第3話 夜の屋敷
ハインベルグの屋敷以外には灯りのないこの土地は、夜になると星がバケツの水をこぼしたように、一斉に輝き始める。黒と白がくっきりと分かれ、モノクロ映画が映し出されているようだ。だが、僕たちは白い月が天空の一番高いところへ昇り、星々が一番輝き始める頃には、深い眠りに入ってしまっているので、その夜空を見ることはなかった。
だが、今夜の僕は、その透明な黒を見ることになった。
ぼやけた視界が徐々に定まり、僕はベッドの天蓋の裏に描かれた絵画をしばらく見ていた。ホワイトブロンドの少しふっくらとした、なめらかな白い肌を持つ、裸のふたりの少年の天使が、色とりどりのパンジーやガーベラの花々が咲き乱れる紺碧の青空を飛び回っている。彼らの嬉しそうな笑顔に、僕とルドルフの遊ぶ姿が重なった。このベッドは父・ロバートが買ってくれた物だが、この絵画を選んだ意味について僕は考えたことがなかった。やはり僕たちをこの絵に重ねていたのだろうか。
今となっては気まずくて、父に聞けることもなかったが。
「ん……」
僕は上半身を起こし、目を擦った。日中よく動いたからだろうか、体に疲れが残っているのがわかった。少し気怠かったからだ。
(夜中に起きてしまうなんて、久しぶりだ)
両手をベッドのベルベットのシーツにつけ、ふと隣を見る。
(あれ……。ルドルフは?)
いつも隣りで共に眠っているルドルフの姿が無かった。半分ずつ左右に分けて使っている大きなベージュのシルクの枕は、ルドルフの側は窪んでいた。僕はそっとそのくぼみに手を触れさせる。まだ温かかった。彼がここを去って、それほど時間が経っていないことを意味していた。
枕と同じ色のきらめくベージュ色をしたシルクの布団をそっと片手で持ち上げる。布団のやわらかさと厚みが、心細くなっていたこの時の僕にはありがたかった。こちらも同様にルドルフが眠っていた箇所をさっと片手で撫でる。こちらもまだぬくもりがある。
僕は少し迷い、腰を上げるとベッドから降りた。水色のシルクの青いパジャマから出た白い足首が、素のまま寝室の床へ着地した。
裾の長いパジャマのズボンは、小柄な僕の身の丈に合っていなかった。両腕の裾と首回りについた花柄のこまやかなレースも、本当は邪魔だし、恥ずかしいと思っていた。これは完全に僕らの母さん・ヴァイオレットの趣味だ。眠っている間にほどけていた深紅のリボンが、胸元で両端が揃わず、ゆるく結ばれていた。僕はそれを元通りに結びつつ、右手にカンテラを持って深夜のハインベルグの屋敷を徘徊していた。
暗い廊下に、右側に面した硝子窓から差し込む星々のひかりと、僕の手にしたカンテラが放つ淡い橙色が合わさる。闇は怖かったが、そのひかりがあれば何とか歩くことが出来た。
僕はたどたどしくも、歩みを止めなかった。緊張からか、喉が渇く。部屋にあった水差しで薄青の硝子のコップに水を入れて一口飲んでおけばよかったかなと後悔し始めていた。
「……ルドルフのやつ、一体どこに行ってしまったんだ」
僕は自分を安心させるように声を漏らした。か細くちいさな声でも、狭い廊下には響くらしく、少し木霊しているように聞こえた。僕はこの時、この屋敷に住みながら、屋敷のどこに何があるかを完全には理解していなかったことを知った。僕の行動範囲は常にルドルフと共にあり、ルドルフが行かないところは僕も行かなかったので、両親や使用人が使っている部屋を把握していなかったのだ。
考えにふけっていると、前方に扉がすこし開いている部屋が見えてきた。
「あれは……」
重厚感のある開いた扉から、ぼんやりとした青白い灯りが漏れている。
僕は羽虫が灯りに惹きつけられるように、ゆっくりとその部屋に近付いていった。扉の前まで来ると、扉と部屋の隙間に、顔を近付けた。部屋の中にいる者から見たら、僕の金の睫毛で覆われた青い瞳だけが覗いているので、怖く感じるだろう光景だった。
僕は、そこで信じられないものを目にしてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます