第15話

 久々に登校した千佳は校門でのいつもと違う光景に足を留めた。

 黄色の鉢巻をした一団の生徒たちが校門の前で、横断幕やプラカードを手に、ビラらしきものを配っている。正面と違う方向から登校してきた千佳には横断幕の字は見えなかったものの、

「あれ?」

 と呟いて千佳は目を見開いた。プラカードを持っている学生の横顔に見知った顔があったのだ。

 香奈だった。香奈も千佳に気付いたのか、プラカードを持った手と逆の手を上げると、肩のあたりでひらひらさせた。何やっているの?と思わず見たプラカードには、

「佐地修介君の謹慎撤回を要求します。不当処置絶対反対」

 と太文字で黒々と書かれていた。

「え?」

 立ち尽くしていた千佳を見て、香奈が、たたたっと駆け寄ってきた。

「千佳も、一緒にやろう。来なよ」

「え・・・何やっているの?」

「見ればわかるでしょ。ストライキよ」

「ストライキ?」

「抗議活動よ。佐地君の不当謹慎反対って」

 そう言うと香奈は千佳の手をつかんで引っ張った。あ、と言う間もなく千佳は校門の脇に陣取る集団の中に引き込まれた。

「みなさん、佐地君が助けた芹沢千佳さんが今日から無事登校することになりました。これは佐地君が助けてくれたおかげです。ね、そうよね」

 突然、集団の前に引き出されて、

「え、あ・・・」

 千佳は戸惑った。集団の中にはクラスの見知った顔もあれば、学年が別なのか知らない子もいる。男の子も女の子も半々くらい、全部で二十人ほどだった。その二十人が熱意を持った視線で自分を見つめてくる。

「ええ・・・」

「そんな佐地君を謹慎させるなんて、どうかしています。みなさん、そうですよね」

 香奈のアジテーションにオー、という声が上がった。

 香奈って・・・こんな子だったっけ?千佳は思わず横にいる香奈の顔を盗み見た。愛らしい額に汗が浮いている。汗をそのままに香奈は千佳を振り向くと

「芹沢さん、ひとこと・・・。ちなみに佐地君と芹沢さんはきちんとしたお付き合いをしているんです。その彼女を佐地君は命を懸けて救ったんです。すてき」

 と手を合わせた。集団が、どっと沸き、千佳は思わず赤面した。

「ちょっと、香奈、やめてよ」

 気付くと、登校してきた生徒たちがちらちらと自分たちの方に興味ありげな視線を向けてくる。中には立ち止まる生徒もいる。

「あ、みなさん、ありがとうございます・・・」

 仕方なしに千佳が頭を下げた時、千佳の担任の教師の吉田が校門から駆け寄ってきた。

「お前たち、すぐに解散しなさい」

 顔を真っ赤にして吉田が集団に向かって命じると、

「先生、佐地君の謹慎処分をすぐに解いてください」

 香奈が声を張り上げた。そうだ、そうだ、と声が上がった。

「佐地の処分については今日これから、職員会議で検討することになっている。こんなところで騒ぎを起こすと却って面倒な話になるぞ」

 吉田は言ったが、

「じゃあ、佐地君の謹慎を解いてください。もし、そうでなければ明日も同じことをします」

 どうどうと反論した香奈の言葉にみんな真面目な顔で頷いている。

「先生一人で決められることじゃない。だが先生たちは生徒の事を思って真剣に議論している。それは理解しろ」

 苦り切った表情の吉田に香奈たちは頭を寄せ合って何か話していたが、

「では今日の所は解散します。真剣な対応をぜひ宜しくお願いします」

 そう言って頭を下げた。集団は校内に戻っていき、香奈が振り返っておいでおいでをしたが、

「芹沢、お前はちょっと来てもらいたい」

 と吉田が言ったので、千佳は仕方なしに首を横に振り、吉田を指さした。それで香奈も分かったようだった。

「・・・はい」

 そう返事をすると、吉田は教務室のある方向へ直接歩き出した。足早に歩く吉田の後ろを千佳が小走りに追った。だが、校内に入った途端、吉田が突然立ち止まったので、千佳は危うくぶつかりそうになった。

「芹沢・・・」

 担任の教師の顔が眼前にあり、思わず千佳は後ずさった。

「大変だったな。何もなくてよかった」

 吉田の眼がうるうるとしていた。

「もし、俺が佐地の立場だったら、同じことをしていた。もっとも佐地のようにうまく助けられたかはわからんが」

「せんせい・・・」

 思わず抱ききそうになる気持ちを千佳はこらえた。んな事したら、何言われるか?

 だが、吉田はそれだけ言うと、

「ほれ、スリッパ」

 と、職員用の下駄箱から茶色のスリッパを出して、ペタンと地面に置くなりさっさと教務室の方へ向かっていった。

「あ・・・」

 外来者用と黒のマジックで書かれたスリッパは何人の足に踏まれてそうなったのか、よれよれになった表面から厚紙のようなものが覗いていた。一瞬躊躇ったけど、取り残されそうになった千佳は慌てて靴を脱ぎスリッパに履き替えると教務室へ続く道を吉田を追った。


「失礼します」

 吉田に連れられて教務室に入った千佳は一斉に自分に向けられた視線に思わず後退った。様々な視線だった。吉田のように同情と激励の視線もあれば、犯罪に巻き込まれた生徒への興味津々といった視線もあった。中には自分に対する怒りを表している視線らしきものもある。

「芹沢千佳君・・・」

 校長が朗々とした声を上げた。朝礼の時とそっくりな話し方だった。五十半ばなのに白髪が混じった、でもふさふさの髪をした偉丈夫いじょうぶの校長はそこそこ貫禄がある。きっと校長先生になるには、そうした資質が必要なんだろう。

「まあ、座り給え」

 そう言うと校長は扉の近くに置かれた椅子を指で差した。

「はい・・・」

 教務室で殆どの生徒は立ったままでいることが多いのだけど、それは教師が座らせないのではなく生徒があんまり座りたくないのであり、長居をしたくないからだ。裏返せば、座らせられるという事はそこそこ長居をさせるという意思表示であり、千佳の気持ちは沈んだ。だが校長は

「早くなさい。それほど、時間がないのでね」

 と急かした。それは・・・良かった、と思いながら千佳はその椅子に腰を下ろしたのだった。千佳が腰を下ろすなり

「だいたい警察から事情は聞いているんだが、あなた本人からも話を聞きたいと思いましてね」

 と校長は話し始めた。

「はい・・・」

「というのも、佐地修介君の件でね・・・。君もさっき見ただろうけど、ちょっと困ったことになっていてね」

「校長、一つ芹沢君に確認しておきたいのですが」

 と手を上げたのは副校長の牧田だった。

「なんだね、牧田君」

「はい、芹沢君に聞きたいのは、あの生徒たちの抗議活動とやらに、芹沢君は関わっていないかという事でして」

 そう言うと牧田は鋭い視線を千佳に向けた。

「どうだね、芹沢さん」

 校長が尋ねた。

「いえ・・・そんな」

 千佳はショックを受けた。そんな疑いをもたれているなんて想像もしていなかったのだ。だが

「君がそそのかしてやらせているというようなことはないんだね?」

 牧田は執拗に問い質してきた。

「君の友達が率先しているようだが・・・」

「私が見た限り、そんなことはありませんでした。芹沢は校門に集まっている生徒を見て心底驚いていたようです」

 吉田が口を挟んだが、牧田は

「君に尋ねているのではない」

 と一蹴した。

「地元の新聞社とFM局がこのニュースを聞きつけて取材を申し込んできている。それに対応しなければならないのは私だ。事実を確認しておく必要がある」

「違います」

 思わず立ち上がって千佳は抗議した。

「香奈たち・・・あの人たちのやっていることはありがたいとは思うけど、でも私が唆したとかそう言う事は一切ありません」

「なら、いいが」

 牧田は不満そうに呟いた。

「もし、後で違うと判ったらそれなりのことを覚悟してもらうよ」

「牧田君、あまり脅すようなことを言ってはいけない。ところで、私からも一ついいかね」

 校長が副校長を軽くたしなめると、千佳を見た。

「はい」

「君たちは、いったいなぜあんな事態に立ち入ったのかね?つまり、犯人たちは何を目的に君たちを誘拐などしたのかね?」

「それは・・・」

 千佳は躊躇った。

「それは、私の祖父と佐地君に聞いてください。私はあんまり詳しく知らないんです」

「詳しくは知らない・・・?」

 声を上げたのはもう一人の副校長である結城という女性の教師だった。

「なら、なぜそんな危ないところについていったんです?」

「危ないことになるなんてわからなかったんです」

 千佳は懸命に声を張り上げた。

「あなた・・・本当に何もなかったのですか?」

 結城は千佳の答えを無視するかのように尋ね、みながはっとしたように結城を見た。

「親御さんの一部からそんな声も上がっているのですよ」

「何も・・・?」

 千佳は目を上げた。そして、その意味するところを悟って急に悲しくなった。結城は千佳が本当に乱暴されなかったのか尋ねてきているのだ。

「そんなことを話す場じゃないでしょう」

 吉田が抗議の表情で立ち上がった。校長も、

「それはその通りですね」

 と引き取った。

「さて、どうするか。佐地君の処置には私としてもこのままでいいとは思っていないのだが・・・」

 その時、どこかで電話のベルが鳴り響いた。沈黙が漂っている教務室を女性職員がノックして、

「すみません、お電話なんですが」

 と入って来た。

「今、会議中だが」

 牧田が不機嫌そうに答えたが、職員は申し訳なさそうに言葉を続けた。

「ですが・・・警察からなんで」

「警察?私が出ましょう。繋いでください」

 校長が応じた。回線が繋がり机上の上の受話器を取った校長の様子を教務室の全員が見守っている。

「はい、校長の高橋でございますが・・・。はい、お世話になっております。ええ、ええ、そうですか。あ、はい。分かりました。今後ともよろしくお願いいたします」

言いながら一つ軽く頭を下げた校長は、受話器を置くと、

「みなさん」

 と声を張り上げた。

「佐地君は送検しないという事になったそうです。よかったですね」

「それは不起訴という事ですか?」

 千佳の目の前に座っていた英語の教師が尋ねた。

「いや、不起訴と言うのは送検してから検察が起訴をしないという事で、その意味では更に前の段階で無罪放免ということですね。相手が暴力団がらみで拳銃を持っていたことがこの場合却って佐地君に有利に働いたようです」

「良かったぁ」

 どこからか女性の声が湧いた。

「ということで、処分がそう決まった以上、佐地君の謹慎処分は解くという事でみなさん宜しいですね」

 校長の声に頷いた教師は多かった。

「それでは異議もないということで、この場合は謹慎処分そのものが無効という形で処理したいと思います。その方が佐地君にとって良いでしょうから。吉田君、その旨佐地君に連絡をするように手配してください」

「はい」

 吉田は立ち上がって答えると、千佳の所にやってきて、

「良かったな」

 とささやいた。

「ありがとうございます、先生」

「ここで言われたこと、あんまり気にするな」

「はい」

「佐地が真実を知っている。それで十分だ、と思え」

「はい」

 下げた頭を戻すと、教務室はいつの間にか日常を取り戻していて、教師たちは教科書や出席簿を手に忙しそうに教務室を出て行くのが見えた。

「じゃ、履き替えて教室へ来い。待っているぞ」

 吉田はそう言うと、千佳の頭を撫でるように軽く叩いた。





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