが、その後どうなったのかをまだ聞いていなかったからな」

 まあ、そう来ますよね。

 同じ人を好きになっただけでもややこしいのに、二人は互いに親友同士なのだ。

 思う所の一つや二つあって然るべきだろう。

 だが……。

「紅魔の里に帰っている間は分かりませんが、私が知る限りダクネスが屋敷にいた時となにも変わっていません。不気味なぐらい大人しいですね」

 現状、クリスが私達の脅威になりうるような行為は全く見受けられない。

 以前ゆんゆんから、クリスが恋愛小説を読み漁り始めた旨を聞いてはいた。

 だが、それだけだ。

 他の情報は全く入って来ない。

 勿論、私としても妨害工作の一環でカズマの傍に極力張り付くようにはしていた。

 しかしそれにしたって、あまりにも積極性が無さすぎだ。

 私達に気を遣っているのか、はたまた彼女の真性なのか。

 真偽は不明だがいずれにせよ、あれだけの啖呵を切った人が選ぶ行動パターンとはとても思えない。

 意外と純情な面もあるのは知っているが、後発であるクリスに恥ずかしさを理由に積極性を欠ける余裕などないはずなのだ。

 それが分からないほど愚かではないだろう。

 となれば、なにか策でもあるのか。

 優秀な盗賊であるクリスの事だ、その可能性は大いに考えられる。

 だからこそ、あれ以来ずっと警戒を続けているのだが、本当にこれと言った動きは……。

 いや、ちょっと待て。

 何か違和感を覚える。

 これは何かとんでもないことを見逃している様な、そんな感じの…………。

「まさか!」

「どうしためぐみん、急に立ち上がって? ちょむすけが驚いているではないか」

 鳴き喚くちょむすけをダクネスが宥めているがそんな事はどうでもいい。

「ダクネス、今すぐ出掛ける準備をしますよ! 緊急事態です‼」

「出掛けるってどこに?」

 ええい、この一分一秒が惜しい時に。

「転送屋ですよ! そこがハズレならギルドか馬車の待合所です! さっきから違和感を覚えていたのですがその正体がやっと分かりました。カズマの部屋の異様な綺麗さです!」

「部屋が綺麗な事の何が問題なのだ? どちらかと言えば、カズマは普段から片付けはこまめにするタイプだと思うが」

 装備を身に付けながら、私は言葉を捲し立てる。

「それにしたって限度があります。実際に入ってもらえれば一目瞭然ですが、机の上や床は疎か、布団までぴっちりと綺麗に畳んで置かれていたのですよ! 机ぐらいなら日頃からやるかもしれませんが、ベッドがあるのに布団をきっちり畳むというのは中々やらない行動です。暫くあのベッドを使う予定がないという事の証拠ではないですか!」

 ガタッと椅子が引いたダクネスが中腰になり。

「そ、それにクリスは何気に幸運値がカズマ並みに高い。私達の間隙を突く機会が訪れるというのは十分あり得る! た、確かにこれはマズイな!」

 やられた。

 私達の前では大人しくして警戒心を緩めつつ、裏ではこんな大掛かりな計画を立てていたとは。

 恐らく、私達がいなくなるタイミングを伺い、一発逆転の機会を虎視眈々と狙っていたのだろう。

 流石は盗賊団のお頭、完全に裏をかかれた。

「ダクネスは転送屋をお願いします、私はギルドの方を当たりますので!」

「了解した!」

 こくりと頷き、私達が共同戦線を張って外に出ようとしたその時――


「アクアー、アクアはいるか⁉」


 扉を乱暴に開き、見慣れない服を着たカズマが血の気の引いた表情で屋敷に転がり込んで来た。

 更には今まさに話題に上がっていた人物の姿も。

 だが一点だけ、私の想定とは大きく異なっていた。

 頬が燃え上がらんばかりに赤く染まり、吐く息は非常に荒々しい。

 そんな、まるで重病患者を絵にかいたような容態のクリスが、カズマの背でぐったりしていたのだ。



 2


 カズマの部屋に運び込んだクリスをベッドの上に寝かしつけ。

 一応濡れタオルを額に乗せたり暖かい布団を被せたりしてはみるものの、クリスの苦し気な表情は何一つ変わらなかった。

「カズマ、そろそろ事態の説明をしてくれ。一体クリスの身に何が起こっているんだ?」

 一段落着いた所で、ダクネスがとても心配そうにクリスの顔を見下ろした。

 屋敷に戻るなりカズマの指示で感冒対策の看病用具一式を揃えていたので、まだ詳しい話を何一つ聞けていないのだ。

「俺にもよく分かんねえんだよ。初診ではマナジストロフィーとか言う病気だろうって言われたのに、いざ王都で治療を受けても全然効果が無くってさ。再診してみてもそれ以外に当てはまりそうな病状がなくて、原因が分からずじまいなんだよ」

 説明をする間にも、ベッドの隣に椅子を置いたカズマはヒールとフリーズを交互にかけ続けていた。

 気休めにもならないが、何もやらないでいることの方が辛いのだろう。

 マナジストロフィーは確か、本来身体に備わっている、魔力を蓄積する器が何らかの影響で機能不全となり、身体に力が入らなくなるという病だ。

 発病初期には免疫力が大幅に下がり、発熱を引き起こす事もあったはず。

 傍から見たらマナジストロフィーの症状に相違ないが、医者ではない私にはそれ以上の事は分からない。

 つまりクリスは今、誰も知らない未知の病に侵されているのだ。

 誰も知らない未知の……。

 …………。

 はっ、いけないいけない。

 一瞬格好いいなと思ってしまったが、クリスにしてみれば溜まった物じゃないしあまりにも不謹慎だ。

 とにかく、専門知識がない私達ではいくら問答しようと時間の無駄でしかない。

 何かもっと有益になる様な行動をしなければ。

「カズマ、クリスがこのような状態に陥った原因に心当たりはないのですか? 思い付く限り全部洗い出してみてください。もしかしたらお医者さんに話しそびれた事が有るかもしれません」

「めぐみんの言う通りだ。私達に出来る事と言えば、精々が原因の究明だろうからな」

 その言葉にカズマは物凄く気まずそうな顔を浮かべ、クリスからも、そして私達からも視線を逸らした。

「まあ、なんだ……。一昨日クリスがうちに来て、明日からどっか行かないかって誘いにきてさ。まあ俺も暇だったし、魔王討伐のお礼も兼ねてって事だったから、じゃあ一緒に行くかって流れになって。……で、昨日アンドールって島を一緒に観光したんだ。店回ったりスケートやったり、途中でアイリス達に会ったりしたな。ホテルで飯食った後にはクリスが、とっておきの場所に連れてってやるって言い出して……で、目的地で急に倒れたんだよ」

 なるほど、カズマが気まずそうにする訳だ。

 以前何かの雑誌でアンドールについて読んだ記憶がある。

 そこは美しい自然に満ち溢れており、アンケートでも上位にランクインした人気のデートスポットだったはずだ。

 クリス、やはり侮れない。

「色々言いたい事はあるがこの際それは置いておこう。それで、もう少し詳細に話せないのか? 今の話では原因が炙り出せないぞ。特に、倒れる直前に何か変わった事は?」

「そ、それは……」

 カズマはチラッと私に視線をやり、目が合ったかと思えば速攻で他所を向いた。

 これは絶対、身に覚えがある反応だ。

「なんです、思い当たる節があるのでしたら包み隠さず言って下さい。事は一刻を争うのでしょう? 大丈夫です、例え何があっても怒りませんから……今は」

「ひっ!」

 優しく語りかけたはずなのに、どうしてカズマは怯えて冷や汗をダラダラと流し出しているのだろう。

 不思議だ。

「ほら、早く言え! お前がこうして言い淀んでいる間にもクリスは苦しみ続けているのだぞ。言ってみろ! ほら、早く言ってみろ!」

「おおおい待て、ちょっと待てくれ落ち着け! 分かった話す、話すからそんなにぐいぐい来るな!」

 壁際まで追い込まれたカズマがやけくそになって絶叫したので、至近距離から顔をガン見していた私達は一歩だけ後ろに下がってやる。

 仁王立ちをするダクネスと私を前にしてビクビクしたままのカズマは恐る恐ると言ったように、顔色を赤や青にころころ変えて――

「だから……その……、俺はクリスと…………」


『ただまーっ! 皆のアイドル、アクア様が帰ったわよー!』


 どうしていつもこんなに間が悪いのですかアクア!

『あれ? おかしいわね、確かに気配は感じるんだけど。カズマー! めぐみーん! ダクネース! ただまー! お帰りを言って欲しいんですけど!』

 声の響き方からして、恐らくこちらに向かって来ているのだろう。

 ガバッと立ち上がったカズマは私達の間をすり抜け自室の扉をバンと開いた。

「アクア、待ってたぞ! ちょっと俺の部屋まで来てくれ、大至急だ!」

「こんなところにいたのね。と言うか何をそんなに慌ててるのよ? ははーん、しばらく私がいなくて寂しかったのね? まったくしょうがないわね、カズマは私がついていてあげなきゃ全然ダメなっちょ痛い痛い、そんな乱暴に引っ張らないでよ! いくら私と会えて嬉しいからってそう言う強引なアプローチは困るんですけど!」

 ぎゃいぎゃい言うアクアの腕を引っ張り戻ってきたカズマは、

「んな事どうでもいい、それよりクリスが大変なんだ! お前、一応は仮にも女神なんだろう? これ何とかしてやってくれよ!」

「一応でも仮でもなく歴とした女神です! あんたいい加減その辺りを訂正しないと本気の天罰を……って、クリス⁉ どうしたのよ、すっごい辛そうじゃない。カズマ、あんた何したのよ?」

「お、俺は何もしてな……い、と……思うけど……」

 なぜこんなに自信がないのか真剣に問い詰めたい。

「と、とにかく! 王城お抱えのすっごい世界を呪ってそうな医者に診せたんだが原因不明だって言われて治らなかったんだよ。お前、これ何とかできないか?」

「どの口で言ってるのかしら。まあいいわ。ちょっと待ってて、調べてみるから」

 冷めた視線を送るアクアだったが、事態の深刻さは感じ取ったのか、クリスの身体にペタペタと触り始めた。

 その様子を私達は黙って見守る。

「んー、ざっと診た感じ魔力を貯蔵する機能が低下してるみたいだけど、それならここまで酷いことには……あれ? ……えっ、ちょっ、これどういう事⁉ ま、待ってて、すぐ治してあげるからね!」

「お、おい、今どんな状況だよ⁉ 何が分かったんだ? お前の焦り様からしてかなりまずいんだろうけど」

「ちょっと黙ってて‼」

「おっ、おう」

 有無を言わさぬアクアの気迫に、思わずカズマが押し黙ってしまう。

 私もとても気になっているのだが、アクアがいつになく真剣なので暫くは静観を決め込むことに。

 皆の注目が集まる中、クリスの胸に手を翳したアクアは何かの詠唱を開始する。

 紅魔族である私も聞いたことが無い、不思議な節の詠唱だ。

 すると金色の光がクリスを包み込むように発生し、いつしかそれはビー玉ぐらいの大きさに収束していた。

 煌々とした金色の光はクリスの胸の上で浮遊していたかと思うと、そのまま体の中へと沈んでいき。

 次の瞬間、ぼわっとクリスの身体が輝いた。

 その輝きは徐々に勢いを失っていき。

 完全に消失した頃にはクリスの荒い息は少しだけ収まり顔色も和らいでいた。

「ふーっ、これで大丈夫よ」

 アクアが笑いながら告げるが、私達は何が起こっているのか全く理解していない。

「あの、アクア。一体なにをしていたのですか? クリスの顔色が良くなっているのを見る限り、治療か何かだったのでしょうが」

 困惑気味に尋ねる私に、

「この子、肉体と魂が離れかかってたのよ。あとちょっとでも治療が遅かったらもれなくアンデッドになってたでしょうね」

「マジかよ、そんなに危なかったのか⁉」

 私も驚きを隠し得ない。

 しんどそうだなとは思っていたが、まさかそこまで深刻だったとは。

 ダクネスも親友が未曽有のピンチだったと知り愕然としているようだ。

「でもおかしいわね。普通に生きてる限り肉体から魂が剥がれる事態なんて起こり得るはずないのだけれど。それに私、この子の魂をどっかで見た覚えがあるのよね」

 クリスの顔を見ながら、ぼそぼそとひとりごとを呟くアクアに。

「なんにせよ、後は安静にしといたら、その内クリスは目を覚ますんだよな? もう完治したって思っていいんだよな?」

 どこかまだ心配そうなカズマが、アクアに念押しで確認を取る。

「当たり前でしょう、私を誰だと思ってるの。肉体と魂はしっかり結び直したから、起きたら今まで以上に元気になってるはずよ!」

 褒めて褒めてと言わんばかりに、アクアは自信満々に胸を張った。

 よかった、プリーストの腕に関しては定評のあるアクアがそう言うなら、本当に解決したのだろう。

 これで万事解決に……。

「お前最後なんて言った?」

 と、すっかり真顔になったカズマが横から問いかけた。

「最後? えーっと、起きたら今まで以上に元気に」

「そこだ。今まで以上ってどういう意味だ?」

 アクアの声に被せて、尚もカズマは食い下がっていく。

 一体何がそんなに気になるのだろう。

 もしかして、私達が気付いていない部分でまたアクアがやらかしているのだろうか。

「そのままの意味よ。調べた時に分かったんだけど、この子は元からあんまり肉体と魂の結びつきが強くなかったみたい。無知蒙昧なカズマにも分かるように言うなら、結びつきが弱いとそれだけ身体が動かしにくいって事なの。そこで、私の力で結束力を強化してあげたって訳よ!」

 うん、聞く限りだとやはり悪い事などなさそうだ。

 きっとカズマの考え過ぎだろう。

「ほう、アクアにしては気が利いているじゃないか」

「ええっ、カズマが随分と食い下がるので、また何か余計な事をしたのではと勘ぐってしまいましたが何もなさそうですね」

「ダクネスもめぐみんも酷いわ! 私にしてはとかまたとか、日頃から私を何だと思ってるのよ!」

 私達の物言いが不満なのか、アクアは頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。

「だそうですし、今回はカズマの杞憂では……カズマ?」

 笑いながら話しかけた先では、だが、カズマは頭を抱えすっかり青ざめていた。

 本当に、さっきからどうしたというのだろう。

 何をそんなに心配しているのかさっぱり分からない。

 いい加減に気になった私がその事を尋ねようと……。


「お、おい、クリス大丈夫か⁉ アクア、クリスの様子がおかしいぞ!」


 切羽詰まったダクネスの声が耳に突き刺さった。

 慌てて振り返った先では、先程以上に苦悶の表情を浮かべるクリス。

 胸を押さえて身を捩り、吐く息は先程以上に荒く熱い。

「アクア、どういうことですか? クリスの病は完治したのではなかったのですか⁉」

「えええっ⁉ おかしいおかしい、絶対におかしいわ、私ちゃんと治したもの! 処置は完璧なはずなのに……ちょっ、なんでよー!」

 慌ててクリスに手を翳したアクアが絶叫を上げ。

「どうしてまた魂が解れてるの⁉ しかもこれ、さっきよりも外れ方が酷くなってるんですけど……ちょっ、これ本気でヤバいんですけど」

「これだよ、これだから最後まで安心できないんだ! お前ってヤツは、なんで毎度毎度余計な部分にまで手を出そうとするんだよ! 頼まれた事だけやってくれればいいのに、事態が悪化しただけじゃねえかっ‼」

「待って待ってよ! 今回は絶対に私のせいじゃないわ。だって私、普通の人並になるように補強しただけよ、本当にそれ以上は何もしてないわよ! いいことしたはずなのになんで怒られるのよっ!」

 理不尽なカズマの怒りに泣き出すアクアが、再び詠唱を唱え始めたその時――


「その子の身柄は、私が預からせてもらうぞ」


 突然光の柱が現れ、山吹色の髪をした見知らぬ女性がすっと床に降り立った。

 人間とは一線を画した、寒気を感じる程の美貌に、深淵を覗くかの如く深い青味掛かった黒色の眼。

 冷徹な印象を受けるその女性は気品ある立ち姿でこちらを一瞥し、吃然と言い放った。

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