君との修学旅行

第14話 君と一日目の昼

「おはよ」

「おはよう」

 十月の初め。早朝の六時半に、わたしと真太郎は、それぞれ二泊三日分の大荷物を抱えて、マンションの入り口前で落ち合った。

「重たいね…」

「わかるよ…」

 何と言うことか、二人とも体力に関してはある種虫以下だった。これでどうやって集合場所の市中央駅まで行くのか、早くも心の中は不安に満ちる事になってしまった。

 旅行の日程はシンプルなものだ。一日目は市中央駅に朝七時に集合し、そこから学校の手配した高速バスで奈良まで行く。バスで昼食をとって、東大寺を全体で観光した後は時間まで自由行動。時間が来たらまたバスに乗って、京都市内の宿まで移動する。

 二日目はメインとなる班別自由行動で、京都市とその近辺を自由に観光できる。それでまた時間が来たら宿に戻る形。

 三日目はタクシー観光と言うことになっていて、市内を学校が依頼した大型のタクシーで回る。ここではタクシーの台数上班割りが変わってしまうので、真太郎とは別になる。終着点は全てのタクシーが京都駅になるようにルートを組まされているから、最終的には会えるけど。

 そして帰りは何故か新幹線だ。わたし達の住む街は東京なんかに比べれば比較的奈良京都に近い。バスを使ったルートでも、高速を使えば七時半出発でお昼前には着ける。わざわざ使う理由があるのかとは思ったけど、真太郎曰く、「学校側の粋な計らい」らしい。よく分からないな。

 外に出るとやっぱり晴れている。遮光レンズをかけて帽子を被ると、少し視界が狭まる。

「それじゃ、行こうか」

「うん。まずは市電に乗らないとね」

 市電は一両編成の小さな路面電車で、始発に近いこともあって比較的マシな状態だった。

 まあ、これが七時とかになればそれこそ致命的なほどに混雑してしまう。

 混雑に備えて、普段被っている大きめの帽子の代わりに、父さんから借りたつばの小さいソフト帽に被り直した。

「そういえば、薬の類は大丈夫?」

 真太郎が聞いてきた。確かにわたしは、外出する時にかなり強めの日焼け止めが必須になる。身体は長袖のブレザーにスカートとハイソックスで何とかなるとはいえ、顔や手には念入りにしなくてはいけない。

「心配いらないわ。予備も含めてきちんと持ってきてる」

「そっか、よかった」

 五駅程乗っていけば、目的地の市中央駅前に着く。時間としては七時過ぎくらい。

 大きな観光バスが三台待機していて、その前にはうちの制服の生徒が何人かたむろしている。

 電車から降りて、バスの方へ歩いて行くと

「おーい!」

 そう声が向こうから聞こえてきた。きちんと目を向けてみると、それは椎崎君と加々美さんだと程なくわかった。

「はやいな、二人とも」

「昨日九時に寝たからな」

「健康的ね」

「さ、全員揃ったわ。早く行きましょう」

 加々美さんに促されて、わたし達はバスに乗った。

 バスの中というのは、人によっては苦手な香りがする。ガソリンと、ゴムの様なーおそらくシートだと思うー何かと、人の匂いが入り混じった微妙な香り。人によってはこれで酔ってしまうこともある。そう、わたしと彼がそうだった。

 二人して隣同士のシートに腰を下ろして、直後にわたし達は酔い止めを口に放り込んだ。彼はどうだかわからないけど、わたしは早くも若干の吐き気を感じてしまっていた。

 乗り物酔いは、主に乗り物の揺れで発生し、それを脳が上手く認識できないー実際に感じている揺れと、脳が認識している揺れのズレー事が原因になる。基本的に身体が慣れていれば別にどうということもないけど、残念ながらわたしはその辺の耐性が本当に欠けている。

 酔い止めの薬を、日焼け止めと同じくらいに念入りに父さんと母さんが確認していたのはそういうわけか。わたしは今更ながら、両親の気遣いに感謝した。

「…ごめん。ちょっと辛かったら、君の方借りるかも」

「ああ、うん。楽になるなら」

「ありがと」

 少し真太郎の肩に身体を預ける。こうして目をつぶれば、そのうち楽になるだろう。


「アオイさん、アオイさん?」

 誰かの呼ぶ声がする。この声は…真太郎かな。バスが動いている気配はない。眠ってしまったのか。思い出しながら、わたしは薄く目を開けた。

「おはよ」

 おかしい。というのは、彼の声はわたしの真上からした。そして目を開けると…彼の顔がわたしを上から見下ろしていた。

「えっ!」

 咄嗟に起きあがろうとして、わたしは彼と自分のおでこを強か打ちつけた。

「痛っ!」

「…っ!」

 その弾みで頭がまた下に戻る。少し柔らかくて、温かみのある感触。

「わたし、君に膝枕されてたの?」

「ちょっと違うかな」

 彼が言うには、わたしが眠り込んでしまった後、彼も同じ様に少し寝てしまい、気がついた時にはわたしの頭が肩から落ちて、膝の上にあったのだそうだ。

 そんなわけあるか、と言いたくはなったけど、実際この体勢だと何も言えない。前の席からは椎崎君がこれまたニヤついた顔で見下ろしてきている。

 周りの視線も気になったから、わたしは急いで体を起こす。

「ところで、どうして起こしたの?もう着いたのかしら」

「ううん。ちょうどサービスエリアに入って、休憩になったから。トイレとか大丈夫?」

「そういう事ね。一応大丈夫よ」

「そっか。じゃ、また次の場所で起こすから、膝に戻ってくれていいよ」

「もう二度とバスでは寝ないわ」

 わたしはそう固く決意した。膝枕されて気持ちよく寝入ってしまって、君にじっくり無防備な寝顔を見られた。そんな感情が渦巻いて、彼の顔を見れなくなってしまう。

「それじゃ、外の景色見てるから」

「カーテン開ける?」

「え、ええ。そうする」

 遮光レンズをかけて表情を隠す。例え窓ガラスの反射でも、今は顔を見られたくない。


 わたし達の街から目的地までは、高速道路を使って数時間程度の距離がある。都心からの夜行バスよりはずっと速いとはいえ、やっぱり暇になるのは仕方がない。

 ただ、電車とか新幹線とは勝手が違って、座席が回転できない。なので背もたれに掴まる様な形で前または後ろと話す感じになるのだけど、正直危ない気がするのでやめた。

 まあ、真太郎と喋ってたら、酔いも気にならないし、意外に早く時間は過ぎる。

 延々緑色の山と森ー中にポツポツと紅葉がある様なーの風景が終わって、少しずつ街が近づいてくる。

「見えてきたね」

 わたしの肩の方から顔を出して、彼が窓の外を見た。

 わたしにとっては初めての光景。病院以外で故郷を出たことのないわたしの目には、古い歴史の街は、どんな風に映っていたんだろう。 

「降りる支度しようか」

「うん」

 バスの速度が緩くなっていく。そして、止まった。

「はい、皆さん。到着です」

 先生がガイドさん用の機材で呼びかけた。

「それでは、まずここで昼食をとって、その後に判別で奈良を見学してもらいます。見学し終わったら、時間までに必ずバスまで戻ってきてくださいね。後、公園の鹿さんの迷惑になりますから、昼食は必ずここで食べること。ゴミもバスでまとめてくださいね」

「はーい」

 返事の後、みんなリュックから使い捨て容器に入った小さなお弁当を取り出す。わたしと彼もそうした。

 わたしが持ってきたのは少し大きめのおにぎりが二個。隣で食べている彼も、同じ発想だったみたいで、三つのおにぎりを取り出して背もたれのテーブルに置いていた。

「あれ?君、それだけで足りる?」

「うん。むしろ、これでも多いくらいかな」

 二人してもぐもぐおにぎりを頬張った後、回ってきたゴミ袋にそれを捨てて、いよいよバスを降りる時が来た。

「じゃあ、班ごとに降りてもらいますねー」

 わたし達は前の方に座っていたから、すぐに順番が来る。

「行くわよ」

 加々美さんがわたし達に告げた。

 バスを降りて、わたしが最初に感じたのは、慣れ親しんだあの街の空気とは違う、少し湿った冷たい空気だった。

「違うところなんだね」

「ん?」

「空気が違うの。わたし達、ずいぶん離れたところに来たんだなって」

「確かにね」

「おい二人とも!イチャついてないで早く!」

 椎崎君が急かしてくる。わたしと真太郎は足を早めて、二人のところへ急いだ。

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