俺の!彼女が!ゲーム脳!

伏谷洞爺

第1話 プロローグ

「付き合って下さいっ!」


 そんなことを言われたのは、生まれて初めてだ。


 誰もいない夕暮れの教室。窓から入り込む風が、カーテンと一緒に彼女の髪を揺らす。彼女は風になびく髪を押さえながら、少し緊張したように表情を赤らめ、真正面から俺を見詰めていた。


 彼女の名前は桜木玲。腰まで伸ばした艶やかな黒髪が特徴的な、まさに『深窓の令嬢』といった雰囲気を醸し出している。そしてそれは実際その通りで、桜木の成績は常にトップクラス。運動もそこそこできて、おまけに学校一の美少女ときたものだ。


 男子はもちろん、女子であっても彼女に憧れる者は少なくない。現に俺の女友達も、「ああ、桜木様と一夜をともにしたい」とか言ってたし。本気かどうかは分からんが。


 そんな学校一の美少女と言っても過言ではないくらいの美少女であるところの桜木が、俺に対し「付き合って欲しい」と言って来たのだ。この、俺に対してっ!


 これは、なんというか、健全な男子高校生ならば即OKを出してもいいのではなかろうかと思うのだがしかしそれではなんとういうかむー……。


 だいたい、恋人として付き合って欲しいということではないのかもしれないじゃないか。桜木はただ「付き合って欲しい」と言って来ただけだ。それだけだ。ならば、それは「男手がいるのでちょっと付き合って欲しい」的な意味合いであったとしても何ら不思議ではない。むしろそっちの方が自然な気がする。何せ相手は学校一の美少女と称される桜木だ。その可能性は高い。しかし、こちらとら男子高校生ですぜ? ちょっとはそういう期待を持ってもいいのではないか? でもなでもなー……もし期待の色眼鏡で持って彼女を見て、重々しいノリで「い、いいよ?」とか言ってそんでなんか本当にただ人手が欲しかっただけなんて悲しすぎる。というかさっきから考え込んでしまっていたのだが、桜木はなにやら不安そうに俺を見上げているので一旦中断して、


「えっと……付き合う、とは?」


 意味合いの確認も含めてそう問い返した。なるべく緊張で表情が強張らないよう朗らかに。


 すると、桜木は驚いたように目を丸くした後、顔を逸らしてなにやらもじもじし出した。心なしか、先ほどより頬の赤さ加減が強くなったように思う。


「それは…………どういう、意味?」


 逆に問い返された。何たるカウンター。


 これは難しいぞ。下手なことを言えば桜木は俺が彼女を異性として意識していなかったみたいな意味に捉えられかねん。そうなれば、桜木は傷心し、もしかしたら自殺を図るかも知れない。それは、俺も望むところではないだが、しかしどう答えたものかな。


 ……考えても、ラチがあかない、か。


 俺は一度深呼吸をすると、居住まいを正し、桜木に呼び掛けた。


「桜木っ!」


「はいっ」


 瞬時に桜木は俺と目を合わせた。うおっ! 


 俺は内心でどきどきを抑えられない。だが、表面的な平静だけは装い、桜木に向けて口を開く。


「俺さ、馬鹿だからあんまりこうなんだ。物を考えたりっていうの苦手で、桜木がどういう意味で俺に『付き合ってくださいっ!』なんて言ったのかわからないけど、勝手な解釈だけど、その……おまえがどういう意味で言ったのかいまいち分からないけど……俺もっ!」


「えっ……?」


「俺も、おまえが好きだ、桜木」


 言って、思わず目を閉じた。


 顔から火が出るんじゃないかってくらい熱い。体中が火照り、脇から脂汗がじわりと滲んでいた。


 おそるおそる目を開けると、桜木は信じられない、という顔で、口もとを手で押さえて涙目だった。


「どうした、桜木?」


「ん、何でもない」


 何でもないことないだろう。


 なんだ、俺なんか変なこと言ったかなうわー。台詞の途中で噛んだとか? で、その笑いを抑えるために桜木は口もとをに手を添えているのか? だとしたらすげー恥かしいが多分そうじゃないんだろうな。だって涙目になってるもん。いや、笑い泣きってことも考えられるのかな? 笑い泣きを堪えているんだったらそれはそれで胸にくる物があるな。いっそ思いっ切り笑ってくれた方がどんなに楽か。でも、そういうところが桜木の優しいところなんだろう。だったら、俺がとやかく言えたことじゃないのか? どうなんろう? よく分からん。


 とにかく、話を聞いてみよう。


 俺は涙目で口もとに手を添えている桜木を覗き込みながら、


「どうした、大丈夫か?」


 すると桜木は、


「…………大丈夫。ちょっと嬉しくって」


「嬉しい?」


 俺が眉を寄せると、桜木は小さく頷いた。


「うん、嬉しい。断られるんだろうなって思ってたんだ。でも……」


 あ、そういうこと。


 誰でもあるよねーそういう不安。俺だってあるもん。


 告白なんてされるの初めてだし、自分から誰かに告白なんて今までなかったけど、まあこういうのは新しいことを始めようとして、でも失敗したらとか考えるのと似てるよな。もし断られたらって。そういうふうに考えたら、桜木の不安も分かる気がする。


「えーと、それじゃあ」


 俺が桜木から虚空に視線を移し、現在の状況を脳内で整理していく。


 一、桜木から告白された。


 二、俺がOKした。


 三、桜木が嬉しいって言った。


 これってつまり……、


「俺たち付き合うってことでいいんだよな」


 誰に訊くでもなく、虚空に向かって言葉を投げる。はたから見れば、かなり危なっかしいやつだが、そんなことに構っている暇はない。


 俺と、桜木玲が付き合う。恋人になる。


 マジかっ!


「えっと、それじゃあ、これからよろしくね」


 目尻の涙を拭い、桜木が右手を差し出してくる。俺はその手を数秒間見詰め、ようやく握手を求められているのではと思い至った。


 俺も右手を差し出す。その前に、制服のズボンで拭いて。


「こちらこそ、よろしく」


 彼女の手を握り、少しだけ力を込める。


 桜木の手はとても小さく、華奢で、扱い方を間違えればすぐに壊れてしまうガラス細工のように繊細だった。


 桜木が、俺の彼女……。


 現実感に乏しいが、そのことだけは事実として受け入れられる。


 きっと、いいことが起こるような気がした。


 この後、桜木玲の秘密を知るまでは。

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