第24話 割れた小瓶(中編)

 フロースはチョコ味のアイスに文字通り飛び上がるほど喜んだ。

 ペロペロと口の周りを汚しながら食べる姿に俺は頬が緩んで仕方なかった。

 俺はというと、あまりの冷たさに舌先が痛くなってしまってなかなか食べ進められずにいた。今気づいたけど俺、熱い物だけじゃなくて冷たい物も苦手だったんだな……。


「ペンナはどこに行ったのかしら?」

「さあ。そこら辺の猫とでも戯れているんじゃないか?」

「帰る時間までに見つけなきゃ。きっと迷子になって泣いてるわ」


 さすがに人の姿で接客していたとは言わない方がいい気がした。フロースなら人の姿にしたいとペンナに無理をさせそうだ。


「なあフロース、俺はここに来たことがあるのか?」

「どうして?」

「なんでか、色々知ってるから」

「さあね。あいつと仲がよかったから、連れて来られてたのかもね」

「あいつって?」

「凄く弱い癖に頭だけは固い人。私はとても嫌いだった」

「名前は?」

「知らない。聞いても名乗らなかった」

「どんな人?」

「銀色の髪をした、殆ど体の変形のない妖族だった。爪は黒くなかったから、魔族ではないことは確か」

「その人は今どこに? 連れてきてくれたってことはここに住んでいたのか?」

「どこで何してたかは知らないけど、確かなのはもうこの世には存在してないってこと」

「死んだのか?」

「そんなところ」


 この街の中を捜してもその人には会えないってことか。せめて会って話が出来ればと思ったが……。

 まぁでも、情報は少なくても、どうにか繋げてみると何か真実が見えてくるかもしれない。

 例えば、もし俺がこの街に出入りしてて、その人からワコク語を教えてもらっていたとすれば少し読めてアルスほどはスラスラ読めないことも納得がいく。ここの風景が懐かしいことだって。

 その人がこの場所に入れたってことはアーラの秘術を使ってしまったってこと。そして、一年後に呪いによって死んだ。そう考えることも出来るな。

 なんだ、何も不思議なことはないじゃないか。今まで変だと思ってたこと、全部辻褄が合ってるじゃないか。

 気になるのは、なんでその人がアーラの秘術なんかに手を出したのか。そして、秘宝は残されたままだったのか。

 まあいい。どうせ記憶はあともう少しで返してもらえるんだ。その人のこともそれで思い出せるだろう。考えるだけ無駄な気がしてきた。


 十五分ほど歩いた先に赤い屋根の家があった。俺はその家を知っていた。

 外見だけじゃない。家の中の間取りや家具の配置まで正確に把握していた。

 さっきペンナからもらった記憶のせいだろう。


 やれやれ、何もこんなに詳細な記憶まで渡してくることなかったじゃないか。初めて来る場所なのに、まるでここで何年間も暮らしていたかのような気分になってしまう。


 例の絵は二階の部屋にあった。机の上に置かれていたノートにはツバサの名前が書かれている。本人の部屋か。

 大切そうにベッドの横に飾られた絵を俺はそっと下ろした。

 白い服に身を包んだ天使が柔らかく微笑み、俺達を見つめている。少し照れているようにも見えるな。

 左下には『T・Kagura』と書かれていた。へえ、こんなにも絵が上手かったのか。

 裏返してみると日付が書かれていた。妙厳〇七年八月二十三日。これを描き上げた日だろう。


「秘宝は回収した。元来た道を戻ろう。フロース?」


 フロースはソファーに横になり、眠っていた。さすがに疲れていたか。

 そっと背中から抱き上げ、ベッドに寝かせる。靴を脱がせて布団をかけてあげると、俺はなんともいえない幸福感に包まれた。


 一緒に神殿を調査出来るのもこれで最後か。


 記憶を失ってからまだ一ヶ月しか経っていないことに驚く。それだけ濃密な一ヶ月だったように思う。

 ずっと一緒にいたはずなのに、フロースと一緒にいられる時間がこんなにも大切に感じられるなんて。

 案外記憶を失ってよかった部分もあるのかもしれない。全てを忘れ去ったことで俺は二回もフロースと出会うことが出来たんだ。


「何感傷に浸ってるんだよ」


 いつの間にか、アルスが呆れた様子で立っていた。アルスは俺を見た後、天使の絵を手に取った。


「この絵は俺が最初に宿った絵だ。意識も形も何もないモヤだった俺はその絵に浸透して人格を得た。おぼろげだけど、その日のことは覚えてる。目が覚めた時、ステラが俺を見て渋い顔をした。ウェントスが出てきて、ステラをこの部屋から追い出した」

「ステラって、星ウサギのことだろう? この神殿の主がなんで追い出されるんだよ?」

「別に、部屋から出てくれって言われただけで神殿から追い出したわけじゃねえぞ。俺が一つの存在として安定した後はウェントスと一緒に神殿を出たし。ステラの姿をちゃんと見たのはその時くらいだけど、一度見たら忘れられないくらいには猟奇的な女だったよ。魔神カエルムを呪い殺すのはステラだって聞いて合点がいったよ。魔神カエルムのあの目、ステラと同じなんだ。精神を乗っ取られているか、気持ちを操作されているか。どちらにしろ、何らかの細工をされているのは確かだ」

「気づいてたのかよ。なんで言ってくれなかったんだ?」

「魔神カエルムを見たのは一昨日が初めてだったんだぜ。まあでも、それがわかったところでなとは思う。俺達が束になってかかっても、神霊の加護を受けた魔神族は倒せやしない。ステラが解放してくれない限り、殺戮を止めるには物理的に〈心臓カルディア〉を使わせない方法を探すしかないんだ」


 やっと原因が突きとめられたと思ったのに、それを取り除く策が見つからないんじゃ意味ない。


「どちらにしろ、俺にとってはもうどうでもいいけどな。もうすぐ俺はお前の体から出ていくんだ」

「なんで?」

「なんでって、アーラの秘宝が全部揃えば俺達に守ってもらう必要がなくなるだろ?」


 いやいや、そんな状況じゃないってことは頭のいいアルスならわかるだろう? 頭ごなしに騒ぎ立てるディーバとは違うんだから。


「お前、まさか記憶を取り戻すことに怖気づいてるのか?」

「違う。戦う相手に神霊が関わってるってわかったんだから、これ以上自ら進んで弱体化するのはどうなんだって思ったんだよ」

「こっちにも神霊がいるんだから平気だろ。俺は風の神殿でゆっくりしたいんだ。俗世にはもう飽きた」

「言ってることがおかしいぞ。アルスはペンナに仕えてきたんだろう? それこそ神霊から離れるわけにいかないじゃないか」

「先に帰って何が悪いんだよ? ウェントスは色々散らかってると怒るんだ。掃除とか妖獣の管理だとか、一年も留守にした神殿ではやることが山積みだ」

「魔神カエルムを止めないと何千人がまた命を落とすっていう時に、掃除とか片づけとかいくらなんでも酷すぎる言い訳だぞ!」

「人間が何人死のうが、俺みたいな妖獣出身の妖霊には関係ない話だ。もうすぐ契約が切れるから、また妖獣に戻るし」


 なんで急に突き放されなくちゃいけないんだよ? アルスだってあんなに一生懸命ツバサのことを調べて協力してくれたっていうのに。

 裏切られたような気分で掴みかかってやろうかと思っていると、レグルスが現れて俺を止めた。勇猛なたてがみを見て、俺の怒りが少し怯んだ。


「誤解しているようだが、宿した妖霊の数が多くても強くなるわけではない。多くを宿せばそれだけ互いの力を打ち消しあうことになり、強さが失われる。当然、多種の魔法が使えるという利点はあるが、それだけだ。妖霊を複数詰め込む行為は、妖族の体で無理矢理魔族になろうとしたと考えればいい」

「そうなのか?」

「ああ。他の妖霊が出て行けば我輩はもっと強力な火を出すことが出来る。しかしそれは、お前が本当のイグニスになれた時だ」

「本当のイグニス? 別に誰を宿しても俺は俺だと思うけど」

「フン。お前は何もわかっていないな。妖霊が変われば姿が変わる。姿が変われば態度が変わる。態度が変われば性格が変わる。つまり、我輩以外を宿したお前は本当の意味でのイグニスではないということだ。我輩を受け入れろ。我輩を以外とはきっぱり決別しろ。わかったか?」


 本当の意味でのイグニスではない……。なんとなく、言わんとしていることはわかったような気がする。

 俺はまだ俺のことを正確に思い出せていない。

 俺は俺のことを俺と呼んでいた。俺はかなり荒っぽい口調で喋って、でもたまに神経質だから初対面の人の前では縮こまりやすい。

 記憶がない中で与えられた俺という情報、そんな気がするというだけで確証を得られているわけじゃなかった。俺らしい、俺らしくない、そんな言葉一つで行動が揺らいでしまうほど俺は色んなものが曖昧だった。

 記憶がないからじゃなく、体がついていかない感覚。

 レグルス以外がいなくなれば俺は本当の俺になれるっていう言葉にも納得がいく。


「わかった。レグルス以外は受け入れない。アルスともきちんと別れる」


 レグルスは満足げに鼻を鳴らした。

 アルスは腕を組み、楽しそうにレグルスのたてがみを眺めた。


「へえ、レグルスもその気になれば人を説得出来るのか」

「お前は口の利き方を神霊様から教われ」


 なんだ。この二羽、てっきり反りが合わないんだと思っていたのに本当は仲がいいんじゃないか。

 翼を一振り。注目してほしい時の仕草の後、アルスは口を開いた。


「お前はイグニス・G・イーオンだろ?」


 名前、俺を俺と形作る符号。受け入れるために失わなければならないものがある。

 ようやくその現実を受け入れられるような気がした。


「わかったよ。けど、魔神カエルムとの戦いを放棄する理由が掃除とか妖獣の管理とかっていうのは人を見下しすぎだと思う」

「あながち間違ってない言い訳なんだけどな……。ウェントスは機嫌損ねるとフロース並に大変だから」


 同時に忘れないでいようとも思った。俺が今こうして曖昧な状態の中で寂しいと思ったことも、宿した妖霊達のことも。

 包み込むような優しさで守ってくれたマルガリータ、二羽で寄ってたかって俺を貶すのが楽しそうだったアグリコラとディーバ、怖くても頼もしかったウィールス、あと、初期に抜けてしまった偽龍のウンブラもいたんだったな。

 アルスには一番助けられたような気がする。誰にも傾倒しないようなひょうひょうとした態度を取りながら、なんだかんだで心配してくれた。


 俺が本当の意味で俺に戻ったとしても、彼らと一緒に過ごした時がなくなるわけじゃない。

 この気持ちは俺らしくないのかもしれない。でも、曖昧な状態だからこそ俺らしくないことを考えたって悪いことはないはずだ。


「別れる前に絵について知ってることを教えてくれないか? 重要だから」

「俺は宿って生まれたってだけでよく知らねえよ。調べたいならコンピュータのデータを漁るんだな。ツバサがその絵について説明してる映像がある。そっちを見た方がよっぽどいいと思う」

「そういえば、ツバサのことはもういいのか?」

「別にあれを調べたところで本人に会えるわけじゃねえし。見てるうちに幻に恋してるみたいで虚しくなってきた」


 やっぱり、マジで惚れてはいるんだな……。何度見ても驚いてしまう。


「映像は逃げない。今宵はもう寝た方がいいぜ」

「そうする」


 絵をそばにあった椅子に立てかけ、俺はソファーに横になった。

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