第11話 君の目線

 一限目は夏休みの振り返りの時間だった。先生がプリントを配って、観点ごとの自己評価を書いていくと言うもの。といっても、初めて登校したわたしに何か書く事があるはずもなく、せめてこのくらいはと思って、『印象に残った事』の欄に鉛筆を走らせた。

 真太郎と花火大会に行った話を、ごく簡単にまとめて書いて、それで終わらせる。しばらくして回収の時間が来て、わたしはそれを前に回した。その時、一瞬だけ彼がわたしのプリントを見た。そして恥ずかしげに顔をこちらへ向ける。それが少し面白くて、わたしはニヤリと笑い返した。別にからかってるわけじゃないけど。

 二限目も過ぎて、三限目。今日最後の時間は、修学旅行の班と予定を相談すること。

 旅行先は、これまたよく聞く場所で京都・奈良。まあ、わたしの体質を考えれば、夏に沖縄よりはよかったことだろうと思う。

 プリントが配られて、二、三簡単な説明を聞いた後は、班決めのための実質的な自由時間になる。

 ここでわたしは、かなり大切なことを見落としていたことに気がついた。というのも、わたしは当然真太郎を同じ班に誘うつもりだったが、彼がそう思っているとは限らないことだ。ただでさえ男女で別れやすい旅行の班、さらにわたしはここに来たばかりの外国人みたいなもの。浮かれ切っていたわたしはその辺りのことを失念していた。

 まあ結局、彼はこともなげにわたしを同じ班に誘ってくれたから、特に心配した意味はなかったのだけど。

「でもいいの?わたしと同じ班になったら、他の人入ってくれないんじゃ…」

「椎崎に頼むよ。アイツならきっと二つ返事だから」

「当たり前だろ」

「やっぱり聞いてやがったか」

 真太郎がからからと笑うと、椎崎君も少し押し殺して笑い声を立てた。

「で、残りはどうする。最低四人だろ?でも見たところ、みんなグループできてるっぽいし」

「ふむ、失礼な話かも知れんが、一人心当たりはある」

「と言うと?」

 真太郎が訊くと、椎崎君は意味ありげに遠くの方を顎で示した。

 その先には、加々美さんが一人ポツンと座っている。

「あちゃあ〜…そういう事か」

「あの人規則に厳しいからな。煙たがられてんだろ」

 なるほど、そういう事か。確かに加々美さんが入ればちょうど四人、しかも男女比は同じの理想的な編成になる。だけど…。

「加々美さんはわたしと同じで嫌じゃないかな?」

「ん?別に大丈夫でしょ。だって、君は今まで学校に来てないわけで、嫌われる理由なんてないじゃん」

「そうそう。それにあの人、『一人足りないから』って誘われても、断るような人じゃねえしな」

 二人はそう言ってくれる。だけど、それはきっと知らないからだ。そして、わたしが説明するより前に二人は加々美さんのところへ行ってしまう。

 何やら三人で話し合っていたが、しばらくして今度は『三人で』帰ってきた。

「話まとまったよー」

「…よろしく」

 加々美さんはほんの少し視線を逸らしながら言った。

「こちらこそ」

 ひとまずは、これで旅行の行動班は決まった。


 始業式の日はそれでおしまい。昼前に生徒は下校して、明日から始まる平常運転の支度をする。

 わたしも彼と一緒に家路についた。

「君、学校だとあんな感じなんだね。多分一人称も違うでしょ」

「ま、まあね。ほら、いい歳した男が僕ってちょっとダサいじゃない?」

「まあ、別にそんなこと気にしないけどさ」

 そんな事を話しながら帰る。これからは、こういう日が続くのかと思うと、少し胸がときめいた。


 次の日。今日から給食ありの六限授業だ。といっても、特に気負う必要はなかったようで、わたしはすぐに授業に慣れた。何しろ、先生方のする授業は大体がもう知っている物だったから、板書なんてするまでもなく、ノートも出来てしまう。

 時折前の席の真太郎が、小声でわからない事を聞いてきて、それに答えたりしているうちに時間は早くも過ぎた。幸いわたしを先生方は指そうとしなかったので、復習がてらゆっくりと授業を受けることができたのだった。

 四限が終わった後の給食。うちの学校は班を作るも作らないも自由なので、かなり人によって対応がバラける。近くの席に仲良しがいる人は机をくっつけて食べているし、居ない人はそのまま。もしくは食べ終わった後に立ち歩いたりしている。

 いちおうわたし達は机を動かしたりはしないで、食べ終わってから喋る事に決めた。

 その日の給食は学期の初めだからだろうか、夏野菜カレーをメインにした献立だった。一口スプーンを口に運ぶ。美味しい。小学校以来だったが、やはり給食は幾つになっても美味しく感じる。わたしは一応は行儀の範囲を守ったけれど、ある種がっつくようにして食べてしまった。そしてお皿を空にした時点で、遅まきながら誰か、特に慎太郎や椎崎君に見られてないかと思い至った。

 まあ、彼らもわたしと同じようにがっついていたばかりか、真太郎は二回ほどお代わりしていたので、別に気にしなくてもいいかなと思えた。

 五、六限が片付いて、放課後。ここから先は少し特殊になる。と言うのも、真太郎は演劇大会の都合上まだ引退出来ず、部活動へ行かなくてはいけない。しかし、それだとわたしは一人で帰ることになるし、何よりいじめっ子達に因縁をつけられる可能性さえある。

 と、そこで先生が提案してくれたのは部活終了後に彼と合流するまで、保健室で過ごす事だ。まあ要は、半分保健室登校って事。

「失礼します」

「はい、いらっしゃい。津深さん」

 保健室の木原先生はとても良い人で、何度か保健室登校の生徒の面倒を見たことがある人だった。今回の事も二つ返事で了承してくれたので、わたしも父さん母さんもとても感謝している。

「よろしくお願いします」

 一礼して、近くの机に持ってきたものを広げる。保健室はどうやら少し陽当たりの悪い場所にあるようで、差し込んでくる陽光はそこまで強くはない。一応遮光レンズは持ってきているけど、どうやら要らなそうだった。

 持って来た英語の小説と、ポケット辞書、それからノートと鉛筆を机の上に広げる。最近わたしは、小説を一冊まるまる翻訳する事に時間を費やしていた。まあ、なんとなくの流行みたいな感じだけど。とにかく、後は彼の部活が終わるまで、こうして過ごしていればよかった。

 しばらく作業を進めていると、木原先生がこちらに来て訊いて来た。

「何やってるのかしら?」

「小説の翻訳です。海外の探偵物の」

「凄いわね。探偵物なんて、翻訳するのとても難しいでしょ?」

「まあ、あちこちに散りばめられた伏線とか、証言のニュアンスとか、そう言うのを訳出するのは難しいですね。後、機械翻訳みたいな感じにはしたくないので、言葉選びも大事です」

「へぇ…やっぱり、津田君の言ってた通り。あなたってとても頭が良いのね」

 津田、と言う名前にわたしの心は敏感に反応する。

「彼を知ってるんですか?」

「偶に来るわよ。お腹が痛いとか、頭が痛いとかって。月に二回くらい、体育の時間の前とかにね」

 そう言って先生はクスクス笑う。わたしもその意味に気がついて、少し笑ってしまう。

「それで、あなたの事も偶に話してくれてたわ。よく勉強でお世話になってるって」

「なるほど」

 そう言えば、わたしはここで気が付いた。木原先生は一度もわたしの見た目に触れていない。

「ところで、先生はわたしのこの見た目。変だと思いませんか?」

 つい訊いてしまった。瞬間後悔が襲ってくる。訊くのではなかった。答え辛いし、わざわざ自分が傷つくような質問をしてどうしようと言うのだ。

「…津深さん。わたしは保健の先生よ。わたしにとって、『変な生徒』なんて一人だっていないわ」

 先生は優しい声で言った。

「今まで何人も保健室登校だったり、心に傷を負った子に会ってきたけど、みんなそれぞれ色んな良いところがあって、色んな力を持っていたわ。それを変だなんて、言うわけがないでしょ?」

 ああ、やっぱり良い人だ。

「ありがとうございます」

 その言葉は、するりと自然に出て来た。やっぱり、外の世界は悪い人だけじゃなかった。彼の言っていた事は、本当だった。

 わたしは目の前の先生と、それから心の中で真太郎に感謝した。

 大体一章まるまる訳し終えたところで、時間が来た。夏に比べると、ずっと日は短くなっていて、六時半にはすでに薄暗くなっていた。

 荷物をまとめていると、廊下から話し声が聞こえてくる。真太郎と、椎崎君の声だ。

「じゃ、もう一緒には帰れないわけだな」

「別に。同じクラスだし、部活も一緒。関わり合いは減らんだろ」

「にしても、そこまで気にかけるなんて…本当にゾッコンなんだな」

「止してくれよ。別にそう言うつもりじゃ…。あ、アオイさん。おつかれ!」

「うん…お疲れ様」

 聞こえなかったフリをした。だけど、わたしの心の中は不安でいっぱいだった。わたしは、君の優しさに甘えて、君の大事な何かを奪ってしまったんじゃないか。そんな不安が渦巻く。

「あ、ねぇ…」

「ん?」

「ううん…何でもない」

 下駄箱から靴を取って、夜道に入る。

「ねぇ、真太郎君」

「ん?」

「本当に良かったの?毎日一緒に登下校だなんて…」

「別に。そうでもしなきゃ、君は学校に来てくれなかったでしょ?」

 そう言って彼はまた笑う。

「違う…そうじゃなくて…」

 口には出せない。壊れるのが怖い。もし君の本心が嫌だったとしても、知らなければ傷つかない。だから、言えなかった。

「……」

 言い淀むわたしを見て、彼は少し考えた。そして、突然わたしの背中を軽く叩いた。

「…!」

「大丈夫」

 弟か妹に語りかける様な優しい声。

「一緒に学校に行って、一緒に帰る。一番やりたかったのは俺なんだ。だから、君が一緒にいてくれるのは、本当に嬉しい。ありがとう」

 彼はわたしに微笑んで、また前を見て歩き出す。その後を少し早足で追いかけた。もう不安はとっくに、夏の氷のように解けていた。

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