第40話 広げた翼(前編)

 一日のうちに〈魔国デモンドカイト〉の兵はラインザの森を進行し、〈妖国フェリアーヌ〉との国境を越えていた。

 既に国王と王妃の命によって村人達は避難しているらしく、訓練を受けた戦士達が魔族を迎え撃っていた。さっさと止めないと、被害がどんどん拡大してしまう。

 風のソリから滑り下り、僕はレグルスの炎で敵を圧倒した。ペンナが加勢してくれたので、魔族達が仕掛けた複雑な魔法もあっという間に無効化することが出来た。

 サノーも例の甲冑を着て魔族の真ん中に突っ込み、音場で聴覚を麻痺させて隊列を崩してくれた。


「フロースは?」

「頭上にいる。〈心臓カルディア〉で〈命源ポエンティア〉を回収しているのが見える」


 レグルスが睨んだ先に確かにステラに守られた王女がいた。空中では近づく術もないか。


「ゼノ、我の呪いを受けてみよ」


 この声は大蛇のウィールス。黒い波動が僕を包み込み、背中から純白の翼が生えた。

 風の神殿でフロースがかけてくれた魔法と同じだ。

 僕を一番嫌っていた妖獣がこんな風に協力してくれるなんて。


「ありがとう。行ってくる!」


 フロース、そしてこの場にいる大勢の人間を救えるかどうかは僕にかかっている。絶対に成し遂げるんだ!


 勢いよく上昇し、僕はフロースと対峙した。レグルスを宿した僕を見て、フロースは驚いた顔をした。

 貪るように虹の光を集めていた〈心臓カルディア〉がゆっくりと下ろされる。近くを通りかかった虹の光は吸い込まれることなく遥か上空へ飛んでいった。

 もううな垂れているだけの僕じゃないんだ。腹を括れ。


「馬鹿じゃないの? あんたなんかわざわざ殺さなくても、〈心臓カルディア〉を掲げるだけで簡単に砂に出来るのに」

「だったら最初からそうしていればいいだろう」

「そんな強気なこと言っちゃっていいの?」

「平気だよ。だって、フロースに僕は殺せないから」


 僕の胸に向けられた手鏡がギラリと光を放つ。

 脅しているつもりか? そんなもの、今の僕には通用しない。

 フロースが魔神族の強力な魔力に任せて呪いを放ってくる。翼を翻し、全て避けた。最後の一つが襲いかかってきても、レグルスの火剣で簡単に叩き落とせた。


「ステラ、よく聞くんだ。フロースはあんたの求めるような心の持ち主じゃない。たった一部分があんたの心の内と共鳴して引き合ったとしても、もっと心の深奥へ近づけばあんたは弾かれるはずだ」

「何を言っても無駄だわ。愛する人を死なせてしまったこの悲しみは何を持っても消すことは出来ない」

「でもフロース、君はきちんと僕を愛してくれた。イグニスの影としてでも生まれ変わりとしてでもなく、一人の男として見てくれたじゃないか」

「違う。私が愛していたのはイグニスただ一人だけ」

「だったら、どうして迷った? 神殿の調査が終わった後、フロースは小瓶を叩き割った。あれはイグニスとの記憶を渡すことで、僕が自分をイグニスだと確信することを恐れたからなんだろう」

「違う。誰か他人がイグニスのフリをすることに堪えられなかったから」

「だったらその場で僕はイグニスじゃないんだと言えばよかったはずだ。何故言えなかった?」

「それは、大事なパーティーも近かったから」

「違うだろう! フロースは恐れたんだ。真実を知って僕がフロースから離れることを。失望されるのが怖くて言えなかった。フロースは僕から離れたくなかったんだ」

「勝手に決めつけないで。あんたなんかどうでもよかった。私はあんたを憎んでた。あんたさえいなければイグニスは死なずに済んだんだから」

「最初はそうだったかもしれない。でも、今もそうか? 本当に?」


 フロースがまた魔法を連発してくる。炎の壁で全てを跳ね返した。


「だったら訊こう、フロース。星の神殿で僕が口づけをした時、フロースは吹っ切れたように自分から僕を求めてくれた。あの時、フロースは誰と口づけをしていた? イグニス? それともゼノか?」

「黙ってよ! わかったような口を利かないで!」

「認めてくれ、フロース。その思いが唯一ステラを振り切る方法なんだ。ステラに、ツバサに出来なかったことなんだ!」


 ステラが締めつけるようにフロースを抱く。フロースの表情が一瞬険しくなった。

 負けないでくれ。ステラの声に躍らされないでくれ。

 僕はフロースの放つ魔法の数々を火の剣でさばきながら接近して、〈心臓カルディア〉を掴んだフロースの手を取った。

 僕の骸の体に反応して不気味な黒い石が怪しげに光り始めた。命を吸われる感覚がして、貧血を起こしたようにめまいがする。

 フロースはやめさせようと、必死に僕から逃れようとした。


「死ぬわよ」

「構わない」

「どうしてよ?」

「知ってるだろう? 僕は君には逆らえない、そういう呪いがかかっているから」


 ルビーの目がショックを受けて見開かれる。その目をじっと見ていることを伝えようと僕は手の力を強めた。


「星の神殿で約束しただろう? フロースが迷ったら、僕の信じる道を貫いてほしい。どんなに嫌だって喚いても、正しい方へ引っ張っていってほしいって。その言葉、絶対に実行するから。死ぬ覚悟あるから」

「……イグニス」

「僕はゼノだ。もう嘘はつかなくていい」

「……」

「フロース、卑屈で貧弱だった僕を愛してくれてありがとう。この呪いを、好きという気持ちをくれてありがとう。今度は僕が君を呪う番だ。 君は帰りたくなる。僕から離れられなくなる」

「帰りたくなる……? ゼノから、離れられなくなる……?」


 僕はフロースを抱きしめた。呼吸が苦しくなるほど強く抱き寄せた。


「戻ってきてくれ。フロース」


 〈心臓カルディア〉に反応して体から虹色の光が滲み出た。体からかなりの熱が奪われた気がする。このままあと数分も石の近くにいれば僕は死ぬだろう。

 そう理解しても、不思議と恐怖はなかった。むしろ、怖がっているのはフロースの方だった。

 感情を操作されているはずの彼女が、僕から恐怖を全て吸い取って代わりに感じてくれているように思えた。フロースの手から〈心臓カルディア〉がすり抜けるように落ちた。


、ごめん。私……」


 涙がこぼれ落ちる。その瞬間、ステラが弾かれるようにフロースから離れた。ステラはフロースに宿れなくなったことに気づいて半狂乱になりながら、夢中になって〈心臓カルディア〉を追いかけた。

 星の力から解放され、重力に捕らわれたフロースも降下を始めた。人一人の重みが加わると、呪いで作られた偽の翼はたちまち悲鳴を上げた。

 待ってくれ。せめてフロースを安全なところに下ろすまでは持ってくれ。

 離すまいと互いに互いの手を強く握り合う。するとそこへ優しい風が吹いてきて、僕達を包み込んだ。またもやペンナに助けられたんだ。

 ゆっくりと落ちながら、僕は下になっていたフロースと横並びになる。フロースが腕から肩へ手を滑らせ、僕の首元に抱きついた。思いが込み上げて、僕もしっかりと抱いた。

 僕にかかっていたウィールスの呪いが解け、背中の翼が綿毛のように解体されていった。暖かな風が祝福するように僕達を誰もいない村はずれの草原に解放した。

 降りて尚、僕達は互いを離すことが出来なかった。肩に顔を埋める形でフロースが泣いているのがわかる。悔しそうに、苦しそうに、肩を震わせていた。


「いいんだ、フロース。イグニスのことも大事で。愛しく思って」

「よくないでしょう」

「いいんだって。イグニスがいたから今のフロースがいる。僕もイグニスがいなかったら生み出されなかった。だから」


 フロースが僕の肩を押しやる。位置を探るように指がこめかみに触れた。

 ステラを追い出したことでまた視力を失ったはずなのに、涙に濡れた目がしっかりと僕の目を捕らえた。


「馬鹿」

「知ってる」

「お人好し」

「それは初めて言われた」

「……本当にいいの?」

「うん」

「ありがとう」


 透明な涙が頬を伝った。僕達はもう一度抱き合った。互いの気持ちを確かめ合うように。幸せを分かち合うように。


「何故?」


 ステラの声が聞こえて僕は顔を上げた。少女の姿をした神霊は怒りに震え、〈心臓カルディア〉を掲げた。

 また体から虹色の光が染み出てきた。まずい。このままでは命を奪われる。


「ステラ、やめて!」


 ステラの体からも虹の光がなびいた。自分が死んででも僕を殺したいと言うのか。クソ、折角フロースと分かり合えたばかりなのに!


 駆けつけたペンナが突風を起こし、ステラの瞑想を妨害する。ペンナを追いかける形でもう一人現れた。全身緑色の少女、イリスだった。

 イリスは僕に手をかざし、削られた〈命源ポエンティア〉を補給してくれた。ついでに虹の力を使って〈心臓カルディア〉の力も無効化してくれた。

 これは、心強い味方が来てくれた。僕は立ち上がり、深緑の火剣を作り出した。


「助けてくれてありがとう」

「次はないって言ったはずなんだけれど」

「本当に今度こそ最後だ、きっと」

「まあいいわ。ステラの失態は私達神霊の責任だから」


 僕達の周りに次々と妖獣達が集まった。互いを励まし合う僕達を見てステラは怒りを爆発させた。

 星の力が放たれ、僕達を取り囲む。モヤモヤとした感情が勇気に蓋をするように広がっていくのを感じた。感情が操作されて、戦意がそがれていく。戦いはこれからだと言うのに。


「負けては駄目よ。弾き返して!」


 ペンナが少女の姿に変わり、風の力でステラに妨害を始めた。

 強く気を持てと、一羽の妖獣が声を上げた。互いを励まし合うように僕達は敢えて大声を出した。

 すると、胸の中に染み込んだ嫌な感じが剥がれ落ちた。

 ステラが僕達には干渉出来ないと判断したようだ。ならばと標的を周囲で戦っていた妖族と魔族の兵達に変える。その瞬間、妖族も魔族もまるで正気を失ったように、敵味方関係なく戦い始めてしまった。


「ウェントス」

「行くよー!」


 ペンナの突風、イリスの光が暴徒化した群衆を吹き飛ばした。さすが神霊だと思った。

 たった二羽の力であれだけの大群の大半をなぎ払ってしまった。


「いっそのこと全部命を吸い取れればいいのに」

「だーめ」


 神霊二羽が妖族と魔族にかかりっきりになった隙に、ステラはまた僕達に標的を戻した。僕達の精神と体を守るため、ペンナはステラを、イリスは周囲の群集の相手をすることにした。

 さすがのイリスも何千人もいると相手をしきれず、光の間をすり抜けてきた兵士達が僕達に襲いかかってきた。妖獣達、それからサノーやフロースと一緒に彼らを迎え撃つ。


「ゼノ! お前はステラの相手をしろ!」


 この声はアルス? 人が多くて姿が見えないが、近くに来ているのか。


「興奮を止めてくれたら、後は俺がなんとかする。頼んだぞ、ゼノ」

「わかった!」


 アルスにゼノと呼ばれたのは初めてだ。たったそれだけのことなのに、力が湧いてくるようだった。

 火剣を携え、駆け出す。ステラも黙ってはいない。星の力で周囲の木片や石を重力から解き放った。弾丸のように押し寄せてくるそれらを僕は火剣でなぎ払った。

 神霊と言っても、精神を操られなければ前に辿り着くのは簡単だった。それは最後の攻撃を与える時も同じで。


「烈火の獅子レグルスよ、焼き尽くせ」


 深緑の獅子が首元に食らいつく、それだけでステラは大きなダメージを負って倒れた。

 当然、神霊だから死にはしない。それでも星魔法の力は収まったようで、周囲の妖族達や魔族達も我に返って戦う手を止めた。

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