第七歩 お悩み相談

 3


 街の外れにある定食屋で昼食を済ませ。

 腹ごなしに商店街を練り歩いていたあたしは、人目も憚らず心中を吐露した。


「幸運の女神って本当にいるのかな」


 あたしがこれほど荒んでいるのには理由がある。

 時は少し遡り、ダクネスとめぐみんに宣誓を果たした翌日。

 カズマ君に意識してもらうべく、あたしは早速行動を開始した。

 だが知っての通り、あたしは恋愛に関しては全くのド素人。

 彼氏を作った事も無ければ男性を口説いた経験も無く、そもそも誰かを好きになったのもこれが初めて。

 正直、何から始めていいのか皆目見当がつかない。

 かと言って、無策のままがむしゃらに突っ走った所で失敗するのは目に見えている。

 そんな訳であたしは手始めに恋愛小説でも読み漁り知識を増やそうと、この街唯一の図書館へ足を運んだ。

 しかし……。

「へ、へー、あんまり来る機会が無かったから知らなかったけど、意外と沢山置いてあるもんだね」

 見通しが甘かった。

 印刷技術が未だ成熟していないこの世界では、誰もがお手軽に書籍を読める段階には至っていない、つまり本の絶対量が少ないのだ。

 ならば、そこまで時間を掛けずとも自ずと本の選別が出来るだろう。

 ここに来るまではそう思っていた。

 だが実際は、魔法関連の本棚が五列、政治や歴史関連の本棚が各二列。

 それに対し、このコーナーだけは十列近くあったのだ。

「種類が豊富なのは助かるけど、これじゃああたしに合う本を探すのも一苦労だね」

 この世界の人は恋愛小説に一体何を求めているんだろう。

 他に娯楽らしい娯楽もないし本のジャンルも少ないから、恋愛系統に行き着いてるだけなのかな。

 いや、それでも政治や歴史の本より多いのは聊か問題なんじゃ。

 頬の刀傷をポリポリと掻き、あたしが呆然と立ち尽くしていると。

「あれ、クリスさん?」

「おっ、ゆんゆんじゃない。昨日寝落ちしちゃってたけど大丈夫?」

 昨晩振りのゆんゆんがこちらに気付いたらしく、あたしの下に駆け寄って来た。

「昨夜はご迷惑をお掛けしてすいませんでした。お陰様で、起きてすぐの頃はまだクラクラしてましたけど、朝ご飯を食べたらすっかり回復しました。あの、それでクリスさんはここで何を? 普段あまり図書館でお見掛けしないですけど、ここって恋愛関連のコーナーです……よ……ね……っ! も、もしかしてクリスさん⁉」

 流石は紅魔族。

 まだ何も言ってないのになんて勘の良さだろう。

「え、えーっと。まあ、お察しの通り」

「やっぱり‼」

 大声を上げてからはっとしたゆんゆんは、恥ずかしそうに慌てて他の来訪者にペコペコ頭を下げていく。

 しかし興奮は収まり切らなかったらしい。

 眼を煌々と綺麗な紅色に輝かせたゆんゆんは好奇の視線を向けて来た。

「そ、それでお相手は、お相手は誰なんですか? もうお付き合いしてるんですか? ひょっ、ひょっとして、もうキ、キ、キスもしちゃってたり⁉」

「し、しししてないよ! き、キッスだなんて……そんな恥ずかしいマネが出来る訳ないじゃないか!」

「クリスさん、しーっ! 他のお客さんもいるんですから!」

 そうだった、ここ図書館だった。

 ゆんゆんに続き、あたしも周囲の人に頭を下げた。

 あー、顔が熱い。

「こ、コホン。とにかく、まだチューどころか気持ちを伝えてすらいないよ。そもそも、どうやってアプローチを掛けたらいいか分からないからこうして勉強しに来てる訳で」

 ていうか、何であたしこんなにペラペラ喋ってるんだろう。

 今更だけどすごく恥ずかしくなってきた。

「で、でも、思ったより沢山あるみたいだし、これからゆっくり検分して……」

「だったら私に任せて下さい! これまでにいろんな恋愛小説を読んできたので、おすすめの本とか知ってます。きっと、クリスさんのお役にも立てると思うんです!」

 凄い食い付きよう。

 鼻息荒く詰め寄ってくるゆんゆんにちょっと引いたが、提案自体は魅力的だ。

 でもなあ、ゆんゆんはめぐみんの親友な訳で。

 親友の恋敵であるあたしのお手伝いをしてもらうってのは心苦しいよね。

「ありがとう。でも、あたしは極力自分の力で振り向かせたいから、もうちょっと一人でやってみるよ」

 極力傷つかない言葉を選択し、あたしはゆんゆんに手を引いてもらおうと試みた。

 するとゆんゆんは見るからにしょぼんと俯き、

「そ、そうですか。そうですよね、本の受け売りばっかりで中身のない助言を貰っても反って邪魔ですよね。バニルさんの時は何も出来なかったしダストさんの時だって一人空回ってただけだし、私如きが人のお悩みに口を出そうとする行動そのものが図々しいというか人の恋愛相談に乗るのって凄く友達っぽいなって何勝手に一人で思い上がってたんだろう」

 ど、どうしよう、なんか地雷踏み抜いちゃったかな⁉

「あっ、ああ、よく考えてみたら、序盤の時期ぐらい友達の意見を取り入れた方が成功率もグンと増すよね! ねえ、ゆんゆん、よかったらおすすめの小説をいくつか紹介してくれないかな?」

 ダメだ、言い訳が厳しい。

 回らぬ頭を駆使して他の言い分を探す傍ら、胡乱な目をしていたゆんゆんが緩慢な動きで顔を上げ。

「い、いいんですか? 私、お節介なんじゃ?」

「ゆんゆんがいいんだよ、あたしも相談できる相手が一人ぐらい欲しいなと思っててさ! ここであったのも何かの縁だし、ゆんゆんさえ構わないなら是非ともお願いしたいな」

 あたしの熱意が伝わったのか、目尻に涙を貯めていたゆんゆんは嬉しそうに笑い。

「わ、分かりました。それでは僭越ながら、私一押しの本をいくつかお渡ししますね!」

「う、うん、よろしくね」

 本棚に向かい合い嬉々として本を探し始めたゆんゆんの背中で、あたしは秘かに額の汗を拭った――


 ゆんゆんが選んでくれた本は、自信を持って薦めるだけあってかなりの粒揃いだった。

 ヒロイン達は抱いた想いに振り回されながら、楽しかったり哀しかったり、時にはすれ違いも起こったりして。

 最終的に結ばれたシーンなんて堪らなかったな。

 まあ、読んだ感想はこの際置いておくとして。

 小説の中には、気になる相手を振り向かせる具体的な手段が沢山描かれていた。

 それらを鑑みるに、重要なのはザックリ分けて二つ。

 相手好みの見た目と仕草だろう。

 見た目の方は……ダクネスにはまるで勝てる気がしない。

 ファッションにしたって、今までほとんど拘りを持ってなかったからな、その辺はこれから勉強しないと。

 次に仕草だけどこれはこれで難しい。

 あたしとカズマ君は既に結構長い付き合いだ。

 そんなあたしがいきなり行動を変えたら彼はどう思うだろうか。

 恐らく若干引きながら身体の心配をされるのが落ちだろう。

 そもそも、あざとさなんかあたしには似合わないし、色っぽさに至っては恥ずかしくて絶対に真似出来ない。

 だが中には、あたしでもお手軽に出来そうな項目があった。

 その一つがボディタッチ。

 肩とか手とか、何処でもいいので身体が触れ合うとなんだかいい感じになるのだとか。

 気恥ずかしさは残るものの、他のに比べればまだハードルは低い。

 そこでひとまずやれそうな物だけでもと実行に移そうとした。

 ここまでは良かったのだ、良かったのだが……。

 屋敷を訪れてみたらめぐみんと出掛けてて留守だったり。

 いたらいたでダクネス達もその場で寛いでいたり。

 何とか連れ出せたと思ったら、途中で知り合いとバッタリ遭遇して有耶無耶になったり。

 なんやかんや今日まで碌にアプローチを掛けられないでいたのだ。

「あれだけ二人の前で大見栄きっといてこの有様とは、我ながら情けない限りだよ」

 がっくりと肩を落としたあたしは重い足を引き摺り特大の溜息を吐いた。


「そこの幸薄そうなお兄さん、良いところに来ましたね。そう、さっきから興味津々で私をチラ見してくるあなたです!」

「お、俺か⁉ 俺はそんな事してないぞ!」


 ん、なんだろう。

「あなたの頭上には暗雲が立ち込めています。それはまるで、おやつに食べようと楽しみにしていたところてんスライムが、何時の間にか逃げ出していた日の前兆の様な。このままではあなたは間違いなく不幸に見舞われるでしょう」

 どこかで聞いた事がある様な。

 いや、凄く聞き覚えのある声が。

「でも大丈夫です! この紙にちょろっと名前を書くだけで運気は忽ち回復しすぐにでも幸福が訪れるでしょう。具体的には、この美人プリーストである私と一緒にご飯に行けるというこの上ない幸運が。お時間は取らせません、是非とも入信書にサインを!」

「い、いらねえって! ていうか、あんたアクシズ教徒だろ⁉ あんたらには関わり合いたくないんだよ!」

「ああっ! 私はこんなにあなたの事を想っているのに乱暴に手を振り払って捨てていくだなんて! あなた、お待ちになって!」

「そそ、そんなんじゃねえし⁉︎ 俺の妻は別にいるっての! あんた、誤解を招くような言い方はすんな!」

 言い訳をしながらも全速力で逃げ去る男性の背中に手を伸ばす、青色の修道服に身を包んだ一人の女性。

 ひょんなことから知り合った、一応はあたしと同じ団体員でもある彼女に、

「何やってるの、セシリーさん?」

「あら、エリス教徒の割には話が合うクリスさんじゃないですか。何をしているのかと聞かれれば勿論アクシズ教への勧誘です。よかったらクリスさんも一枚どうですか?」

 魔法の様に出現した入信書を差し出されるも、あたしは丁重にお断りする。

「あのさ、あんまり言いたくないけど。あんなやり方じゃ、いつまで経っても信者は増えないと思うよ。宗教ってのは基本的に、困ってる人が最後に縋り付くものなんだから。さっきの人みたいに満たされてる人に当たっても仕方ないんじゃないかな」

 あたしの言葉に、セシリーさんは愕然としてはっと息を呑んだ。

「なんてこと、クリスさんの言う通りだわ。あの様な勧誘では全然ダメだったんですね」

 よかった、ちゃんと伝わったみたい。

 そうさ、この人だって根は悪い人じゃ……。

「満たされてる人だって一度不幸を味わえば、私の言葉にも耳を傾けてくれるはず。つまり、あの人の弱みを誰かに揺すらせて、そこを偶然通りかかった私が華麗に救援してあげれば、あの人も気持ちを入れ替えアクシズ教に入信してくれると。流石はエリス教徒、やり方が腹黒い!」

「違う違う、いろいろ間違ってるしまずもって前提がおかしいよ!」

 声を荒げるあたしに、セシリーさんは顎に指を当て。

「じゃあ、弱みを偽装しろって言うの? 悪く無い手だとは思いますが、その場合だと結構お金が掛かるので、年中金欠な私にはちょっと難しいと思うのよね」

「だから、そうじゃないってば!」

 はあ、なんかどっと疲れた。

 頭もちょっとヒリヒリしてるし。

 まるでアクア先輩と話をしてるみたいだ。

「ところで、クリスさんはこんな所で何をしていらっしゃるんですか?」

「ああうん、食休みがてら煮詰まった頭を冷やすのも兼ねて散歩をね。どうも最近上手くいかない事が多くてさ」

 聞かれるままに、あたしは深く考えず正直に話したのだがこれが軽率だった。

「ほほう、それはつまり現在お悩み事があるという意味ですね」

 なんか一瞬セシリーさんの眼がキラッと光ったような。

 あたしの敵感知スキルも痛いぐらい警告警報を発令してるし、これは早急にこの場を離れた方が良さそうだ。

「悩みがあるのかないのか聞かれたらあるって答えるしかないけど、別にそこまで困ってる訳じゃ」

「やっぱり私の眼に狂いはなかったわ! お悩み相談と言えば聖職者、宗教と言えばそれは勿論アクシズ教‼ 汝、迷える子羊よ。あなたの悩み、この美人プリーストであるセシリーがズバリ解決して差し上げましょう!」

 すごい勢いで肉薄してくるセシリーさんに、思わずたじろいでしまう。

「い、いや、本当に大した悩みじゃないから、あたしはこれで……」

「まあまあそう言わずに、溜まった物を吐き出すだけでもスッキリしますよ。今なら特別にお姉さんが相手してあげるから!」

「紛らわしい言い方しないでくれるかな⁉」

 せ、セシリーさんてば、プリーストなのになんて握力だ。

 両肩を掴まれ逃げ出そうにも身動きが取れない。

「丁度いいところに喫茶店があるわね。ひとまずあのお店に入って、考えるのはそれからにしましょう。大丈夫よ、怖くない、怖くないから。ちょびっとだけ、先っちょだけ入るだけだから!」

「だから言い方をもっと気を付けてったら! ていうか、いい加減手を放してよ相談してもらう程の事じゃないって言ってるのに……ちょっ、ほんとに、本当に話を聞いてお願いだから帰らせて!」

 抵抗空しく、セシリーさんはあたしの手を掴んでずんずんと喫茶店へと向かった。


 4


 頭が痛い。

「ふぇー、クリスふぁんにおもひひとがねー」

 拉致に近い形で喫茶店に入店してしまったあたしは、半ば諦めの境地に至り。

 席に着くなり片っ端から注文し、運ばれてくる料理を鬼気迫る様子で食べるセシリーさんに、詳細は省きつつも打ち明けたのだ。

「っん、でも意外だわ。エリス教の盗賊なんて毎日遊び歩いてやりたい放題やってる印象があったのだけれど。あっ、イメージ工作の一環?」

「ほんとひどっ! セシリーさんはエリス教徒を何だと思ってるのさ⁉」

「外面だけ良くして裏では私達への妨害を繰り返す敵戦力かしら」

 そ、それを他ならぬアクシズ教徒が言うか。

 反射的にバンッと机を叩き立ち上がったものの、あまりの言われように絶句して固まるあたしに。

「話は分かったわ。だったらこのお姉さんに任せなさいな。これでも私、恋愛相談とか得意なんだから!」

 チキンサンドのソースを口の端に付けたまま、セシリーさんは自信満々に胸をドンッと叩いた。

 不安だ。

「あの、先にセシリーさんの恋愛遍歴を聞いてもいいかな?」

「私? ふっ、聞いて驚きなさい。私なんてそりゃもう経験豊富よ。これまで落とてきた人数は数知れず、先日だって一緒にご飯を食べたばかりなんだから」

 へ、へー。

 口先だけかと疑っていたけど、セシリーさんって意外と頼りになるのかも。

「めぐみんさんたら、肉屋のおじさんと交渉しててね。一生懸命値切ってる可愛らしい姿を観たら我慢出来なくて思わず抱き着いちゃったわ。ああっ、今思い出しただけでも身体が痺れちゃうっ!」

「それって女の子じゃん!」

 この人に話したの、早まったかな。

「私の事はひとまず置いとくとして。クリスさんはその人とどうなりたいんですか? 結婚したいの? 養ってもらいたいの? 身体の関係ってだけなら、クリスさんは美少女だし、チョロっと押し倒せば簡単に食い付くと思うけど」

「か、からっ⁉ そんな不誠実な事望む訳ないでしょ‼」

 本当に、この人を頼ったのは失敗だった。

「ねえ、真面目に相談乗ってくれる気ある? 暇潰しならあたし帰りたいんだけど」

「お姉さんは心底真面目だったんだけど。じゃあ質問を変えるわ、クリスさんはこれからどう行動するつもりなの?」

 そう言って、今度はトマトスープに手を付け始めるセシリーさん。

「それは……やっぱり、彼の事をもっと知りたいし。彼にだって、あたしの事をもっと知って貰いたい。でも一足飛びってのは怖いから、もっとこう、ちょっとずつ距離を縮めて行って、気持ちが繋がれたらいいな……なんて……」

 どうしよう、言っててすごい恥ずかしい。

 顔から火が出るってこういう事を言うんだな、これ絶対耳まで赤くなってるよ。

 徐々に声が小さくなる、指先を突き合わせたあたしにセシリーさんは、

「はわっ、はわわわわ! 乙女チックな顔しちゃってクリスさんってばなんて可愛いのギュッとしてもいいですか⁉」

「答える前に抱き着いてるじゃん! ちょっ、放してってば‼」

 興奮したセシリーさんを無理やり着席させ、ゲッソリとしたまま自席に戻った。

 さっきから周囲のお客さんが危ない人を見る目を向けてくるのが地味に傷つく。

「まったく、照れ屋さんなんだから。でも、それなら話は単純じゃない」

「いや、だからその簡単な段階で既に躓いてるからこうして悩んでる訳で」

 言いながら、あたしは不貞腐れた様子でコーヒーを口に含んだ。

「ですから、その悩んでるポイントがズレてるんですよ。いいですか、貴方がやらねばならない事は唯一つ!」

 セシリーさんはビッと人差し指を立て、


「デートしましょう!」


「ぶふぁ!」

「アッツ⁉ ちょっ、コーヒー噴き出さないでよっ‼ 私はまだゼスタ様がいらっしゃる領域には届いてないんだから」

 セシリーさんが何か叫んでるがそれどころではない。

「セシリーさんてば何言ってるのさ‼ ででで、で、デートだなんて、そんなのまだ早すぎるよ! あたしまだ告白だってしてないんだよ⁉」

 あたしの言葉に、布巾で顔や服を拭いていたセシリーさんはきょとんとした顔で。

「クリスさんこそ何を言ってるの? 告白をする為にデートするんじゃない」

「いや確かに、確かにそういうデートもあるのは知ってるけど、あるんだけどさっ⁉」

「クリスさん大丈夫? さっきから挙動と言動がおかしいわよ」

 まさかアクシズ教の人に言動を心配される日が来ようとは思いもしなかった。

「クリスさんはその人とチュッチュしたいんでしょう? 話を聞く限り、その人は極度のヘタレなくせに子猫並みに警戒心が強いみたいね。なら迷ってる暇はないわ、ガンガン攻めて行ってその人の心をガッツリ鷲掴みしないと!」

「ちょちょ、ちょっと待って待ってよ! 一度頭を冷やさせて!」

 怒涛の如く流れる強烈な刺激に脳が付いて行かないよ。

 頭がくらくらするあたしに、しかしセシリーさんの勢いは止まる気配を見せない。

「顔を真っ赤に染めちゃってなんて美味しそうなの! ほらほら、お姉さんに言ってごらんなさいな。クリスさんはこれからどうしたいんですか⁉ ほらほらっ!」

「ううっ、もう許してー」

 逆効果だと分かっていても、顔を手で覆わずにはいられない。

 だが予想とは異なり、いきなりセシリーさんは穏やかな顔を浮かべた。

「ごめんね、これ以上は嫌われちゃうから辞めておくわ。でも行動に移らないとどうにもならないわよ。ライバルだって結構いるんでしょう、どうしてグイグイ行かないの?」

「……だ、だって」

 心底不思議そうに尋ねてくるセシリーさんに、あたしは口元に拳を当てながら。

「…………恥ずかしいよ」

 蚊の鳴くような微かな声で呟いた。

 ……あれ、反応がないな。

 ここで黙られると本当に気まずいんだけど。

 チラッと様子を窺ってみると、セシリーさんはピクリとも動かずに停止していた。

「あ、あの、セシリーさ」

「しっかりするのよセシリー、私にはめぐみんさんがいるじゃない。相手はエリス教徒、どんなに愛らしくてもエリス教徒、アクア様の天敵のエリス教徒‼ そうだわ、こんな時こそあの聖句を唱えるのよ。『エリスの胸はパッド入り』!」

「せ、セシリーさん……」

 呪詛の様にブツブツ呟くセシリーさんに、あたしは思い切り顔を引きつらせる。

 と、ピタッと動きを止めたセシリーさんは、

「クリスさん」

「は、はい」

 先程とは一転、とても真面目な顔付きになった。

「あなたの気持ちは理解出来ます。人に気持ちを伝える行為は非常に勇気がいりますし、それが初めての経験なら猶更でしょう。ですが、そのステップだけは絶対に逃れられません。何故なら気持ちを通わせると言うのは人間にとって最も重要な要素だからです」

 普段の破天荒さは何処へやら、セシリーさんはひたすらに真摯な趣で言葉を続ける。

「拒絶されるかもしれない、敬遠されるかもしれない。そう考えると足が竦み、恐怖に囚われてしまうのは無理もありません。羞恥心も同様です。恥をかきたくないと思うのも又人間として当然の反応ですから。ですが、始める前に尻込みしないで下さい。この世に失敗など存在しません、経験した事象全てが今後のあなたを陰ながら支えてくれます」

 一度にそこまで言ったセシリーさんは手を胸の前で組み、柔和な笑みを浮かべた。

「アクア様もきっと、あなたの恋路を応援して下さいますよ」

 …………。

 色々と衝撃的すぎてすぐに言葉が出てこない。

 だけどこれだけは言える。

「なんだか聖職者みたいな物言いだね」

「待って、大概の事なら喜んで受け入れる私だけど今のは流石に傷つくわよ⁉」

 ポツリと呟くあたしに、セシリーさんは息巻いてきた。

 その様子にあたしはクスクス笑ってしまう。

「ごめんごめん、いつものイメージとだいぶ違ったからつい」

「クリスさんてばお姉さんの事を何だと思ってるのかしら」

 不服そうにぼやくセシリーさんをあたしは改めて眺めた。

 常日頃の常軌を逸した行いから世間では忌避されがちなアクシズ教徒。

 あの先輩を信仰するだけあって、信者達は今が楽しければ何をしてもいいをモットーに本能の赴くまま毎日を生きている。

 他人に迷惑を掛けるのは頂けないが、その根幹は限りなく純粋で真っすぐだ。

 だからだろうか、あたしはこの人達の事が嫌いじゃない。

「ありがとうね、セシリーさん。キミに相談して良かった。ここは助言の通り、頑張って彼をデートに誘ってみようかと思うよ」

 前向きな気持ちになれたあたしは、素直に感謝を告げた。

「もういいんですか? まあ力になれたのならよかったわ。それじゃあ、感謝の気持ちを形にするべくこの入信書にサインを!」

「それはちょっと出来ないかな」

 すかさず取り出された入信書を仕舞い込んだセシリーさんは、ウキウキと声を弾ませ。

「では今すぐその人を誘いに行きましょう!」

「えっ⁉ い、いやその……せめてデートプランを考えてから」

「何を言ってるんですか! 善は急げです、一度決めたのなら立ち止まってる暇なんてありませんよ‼ クリスさんが行かないというなら、代わりに私が行って来るわ! そして一生甘やかされながら養ってもらうの!」

 外に飛び出そうとするセシリーさんの手を慌てて掴んだ。

「待って、分かった分かったから‼ あたしが自分でやるから! お願いだからセシリーさんは動かないで!」

「はい、言質取った! 自分で宣言したんですから今更撤回するのは無しですよ。もし破ろうものなら、エリス教は口先だけの大嘘吐きだってまた言いふらしてやるから」

「うぐっ……わ、分かったよ。ちゃんと自分で……まって、今『また』って言った?」

「言ってません」

「言ったでしょ?」

 嘯いて誤魔化さないでよ。

 しかし、まんまとこの人の口車に乗せられてしまった。

 結果的に大きな一歩を踏み出すきっかけとはなったが、なんだか複雑な気分だ。

 本当にこれで良かったのだろうかと自問自答していると、

「結構長居してしまいましたし、私は勧誘に戻りますね。これだけ親身に相談に乗ったんですから、ちゃんと経過報告してくださいよ。それはもう事細かく念入りに!」

「あっ、ああうん、機会があったらね」

 ビシッと敬礼をするセシリーさんにあたしも挨拶を返す。

 と、何を思ったのか、セシリーさんは不意に詠唱を始めた。

「それでは微力ながら私からも激励を。駆け出したばかりのあなたに、アクア様のご加護があらん事を。『ブレッシング』!」

 手を高く掲げると共に、あたしを柔らかな光が包み込む。

 それを見届けたセシリーさんはふっと笑い、そのまま人混みへと混ざっていった。

「本当に……こういう所があるからなー」

 本来ならそう言うのは女神であるあたしの仕事なのに。

 やってくれたものだ。

 頬をポリポリ掻きながら思わず苦笑を浮かべる。

 人間の、しかもアクア先輩の信者である彼女にここまで言わせたのだ。

 期待に応えない訳にはいかないだろう。


「それじゃあ、彼を誘いにいってみようか!」


 手を高く振り上げ、意気揚々と一歩を踏み出し……。

 いきなり後ろからガシッと肩を掴まれ転び掛けるも何とか耐えた。

「ああ、急にすいませんでしたお客様。それで、お代を払って頂いてもいいですか?」

「すいません、忘れてました!」

 えーっと、コーヒーを一杯頼んだんだから四百エリスだよね。

 あちゃあ、小銭が足りないや。

 これはお札を崩さなきゃいけないかな。

「ええっと、非常に申し上げにくいのですが……」

 財布からお札を取り出すあたしに、店員さんが申し訳なさそうな顔で、

「その……お連れ様がいらっしゃらないので、その分も払って頂きたく……」

 …………。

 ま、まあ、相談に乗ってもらったんだし、ここでのご飯を奢るぐらいなら……。

「お連れ様には沢山ご注文頂きましたので、締めて六千七百エリスです」

「そうだよね、アクア先輩の信者だもんね!」


 叫びながら、無意識の内にあたしは財布を握り絞めていた。

 やってくれたものだ!

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