第38話 質問の答え(後編)

「困ったな……。アルスにわからないことが僕にわかるとは思えないのに」

「ねぇ、私気づいたことがあるんだけど、聞く?」


 ペンナが悪戯っぽく笑って言った。僕は慎重に頷いた。


「妖霊ってね、誰にでも宿れるわけじゃないの。自分と同じだって思える部分がないと弾かれてしまうから。でもステラはフロースに宿ることが出来てる。これってどういう意味かわかる?」

「ステラとフロースに共通点があるってことか?」

「そう。まあこれ、さっき貴方がフロースからステラを追い出させればいいって言ったから気づいたことなんだけど。今のフロースとツバサって状況が似てるなって思ったの。ツバサはユウヤの代わりにアルスを、フロースはイグニスの代わりにあなたを愛そうとして、上手くいかなかった。そこが共鳴してるのかもって」

「そんなの、愛せなくて当たり前じゃないか。いくら見た目も持ってる記憶が同じでも、別人なんだから。フロースだってなんとなくそれに気づいて、パンドラの箱に入れてた小瓶を飲んでしまったんだろ?」

「その通り。でもね、私はフロースにはツバサが辿ったのと別の結論が待ってるんじゃないかって思うの」

「別の結論? どんな?」

「それは私の口からは言えないかな」

「じらさないでくれよ。重要なことなんだぞ」

「じらしてるわけじゃないよ。答えはここにあるから」


 ペンナは僕の胸を指先でトントンと叩いた。


「記憶の封印を解いてくれたら、今の貴方ならわかると思うんだけどな」

「僕はフロースに酷いことをしたんだ。思い出すだけ惨めだ」

「前から貴方はそうやって自分を卑下するけどね、言うほど酷い人じゃなかったのよ? イグニスとは違ったけど、献身的で、優しくて、王女様に仕える騎士みたいだった」

「そんなはずがない」

「素敵だったのよ。舐めてみればわかるのになー。なんで舐めないかなー。勿体ないことするなー。ずっとそばで見てきた私がいいって言ってるのに、なんで信じないかなー」


 変に体をくねらせ、言葉を重ねてくる。さすがにしつこい。

 わかったよ。舐めればいいんだろう、舐めれば。

 僕はポケットに入れていた飴を口の中に放った。滑らかな飴は勢い余って喉に達し、味を感じる前に胃袋へ落ちていった。


 記憶が花開く。溢れ出すエピソードに集中しようと、僕は目を閉じた。

 最初に見えたのは手術の前夜のことだ。僕は神殿にやってきたサノーとイグニスと遊んでいた。それから心臓が抜き取られて怖くて仕方がなかった翌日のことも。

 ここまでは辛い記憶が続いたが、それからは〈色封石ラピス・カラー〉の街でアルスと過ごした楽しい記憶が続いた。それなりに幸せだった。


 ところが、神殿の外に出られる道を見つけてしまった時、事態が一変する。外に出た僕がフロース達と出会ってしまったんだ。

 ああ、断片的には思い出していたとはいえ、こうしてきちんと思い出したくはなかったな。

 初めて会ったフロースに〈異端ゼノ〉と突き放され、傷つき、僕は震えていた。やがてイグニスと仲良くなったが、その関係も僕がフロースを好きになったことによって壊れる。

 ラインザの森を何日も歩き回って、イグニスにはもう会えないと理解した。アルスにも帰ろうと促され、僕は肩を落として帰ったんだ。そういえばこの時、誰かに見られているような気がしていたのを思い出した。恐らく魔神カエルムだったんだろうと今なら思う。

 この後、魔神カエルムの身に恐ろしい災厄が降りかかるとは考えもせず、僕はまた〈太陽ソル〉の照らす〈色封石ラピス・カラー〉の街で孤独に震えていた。


 次に見えてきたのはイグニスが死んだ日のことだ。嫌というほど事細かに思い出した。

 あまりにも辛くて僕は閉じていた目をこじ開け、ペンナに助けを求めた。

 どこにもいない。こんなに辛くて仕方がないのに。

 思い出したくもない記憶に打ちひしがれ、その場に座り込む。

 わかったよ、このロクでもない記憶に向き合えって言うんだろう。受け入れるよ、フロースを救うヒントがあるって言うんなら。


「今の誓いが本気なら、ついてきて」


 この後、フロースが言い放った言葉に僕は最初凍りついた。けれども、罪悪感に沈んだ僕に拒否する気力なんて残っていなかった。


「わかった。僕はこれからイグニスとして生きる。今の僕を殺して、生まれ変わる。どうせ神殿に入るにはアーラの呪いを受けなければならないんだろう? アーラの秘術を使って僕の記憶を消せば一石二鳥だ」


 フロースは手鏡を構え、絶望と憎しみのこもった目で僕を見た。手鏡の光が眩しかったが、僕は顔を背けなかった。

 暫く睨まれていた。気が済むまで続けると、フロースは大地図を取り出し、これからの計画を話し始めた。

 淡々と喋る声に、親しみは欠片も感じられなかった。


 そうだろう。僕はフロースに憎まれていたんだ。

 僕がフロースを閉じ込めなければ、イグニスが魔神城に乗り込むと出発したその背中を引き留めることが出来たら、イグニスは死なずに済んだかもしれない。

 消えろと言われても文句の言えないことをしたんだ。


 旅はまず三つの神殿に旅の安全を祈願するところから始まった。ペンナと仲間になったのはこの時だ。

 基本的に傍観者でいるつもりだったのか、殆ど手を貸してくれることはなかったが、殺伐とした旅路においては愛らしいマスコットのような働きをしてくれて助かった。

 ペンナがいなければ、フロースはこんなに早く笑顔を取り戻さなかったかもしれないと思う。


 その後の記憶は主にアルスとレグルス以外の妖霊を捕まえた日々に関するものだった。

 一羽目は清湖のマナティ、マルガリータ。いてつく湖で眠っていたところをアルスの光で起こして捕まえた。

 その後も木霊の鳥のディーバに鋭いクチバシで突っつかれて逃げ回ったことや、芽花のリスのアグリコラの罠に引っかかり、薔薇のイバラに包まれてフロースと一緒に抜け出すのに苦労したことを思い出した。

 恐竜の化石から生まれた偽龍のウンブラは人間を面白がって自ら〈魔鏡石スペキュラム〉に飛び込んでくれたが、呪怨の大蛇のウィールスは本気で殺す勢いで飛びかかってきて大変だった。

 あんな猛獣相手に非力な僕がよく立ち向かったと思う。頼みのレグルスが呪いで身動きを取れなくなり、僕一人で立ち向かわなければならなかったんだ。

 その時、アルスが弓の形になってくれて、僕はウィールスを討つことが出来た。

 でも、〈魔鏡石スペキュラム〉に入る直前、ウィールス最後の力を振り絞って毒牙で咬みついてきて、僕はフロースをかばってそれを受けた。フロースはウィールスを〈魔鏡石スペキュラム〉に押し込み、半狂乱で呼びかけた。


 ゼノ、しっかり。ゼノ!


 全身が焼けるように痛む中、苦しくて怖くて、僕はフロースの声にしがみついた。

 その後も何日も高熱に浮かされて、熱が治まるまでフロースが看病してくれた。とても献身的だった。あんなに憎んでいた僕に。ずっと付き添って、苦手な祈魔法をかけ続けてくれた。

 どうしてなんだと思ったのを覚えている。死んでくれればいいと思った相手だろう。何を考えているのか僕は訊きたくて仕方なかった。

 でも訊けなかった。淡い希望を抱いた自分が恥ずかしくて、馬鹿らしくて、気持ちを押しこまなければ自分が許せなくなりそうだったからだ。


 僕が完全に回復してから数日後、遂にアーラの秘術を使う日がやってきた。苦労して〈赤霊峰マウント・ルーベル〉を登り、秘術の儀式の準備を始めた。

 服を脱ぎ、手鏡で場所を探ってもらいながらフロースに呪文を体中に書いてもらった。フロースに魔法陣の書かれた紙を渡され、僕はそれを地面に転写した。

 全てが終わり、僕はフロースの元に戻った。フロースは断崖絶壁で膝を抱え、盲目の闇を見つめていた。


「そんなところにいると落ちるよ」


 僕の声を聞いてフロースは顔を上げた。そして僕に訊いた。


「あんたはこの計画、どう思ってるの?」

「どうして今更?」

「答えて」

「……やり遂げなきゃならないだろう。あの人を止めるためにも」


 僕は正直に答えた。するとフロースは僕に抱き締めてと言った。意味が分からないまま僕は従った。

 フロースは馬鹿だと僕をけなした。泣いているようにも聞こえて僕は益々意味がわからなくなった。何を迷っているのかと長いまつげを見ながら思った。でも、その疑問も口にすることは出来なかった。


 儀式が行われ、気がついたら僕は全ての記憶を失っていた。

 それから僕は自分をイグニスだと思い込んでフロースと神殿を巡ったんだ……。


 記憶の波が引いていく。ゆっくりと目を開けると楽しそうにブランコをこいでいる紫色の少女が見えた。

 まだ終わったことに気づいていないのか、胸の下まで伸びた長い髪をなびかせて高く漕いでいた。


「ペンナ」

「あ、終わったの? 気分はどう?」

「さあ」

「あれ? ホッとしなかった? 貴方って本当に乙女心がわからないのね」


 ペンナは舞い上がるようにブランコの勢いのまま飛び降りた。


「私が貴方にしてあげられるのはここまで。ひとまず帰りましょう。きっと今頃レグルスも帰ってきているから」

「うん。少なくとも気分は落ち着いてきたし、いつまでもここにいるわけにいかない」


 公園を後にする。通りの方へ行こうとした時、金属のこすれるキッキッという音が聞こえた。振り返ると、ペンナが乗り捨てたブランコがまだ楽しげに前後に揺れていた。


 大通りに行ってみると道のど真ん中でコルヌとイルトスが身を寄せ合って震えていた。

 ここにある車は全部〈色封石ラピス・カラー〉が見せる幻、どうせ触っても当たることはないということを思い出した。僕は車の行きかう車道を突っ切り、コルヌの手を取ると歩道に連れ戻した。


「魔神城に戻りたいんだけど、また乗せてくれるか?」

「もちろん。イグニスは特別だから。さ、行こう」

「イグニス……」

「ん? なんか言った?」

「いや、なんでもない。行こう」


 神殿の外に行くと僕達は出発した。走っている最中、イルトスが妙な気配がすると呟いた。

 僕達には到底聞こえないが、遠くで何やら大層な物が移動されているらしい。ステラの企んだ殺し合いが今まさに始まろうとしているんだ。急がなければ。

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