第21話 動き出す災厄➂

 そこは《アシカル亭》の一階食堂。

 時刻は昼を過ぎ、人の姿もまばらになった頃。

 フィーネリアとリンダ。そしてイバラキの三人は何も語らず席に座っていた。

 彼らがその場で沈黙すること、すでに二十分。

 すでにオルバは一人、フフラン村の跡地に向かっていた。

 その場所に、村を襲ったドラゴンがまだいるかは分からないが、恐らくオルバならば簡単に標的を探し当てて捕捉するだろう。そして抜かりなく情報を収集するはず。


 フィーネリアたちはこうして、ただオルバの帰還を待っていればいいのだが……。


「ねえ、フィーネちゃん」


 流石に沈黙に飽きたのか、リンダが頬杖をついてフィーネリアに問う。


「はっきり言って、オルっちの様子、おかしかったよね?」


「………そうですね」


 フィーネリアは視線を落として頷いた。

 確かに、あの時のオルバの様子はおかしかった。

 特にフフラン村の名を聞いた時。

 そして、その村を滅ぼしたというドラゴンに対する強烈なぐらいの敵意だ。

 オルバが殺意にも等しい怒りを抱いていたのは、疑いようもない。

 しかし、その理由が分からなかった。


「もしや御館さまには、フフラン村……もしくは、件の龍と因縁があるのかもしれんな」


 と、両腕を組んで瞑想していたイバラキが言う。


「まあ、そんな雰囲気だったね」


 それに対し、リンダが赤い鬼に視線を向けて同意する。

 が、すぐに眉をひそめると小首を傾げて。


「けど、オルっちとフィーネちゃんって、このファランに来てまだ日が浅いんだよ。村もドラゴンも因縁がある線は薄い気もするね」


「………確かにそうだな」


 イバラキがあごに手を置いて呻いた。

 フィーネリアも困惑したように眉根を寄せている。

 オルバと件のドラゴンに因縁があるのならば、彼と一緒にこの世界に来て以降、常に行動を共にしていたフィーネリアも当然知っているはずだった。

 しかし、彼女にはフフラン村に行った記憶などはないし、当然ながらドラゴンと出会った憶えもない。それどころか、村もドラゴンも今まで話題に挙がったことさえなかった。


「う~ん、オルっちが何かを隠しているのは間違いないんだけど……」


 リンダは頬杖をやめて、頬そのものをテーブルにつけた――その時だった。


「あっ! そうだ!」


 いきなり金髪娘は上半身を跳ね上げた。

 続けて興奮気味な様子でフィーネリアの方へと目をやり、


「ねえ、フィーネちゃん! フィーネちゃんって、ドローンみたいな偵察魔法を持っているって話だったよね!」


「あ、はい。神意魔法の一種です。効果は山一つ離れた位置からでも偵察できる……あ」


 説明中に、リンダの言いたいことに気付くフィーネリア。

 そして頬に手を当てて年上の女性に尋ねる。


「あの、もしかしてリンダさん。少し離れた場所からオルバさんを監視しようとか思っていませんか?」


「うん! 話が早いね! 流石フィーネちゃん!」


 はっきりとそう答え、満面の笑みを見せるリンダにイバラキが渋い顔をした。


「御館さまを監視するのか? それは忠義に反するぞ」


「もう! 頭が固いよ、イバラキっちは! ただ言われたことを守るだけが忠義じゃないでしょう。何よりイバラキっちだって気になっているんでしょう!」


「………う、む」


 イバラキは腕を組み、再び呻いた。それから主君が伴侶と呼ぶ女性に尋ねる。


「御妃殿」


「あ、はい……じゃなくて私は妃じゃありませんって」


 そろそろ『妃』の呼び名を受け入れそうになっている自分を叱咤しつつ、フィーネリアはイバラキに視線を向けた。


「何でしょうか? イバラキさん」


「御妃殿はどうしたい? 御館さまの動向が気になるのか?」


「それは……」


 フィーネリアは困惑した表情を浮かべる。

 オルバは明らかに何かを隠している。本音としてはその内容を知りたい。

 何より彼女は、オルバの真意を知るために傍にいるようなものだ。


 魔王だった彼が何を考え、このファランで何を成そうとしているのか。

 今回の一件は、それを知る絶好の機会なのかもしれない。


 フィーネリアはしばし考え込み、


「私は……やはりオルバさんの動向は気になります」


 結局、素直な思いを告げることにした。


「………そうか」イバラキは首肯する。


「ならば仕方あるまい。多少危険ではあるが、山一つの距離があれば充分だ。それがしの足ならば御妃殿とリンダ殿を抱えて逃げるのも容易だろう」


 言って、のそりと立ち上がる巨躯の鬼。

 そして身体を解すように首をゴキンと鳴らした。


「やった! イバラキっちもやる気になったね!」


 思惑通り進み、リンダはニカッと笑った。

 一方、最終的な結論を促したフィーネリアは、まだ少し困惑していたが、


「……そうですね。私の身体強化魔法もあります。距離さえあれば大丈夫かも」


 そう呟いて、すくっと立ち上がった。

 善は急げと言う。すでにオルバが先行している以上、すぐにでも動く必要があった。

 フィーネリアはイバラキとリンダを見据えて、


「分かりました。それじゃあ急いでオルバさんを追いかけましょう!」


 決意を秘めた声でそう宣言した。



       ◆



 かくして、フィーネリアたちが行動を開始し始めた頃――。

 オルバは一人、飛翔魔法である《風翼翔ウインダー》を使用して大空を駆けていた。


 頬を叩く強い風。

 オルバの黒髪と貫頭衣がたなびき、風切り音が耳を打つ。

 その速度はまるで砲弾にも等しく、今もさらにグングンと加速を続けていた。


(……ドラゴン、か)


 その時、オルバが眉をしかめた。

 強い苛立ちが胸中で渦巻く。魔王は静かに拳を握りしめた。

 実のところ、オルバはドラゴンの偵察をする気など一切なかった。

 偵察と言うのは、一人で行動するためのただの口実だ。

 彼は単独でドラゴンに挑み、問答無用で仕留めるつもりだった。


 魔王の全力を以て殲滅する。

 最初からそのつもりだったのだ。


「……しかし」


 オルバは轟風の中、紅い双眸をすっと細めた。


「やはり、アナスタシアの懸念通りになってしまったか」


 友人の忠告を思い出して独白する。

 今回の襲撃は、元々オルバとアナスタシアが懸念していた事だ。

 出来ることならば、ただの杞憂であって欲しいとも考えてはいたが、敵が『ドラゴン』であることから、その事実は疑いようもない。

 村を襲ったドラゴンは『奴ら』が好んで使う尖兵だった。


「わずかな救いさえも、貴様らは許さぬと言うのか」


 ぼそりと呟いたオルバの声は、実に冷淡なモノだった。

 まさしく恐怖と破壊を司る魔王の声である。


「ならばもうよい」


 オルバの独白はさらに続く。


「余にとって貴様らはやはり敵だったというだけのことだ。だがな……」


 一拍置いて、魔王は激情と共に言葉を吐き捨てた。


「貴様らに余の怒りが分かるか」


 黒い貫頭衣を纏う少年は、さらに強く拳を握りしめた。

 爪が皮膚に食い込み、血が滲み始める。それでも拳の力は緩めない。


「余の『愛しき子たち』を、貴様らは無残に殺したのだ」


 ギシリ、と歯を軋ませる。

 明確な怒りが、ありありと表情に刻まれる。


 ――フフラン・・・・

 ああ、フフランだ。忘れもしない。


 遥かなる遠き日。

 あの時、フフランは危機的な状況にあった。


 目の前にある巨大な蒼い球体。それがフフランだった。

 遠見の魔法で見るその姿には、無数の亀裂が奔っていた。

『奴ら』の干渉が始まっているのである。


 アナスタシアから聞きはしていたが、これを見たのは初めてのことだった。

 果たして『奴ら』にとって気に入らないことがあったのか。

 それとも、ただ飽きた・・・のか――。


 いずれにせよ、フフランには一刻の猶予もない。

 未完成の魔法であっても、あれに頼るしかなかった。


 ……だが、結果は失敗したと思っていた。

 蒼い球体フフランに無数の黒点が出現したのは確認した。しかし、それが意図通りの効果を上げたかは、当時のオルバには感知する方法がなかったのだ。

 ややあって砕け散る蒼い球体フフラン。黒点も消えた。


 結局、自分の手は誰にも届かなかったのか……。


 そう思っていた。


 けれど、事実は違っていた。


 今日、初めて知った。

 彼らは生きていたのだ。

 彼らフフランの欠片たちは、このファランの大地にて生きていたのだ。

 この大地に種を植え、芽吹き、生き続けていたのである。


 まさに自分が遠き日に願い、望んだ通りのままに……。


 ――だというのに・・・・・・

 再び、ギシリとオルバの歯が鳴った。

 抑えきれない激しい憤怒がオルバの心を占め、莫大な魔力が魔王の身体を覆い始めた。瘴気にも似たその圧力は周囲の大気を歪ませる。


「……断じて許さぬぞ」


 そしてオルバは憎悪の眼差しを前方に向け、大きく肩を震わせた。

 きっと彼の愛し子たちは、この上ない恐怖を抱いて逝ったに違いない。

 抗うことも出来ずに虐殺されたのだ。

 彼らの恐怖と絶望が一体どれほどのものだったのかは、考えるまでもない。

 それは、決して許せるようなことではなかった。


「よもや楽に死ねると思うなよ。余に断りもなく・・・・・・・這入りこみし蛇・・・・・・・・よ」


 ――確実に屠る。

 オルバは決意と共に強く唇を噛みしめる。

 そして静かに激怒する漆黒の魔王は、さらに加速した。

 風は吹き荒れ、黒い髪は大きくたなびく。

 その姿は、まるですべてを貫く黒い槍のようだった――。

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