DAY.10:「どうしてここまでしてくれるの?」

「……さむっ」


 両腕をさすりながら俺はベッドで上半身を起こす。


 例年、真冬が到来するまで家では半袖Tシャツで過ごす俺だが、今朝は珍しく寒さを感じた。そういえば天気予報で一月上旬並みとか言っていたような。十月下旬ともなると、朝晩はすっかり冷え込んでしまう。風邪を引かないように、今年はいつもより早めに長袖にチェンジしようか。寝込んで受験勉強ができなくなってしまったら最悪だ。冬に備え今度の休みにエアコンの掃除もしておこう。


「……んん」


 沙也さんがもぞもぞしている。最近の彼女はスマホのアラーム機能を使わずとも目が覚めるようになってきた。きっと良質な睡眠をとれているからだろう。間接的とはいえ、健康に貢献できていると思うと鼻高々だ。仕事の帰りは相変わらず遅く、外での食生活は不規則らしいが。


 ちなみに先日購入した高級枕の感想は「……普通?」だそうだ。


「そろそろ俺、自分の部屋に戻りますね。今日は日直があるからいつもより早く家を出ます」

「う……ん……」


 最初はまだ寝ぼけているのだと推察したが、どうも様子がおかしい。


 いつもは唇を結んだ状態で寝ているのに、今日は口が開いていた。呼吸も荒く、じっとしていられないのかしょっちゅう姿勢を変えている。何より額や首筋に汗が浮かんでいるのだ。この寒い室内で発汗するのは普通じゃない。


「ちょっと失礼します」


 額に手を当ててみると、医者じゃなくてもわかるくらいに熱くなっていた。


 俺はすぐに自宅に戻り、体温計を探した。そして一分もしないうちに合倉家に戻る。


「起きれますか?」

「……なんとか……」


 完全に目が覚めてからも、息は乱れたままだ。体温計を渡し、その間にキッチンで水を汲んでくる。ピピピ、という合図とともにコップと交換した。


「三八・五度……。こりゃ言うまでもなく、ですね」

「まいったな……。サドーくんは体調悪くない?」

「俺はこの通りピンピンしてます」


 念のため俺も体温を測ったが、三六・一度。完璧な平熱だ。


「仕事は休めますか?」

「ろうだろ……。急ぎの案件とかお客さんとの打ち合わせはないへれど、昼前に社内ミーティングがあうから……」

「呂律も怪しいじゃないですか。まだ週も前半ですし、さすがに休んだ方がいいですって」

「そう、だね……。あとで会社にメールしておくよ……。風邪が移ったら大変だから、サドーくんは早く部屋に戻って……。今夜は一人で寝るから……」

「でも……」

「いつも言ってるでしょ……。私、サドーくんの邪魔はしたくないの……」

「……わかりました。無理はしないでくださいね。あと、緊急事態に備えて合鍵借りてもいいですか」

「……ん……」


 唇の両端を吊り上げて応えてくれるが、その笑みは弱弱しい。


 俺は支度をして、後ろ髪を引かれながらアパートを出た。




 授業中も昼休みも気が気でなかった。一度くらいメッセージを送ってみようかと思ったが、そもそも俺は沙也さんの連絡先を知らなかった。毎日一緒にいて性格も食の好みも把握しているのにアプリのIDすらわからないとは。


 放課後、ホームルームの終了と同時に俺は猛ダッシュで学校を後にした。途中でスーパーに寄り、スポーツドリンクと食料品、冷却シートを買った。病院はアパートの近所にあるので徒歩でも行けるが、食べ物が売っているコンビニや弁当屋まで向かうのは現実的に無理だ。わざわざ出前を取るほどの食欲もないだろう。


 アパートに戻り私服に着替えてから、借りた合鍵を取り出す。昼寝をしている可能性を考慮して、そっと鍵を回した。


「……サドーくん?」


 扉を開ける前に中から反応があった。病気の時でも一人で眠るのはやはり難しかったか。


「体調はどうですか? ……って、何仕事してるんですか!」


 沙也さんはベッドから上半身を起こした状態で、ノートパソコンを膝に乗せていた。


「急ぎの案件はないって言ってたでしょ!」

「病院から戻って軽く寝ようと思ったんだけど全然寝付けないから、少しだけでもと思って……。それに今日の分の遅れを取り戻すために土日出勤したら意味ないし……」

「それで熱が長引いたらもっと最悪ですよ!」


 俺はノートパソコンを没収し、沙也さんを無理やりベッドに寝かしつけた。


「サドーくん、怒ってる?」

「そうですね、珍しく」

「……ごめんなさい」

「反省してるならちょっとでも休んでください。ご飯は食べましたか?」


 沙也さんは布団で顔を隠し、ふるふると首を振る。


 俺はドラッグストアで買った冷却シートを沙也さんの額にぺたんと貼り、キッチンに移動する。


「じゃあ軽く作りますよ。あとゼリーとかプリンとか適当に買ってきたんで、冷蔵庫に入れておきますね。小腹が空いた時に食べてください」

「サドーくん、お母さんみたい」

「せめてそこはお父さんでしょ」


 かけうどんを作るのに特別な手間は要らない。麺を茹でて、粉末スープを溶いた出汁にぶちこむだけだ。さすがに彩が寂しいので、擦りおろしショウガと刻みネギもトッピングした。


「とりあえず半人前で作りました。足りなかったら言ってください」

「ありがと。いただきまぁす」


 ちゅるちゅると、一本のうどんをすする沙也さん。何度か同じ動作を繰り返し、レンゲで汁を口に含んだ後、浅く息を吐く。


「……なんだかほっとするね。看病してもらうなんていつ以来だろ」

「余計なお世話でした?」

「ううん、そんなわけないよ」

「なら良かった」


 沙也さんはあっという間にうどんを平らげてしまった。俺はぱぱっと洗い物を済ませ、ベッド横のテーブルに参考書や筆記用具を並べる。


「今日はここで勉強してるんで、何かあったら声かけてください」

「や、そこまでしてもらうのは悪いし、風邪移しちゃったら大変だよ。それに今日はアルバイトの日でしょ?」

「チヅに代わってもらいました。悪いですが今回は引くつもりはないので、腹をくくってください」


「……なんで」


 沙也さんの声は震えていた。俺の目線はテキストに向いていたので、どんな表情をしているのかはわからない。



「どうしてここまでしてくれるの?」

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