第6話 君からの誘い

 月日は矢の様に、とは言うけれど確かにその通りかもしれない。彼との文通を続ける中で、わたしは段々と月日が早く過ぎる様に感じていた。

 期末テストのアドバイスや、学校であった話なんかを送り合っているうちに、時間は経って、すっかり季節は夏になっている。

 幾通かのやりとりから、段々と彼ー真太郎がどんな人間なのかわかってきた。

 まず、彼はとても面白いことが好きな人だ。部活は演劇部に入っていると書いてあったけど、そこではいつでもコメディ俳優をしているみたい。人を笑わせるのが好きなのだろう。

 それから、得意と不得意の差がとても大きい。得意な国語だとか社会とかでは、九十点代もマークできるけれど、それ以外、特に数学や英語はてんでダメらしい。まあ、そこのあたりは実際に私が教えてきたからよくわかる事だ。

 そして…彼は自分よりも他の人のことを気にする人だ。メッセージにもそれがよく現れている。彼は自分のことはあまり書かずに、他の事。例えば、誰が何をしたとか、あるいはこんなことがあったとか、そう言う事を書く。わたしが言ったからか、一応好きなものを書いてくれたりもしたけれど、やっぱり控えめだ。

 でも、彼が他の人に向ける視線は注意深く、様々なものを見通す。毎週毎週都合よく、何か書ける様なハプニングが起こるわけがないのに、彼はどこからかそれを見つけて来る。でも、だからこそ。彼が他の人やものを注意深くみてくれたからこそ、わたしの所へ来てくれたのだと思う。

 蝉の声を聞きながら、彼からのメッセージを振り返っていたわたしは、ふと机の横にかけてある日めくりカレンダーを見た。

 日付はもう七月の半ばを示していて、彼との交流が始まってから一月半が過ぎた事を教えてくれる。そして、もうすぐに夏休みが来る。

「そっか、もう答えを出さないと…」

 夏休みが来れば、彼とは当分の間やり取りがなくなる。彼を待たせたくはなかった。夏休みに入る前に、結論を出さなくてはいけない。

 しかし、この期に及んでもわたしはまだ迷っていた。陽の当たる明るい場所へ行こうとするわたしを、あの冷たい風が掴んで止める。

「アイツも同じだ」と。笑顔の裏には、きっと同じものが張り付いている。冷たい風は、決してわたしの手を離してくれない。彼の気持ちがどれだけ誠実で温かくても、わたしは踏み出せない。

 自分の足で歩かない限り。

 転機は、その次の日にやってきた。わたしの人生を大きく変えるそれは、夕方に、真太郎と共にやってきた。

「やあ、元気?」

「あ、君か」

 最後のメッセージで、彼は終業式の日に直接夏休みの宿題なんかを渡しに行くと、事前に教えてくれていた。前のわたしなら、一も二もなく断っていたと思うけど、その時のわたしはごく気軽にそれを承知した。

「はいこれ。受験生だってのに、容赦ないよね本当に」

「まあ、それは仕方ないよ」

 久しぶりに見る彼は、少しだけ日焼けして背も少しだけ伸びて見えた。髪の毛も夏に合わせて短く切って、全体的に引き締まった印象がある。

 一方で、わたしは全然変わっていなくて、相変わらず肌は真っ白のまま。髪の毛を少し伸ばしたくらいで、特に違いはなかった。

 彼が渡してくれる課題の類を一つ一つチェックして、近くの段ボールに入れて、整理する。

 その間も取り留めのない話をして、笑顔を絶やさない彼の顔を見ていた。明日からの夏休みをどう過ごそうか、というおよそ受験生らしからぬ話題を持ち出してきて、どこへ行こうかと考えている。つい、君は受験生でしょ、という呟きが出てしまうけど、彼は少し困った顔をして、そうだよなぁ…と言ってまたすぐに笑う。やはり彼は、底抜けに明るい人だった。

 作業はすぐに終わってしまう。もうこれでおしまいなのかな。そう思っていると、彼が口を開いた。

「津深さん」

 その顔は決意をたたえていて、視線は私の目をまっすぐに射抜いて来る。

 ああ、そうか。あの時の結論を聞きにきたんだ。

 ドクンと心臓が跳ねる。頭の中では、幾つもの考えが浮かんでは消えていく。そのくせ口は接着剤でくっつけられたみたいに重くて、一言も言葉が出ない。

 彼の言葉を聞いてからだ。そんな言い訳がましい、引き伸ばしで自分を納得させる。

「何?」

 かろうじて、それだけが出た。そしてー

「…来週の花火大会、僕と一緒に行ってくれないかな」

 予想外の言葉を聞いた。

「え?」

 間抜けな声が漏れた。わたしに満ちた戸惑いの気配を感じ取ったのだろう、わたわたと彼が説明を始める。

「えっと、その来週の日曜日に夏の初めの花火大会が神社であるんだけど、一緒に見にきてくれないかなと思って…」

「いやいや、そうじゃなくて」

「?」

「わたしはてっきり、前の手紙の答えを出してって言われるのかと…」

「あ、ああなるほど」

 彼は納得した様に頷く。

「そりゃ、確かに答えは気になってるんだけど…催促したって、仕方ないでしょ?」

 少し頭をかいて、また彼は言った。

「津深さんが答えを決めてくれるまで、僕は待ってるから。ゆっくり決めて欲しいな」

「そっか…」

 なんだ、やっぱりだ。やっぱり、彼はそう言う人だった。

 ほんの少し笑みが溢れる。わたしの手を引いていた冷たい風が、遠くまで去って行くのを感じた。

「それでさ、その花火なんだけど…」

「何処でやるの?」

「山の方の神社。そこから海であげる花火を見るんだって。一緒に屋台も出るから、ちょっとしたお祭りかな」

「ふうん」

「前に穴場を見つけたんだ。頂上の方の山道沿いに、ちょっとした場所があってね…」

「そっか」

 すこし考える。よくよく話を聞けば、私にとっては全てが初めてのことだった。

 親以外の誰かと出かけるのも、夜に出歩くのも。クラスメイトと一緒に歩くのも。でも、不思議と嫌な気持ちはない。

 あの文通は、わたしを根本から変えてしまったみたいだった。

「一つだけ、条件があるわ」

「何?」

「わたし、親以外の人と外を歩くのは初めてなの。夜に外へ行くのもね。だから…」

 薄い呼吸。そして、一歩踏み出して、彼の耳元で囁く。

「君が私の隣を歩いてくれるなら、いいよ」

 彼の顔が真っ赤に染まる。その鮮やかさに、してやったり、という笑みが漏れる。

「それじゃ、よろしくね?」

 精一杯の強がり。わたしは悪戯っぽく、彼に笑いかけてみせた。


 父さんと母さんの了承を得るのは、思ったよりも簡単だった。

 夜遊びなんて初めてだから、親が付いて行くとでも言われるんじゃないか、とヒヤヒヤしてたけど、二人とも簡単に首を縦に振った。

 それどころか、

「よかった。アオイが友達と一緒に遊びに行くなんて…」

 と喜ばれるほど。別にまだ彼をそう認めたわけではない。わたしはもう一度自分自身にそう言い聞かせた。

 でも、折角だからキチンとした格好をしていこう。そう思って、洗面所の鏡と睨めっこを続ける。

 五月ごろから、少しずつ伸ばしていた髪の毛は、今までの様な散切りの短髪ではなくなって、うなじにかかるくらいまで伸びていた。普段なら、もうそろそろ切ろうと思うところだけど、今回は特別だ。髪型に無知だったわたしは何となく、短いよりも長い方が綺麗に見えるかな」と思ってそうしていた。誰のためかはよくわからないけれど。

 一人で櫛を入れていると、後ろから母さんがやってきて、手伝ってくれる。まあ、ロングヘアに比べればまだまだずっと短いのだけど。

 その後、着て行く服選びも二人が手伝ってくれた。何しろ、今までファッションなんてろくに気にした事がなかったから、どうしようかと悩んでいたものだから、見るに見かねたのだと思う。

 とはいえ、そう服のバリエーションが多い訳でもない。折角だから浴衣でも、とは思わないではなかったけど、念の為という事で普通の洋服に。そして、あれこれと話し合った末に、服装は白のブラウスに黒の裾長スカート。これだけでは、という事で、母さんが昔使っていたブローチのついた紐ネクタイを首に巻いて、襟元で締める。

 襟元の青色の石が、光の反射で鈍く光っている。まるで、目がもう一つ増えたみたい。そう例えたら、母さんがすこし笑っていた。

 それから、ろくに使っていなかったお小遣いの袋から、千円札を一枚取り出す。十年間溜まりっぱなしだった袋は、二、三枚抜いたとしても、全然薄くはならない。だけど、このくらいで良い。いつかまた使う機会が来るかもしれないし、無駄遣いに慣れたくはなかったから。

 とにかくわたしは、精一杯のおめかしをして当日を迎えた。陽が沈む直前、夕方の茜色が街を照らす中、わたしは彼のいる場所へ向かった。

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