第二章 ゾンビ(6)

 銃火器を構えたルディたちとともに、一階へと降りる。階段近くの透明な扉は既に閉じられていて、ゾンビたちがその前をうろついていた。

「ここまでは安全だ。逃げるとき、鍵をかけたからな」

 パーカー曰く、貯蔵庫は階段を降りてから暫く歩く必要がある場所にあるらしく、うじゃうじゃといるゾンビの中を進むのは、アリス以外、自殺行為だと言えた。ルディはちらりと僕の方を見る。


「それで、お前の作戦は上手くいくのか?」

「上手くいくよ。前例があるからさ」

「ほお」


 ルディはトランシーバーを取りだす。


「サヴィーニ、モニカ。いつでもいいぞ、始めろ」


 天井の方から、男女の大声が聞こえてきた。


「おい、化物ども!」「こっちにいいもんがあるよ!」「こっちに来いよ」「ほらほらほらほらほら」


 二階にいるサヴィーニとモニカがドアを叩いたりしながら大袈裟に騒いでいる声である。

 ゾンビだらけで人のいないモールの中ではその騒ぎはよく響いた。ぞろぞろあてもなく動いていたゾンビたちは、騒ぎ声に気づき、ひょいと顔を上げると、吹き抜けの中心にある二階へと繋がるエスカレーターへと群がっていった。ルディはトランシーバーに話しかける。


「いいぞ。戻ってこい」


 後ろの階段から髭面の男とカールかかった栗毛の女が帰ってくる。サヴィーニとモニカだ。


「『死体』ども、音に釣られてバカみたいに上に群がってたぜ」

「江渡木だっけ? いい作戦思いつくじゃん」


 モニカが僕の背中を強く叩いた。僕は前のめりによろめく。ゾンビは音に敏感で、音のする方へと向かう。その習性を利用してゾンビたちを二階におびき寄せる。映画『ゾンビ』でやっていたことだ。

 この世界は映画の世界だ。映画の『あるある』が適用されていることも、ラリーがカメラの画角外に手を伸ばして噛まれたという事例から確認済み。

 ならば。映画で成功していた作戦も、成功するはずだ。


「さて、食料備蓄エリアに行こう。まだ残っている『死体』に気をつけてな」

「そうですね。行きましょう!」


 と、アリスが一番前を意気揚々と歩きだそうとするので、僕は慌てて彼女の腕を掴んだ。


「待て待て待て、一番前を歩くな。そんな、いの二番に襲われるようなところを」

「いの一番ではないのですか?」

「一番は後ろか、はぐれているやつだ」

「ならば私が一番後ろに立つべきでしょうか」


 悩ましい。と言わんばかりに、アリスは顎に手を添え、首を傾げる。


「私が一番危ない場所に立った方が、彼らを救えるでしょうし」

「懺悔してないって怒ってたのに、ルディたちも助けるのか?」

「当然です。彼らはまだ『懺悔しない』とは言ってません。ならば、彼らはいずれ懺悔し、改心するかもしれません。ちゃんと罪を口にするまで待つのも、私の役割です。彼らを見捨てるのを、神さまは許しません」


 アリスは両手をぐっと握りしめながら言う。そうかな。あの神さまは、改心物語を良しとするようなやつだろうか。ともかく、僕らは一階を移動する。

 残っていたゾンビの数はまばらで、僕らに気づいたところでゆっくりと近づいてくるだけだから、特に問題はない。最初は離れた位置から撃ち殺していたルディたちも、弾が勿体ないからと銃床で殴ったり蹴飛ばしたりして、倒れるゾンビをゲラゲラと笑って眺めていた。

 モールの一階は、様々なものが散らかり、壊されていた。強盗被害にあった家。まさしくそのままというか。


「ついたぞ」


 ルディの足が止まった。辿り着いたのは、シャッターの閉まったスポーツ用品店であった。


「モールに逃げたとき、保存の効く食料品はここにひとまとめにしておいた。だったよな、パーカー」


 ルディは振り返りながら、パーカーに尋ねる。彼女はびくりと体を震わせてから頷いた。


「『死体』が戻ってくる前に、さっさとここから物資を回収するぞ。サヴィーニ、モニカ。やれ」

「え、私がするのかい?」


 モニカは驚いたように自分の顔を指さす。ルディはなにも言わずに、あごでシャッターを指す。


「王さまは力仕事をする気はないらしい。ほら、さっさとやろうぜ」


 サヴィーニはけっけ。と笑いながら、髭を櫛で梳く。


「あんた一人でもできるでしょう」

「錆びついてて一人じゃあ持ち上げられねえよ、これは」


 僕は少し離れた位置に立ち、二人にカメラを向ける。二人はシャッターの下を掴み、持ち上げる。ガチ。と固い音がした。モニカは不思議そうな表情を浮かべて、シャッターを掴んでいた手を引き戻す。右手の人差し指が無くなっていた。ぴゅっぴゅと血がふきだしている。

 指が四本になっている。その現実がよく分からないのか、モニカはふきだす血を呆然と眺める。


「私の指は?」


 指が落ちたのは、シャッターの向こう側だろう。少し開いているシャッターの下から、覗きこむ。僕もカメラを下に入れて、ライトをつける。

 ゾンビが中にいた。

 頭の右上が削げ落ちているゾンビは、モニカの人差し指を飴みたいに舐めていた。歯に当たるたびに皮が削れて、白かった指がちょっとずつ赤色に変わっていく。


「わ、たしの人差し指っ!」

「おい!」


 モニカはかあっと顔を紅潮させ、シャッターの裏側に入り込む。残されたサヴィーニは、シャッターから手を離せず、声だけあげる。

 僕は外からカメラを回す。シャッターの内側には、ダンボールが山のように敷き詰められていた。

 中に侵入したモニカは、ダンボールのひとつを抱え込むと、彼女の中指を舐めているゾンビめがけて、振り下ろした。削げ落ちた頭部にダンボールの角がめり込む。粘着質なゼリーの中に突っ込んだような、実に奇妙な音がした。へこんだダンボールに、脳漿とピンクの蛆みたいなのがひっついていた。ゾンビは動かなくなって、彼女の指は地面に落ちた。

 彼女は慌てて、それを拾い上げる。指の肉は刮がれて、他の指よりも一回り細くなっていた。


「ゆ、指。指っ。私のユビッ」


 彼女は指を荒い切断面にぐりぐりと押しつける。そんなことしても指はひっつかないけど、それでも彼女は一心不乱に、指を押しつける。

 暗いシャッターの内側で、なにかが動いた。ダンボールの山の影に潜んでいたゾンビたちが、モニカの喧々とした声に、姿を現した。モニカは驚き、尻ポケットに入れていた拳銃を突きつける。しかし、利き手なのだろう右手の人差し指は床に落ちていて、トリガーを弾くことができない。


「ゆ、ゆびっ。ゆびっ! ゆびっ!!」

「モニカ! こっちに来い!!」


 銃を構えるモニカの腕に、ゾンビが噛みついた。一体、また一体とモニカに群がるようにゾンビは噛みつく。食らいつく。ルディが一体、ゾンビの頭を撃ち抜いた。それでも彼女は襲われ続ける。ゾンビに殺されるという恐怖感はない。


「そこのシスター!」

「は、はいっ!」


 サヴィーニは、シャッターを押さえるのをアリスに変わってもらおうと、首だけを動かして背後を見た。その口からは血が溢れていた。

 ずぐ。とサヴィーニの背中から棒が飛びだした。先が尖っている鉄パイプ。赤い血が光っている。


「ずっと、待ってた……」


 シャッターの内側から弱々しい声が聞こえてきた。女性の声だが、モニカの声ではない。モニカを無造作に食べるゾンビたちの横に、今にも死んでしまいそうなぐらい顔面蒼白の女がいた。

 彼女の肩には、ゾンビに噛まれた痕があった。


「ル、ルーダ!」


 パーカーが叫ぶ。ルーダ。それは、彼女が見捨てた知り合いの名前だった。ルーダは声に気づくと、柔和な笑みを浮かべた。


「パーカー、無事だったのね……」


 死んだと思っていた知り合いが生きていた。僕は驚かなかった。なぜならば、パーカーは「死ぬ瞬間を見ていない」からだ。『画面外で死んだと思われていた人は、往々にして、生きている』。それもまた、ホラー映画のお約束だ。


「私、だけになった……」


 ルーダは呟く。


「私たちは、待っていた。私たちのコミュニティを襲ってきた暴徒どもが、食料を保管しているここに来ることを」「暴徒がせっかく手に入れられるはずだった物資を」「みすみす諦めるはずがないと思ったから」「だから」「私たちは待っていた」「待っているさなか」「皆死んでいった」「皆死んで、『死体』になった」「残された私は」「皆に食べられないように」「ダンボールの上で、必死に待った」「待った」「待った」「待った」「指を噛んで」「腕を噛んで」「肉を噛んで」「耐えて」「そして」


 ルーダはサヴィーニから、鉄パイプを引き抜く。彼は足に力がこもらず、膝から崩れ落ちる。


「こうして、やってきてくれた」


 両手で構えた鉄パイプを、ルーダは眼球から、頭に突き刺した。床にぶつかり、甲高い音がする。

 くの字に背中を折り曲げたサヴィーニは、その腹で下がるシャッターを押し止めるようにして、動かなくなった。


「もう、ひとり」


 シャッターの隙間から、ルーダが這いでてくる。じっと睨む彼女に、ルディは銃を構える。


「死に損ないめ」


 銃声。銃弾は床にぶつかり、ヒビをつける。

 ルディの狙いが悪かったわけではない。引き金を引くとき、パーカーがルディに体当たりをしたのだ。よろめくルディに、パーカーは飛びかかり、彼の背中を床にたたきつける。


「ごめんなさい!」


 パーカーはルディをおさえながら、彼の方を向いたまま叫ぶ。

 ルディに謝っているわけではないことは、僕にだって分かる。


「私は、あなたを見捨ててしまった! 助けることだってできたはずなのに! 『死体』を恐れて、自分の無事のために、あなたを見捨ててしまった! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 ルーダは目を丸くしてから、口元を緩める。


「平気よ。謝らなくていい。私もきっと同じことをしただろうし、それに、私は今――安堵しているの」


 僕はルーダにカメラを向ける。ルーダは鉄パイプを杖のようにして立ち上がりながら、肩にある噛まれた痕を撫でる。


「もう必死に生きなくてもいいんだと思うと、気が楽なの」


 ルーダはダラダラと流れる脂汗を拭おうとすらしない。拭う力すら残っていないのかもしれない。

 彼女の顔は死人のように青ざめていて、脂汗が顔を覆うほどで。

 しかし、彼女の表情は、とても爽やかだった。

 しがらみが消えてなくなったように、晴れやかだった。


「だから」


 ルーダは鉄パイプをルディの右腕に突き刺した。ルディは痛みで猿のような大声をあげ、持っていた拳銃を手放した。


「私のことは気にしないで、あなたは逃げて。あなたはまだ噛まれてないのだから、生きないといけないの。私と違って、ね」


 シャッターを押さえるように挟まれているサヴィーニが、呻き声をあげながらシャッターをバンバンと両手で叩く。音に釣られるように、中からゾンビが這いだしてくる。一番奥にはモニカの姿もある。胸より下が虫穴のように食い荒らされていて、大腸と胃を地面に擦らせながら残された右手で這っている。これ以上ここにいたら危険だ。


「パーカーさん!」


 僕はルディを取り押さえているパーカーに声をかける。復讐話は撮り終えた。謝りたかった相手に謝って、憎いやつはこれからゾンビに喰われて死ぬ。完璧とは言えないが、ハッピーエンドの映画に仕上がっただろう。


「はやく逃げよう」

「は、はいっ」


 パーカーはルディから手を離し、もう一度ルーダの方を見る。


「……ごめんなさい」

「いいって。だから、もう。気にしないで」


 ルーダは呆れたように笑った。そのこめかみから血がふきだした。


「ぷ――っ」

「え」


 被せて、銃声。ルーダの体がぐらりと傾き、倒れる。


「なめるなよ、クソが……」


 ルディが鉄パイプが刺さったままの右腕を庇うようにしながら立ち上がる。その左手には、銃が握られていた。


「俺は王だぞ。モニカみてえなバカと一緒にするなよ。利き手がなんだ。右手が使えねえなら、左手を使えばいい話だろうがよぉ!」


 ルディは怒りのままに倒れたルーダの腹を思いっきり蹴り飛ばした。声も抵抗もない。床を滑り、ルーダの体は、サヴィーニにぶつかった。


「ル、ルディっ!」

「お前も!」


 銃声。ルディに向けて走ろうとしたパーカーは前のめりに倒れる。じわりと頭から血が溢れる。


「助けてなんかやるんじゃあなかったよ! 食料の在処を知ってるっつうから助けてやったのによ! 『死体』ばっかじゃあねえか!」


 倒れたパーカーの体を、ルディはひたすらに踏みつけ続ける。その表情には怒りしかない。許せないという気持ちではない。娯楽ゲームで負けてしまったムカつき。単純なまでの軽薄で、それゆえに純粋な怒りがあって、それをパーカーの背中に叩きつけている。


「まずい」


 ルーダは死んだ。パーカーも死んだ。残る怒りの矛先は――僕らだけだ。

 僕はアリスの腕を掴み、きびすを返す。背後から銃声がしたのは、ほとんど同時のことだった。

 じっ。という音が頭の上からした。それが、頭上を通過した銃弾が、髪の毛を削った音であることは、考えないで、僕らはひたすら、来た道を走った。

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