第21話 天秤の傾き(前編)

 フロース達はまだあの小高い丘にいた。

 俺がコルヌ達に連れていかれるのをサノーは目撃していたらしい。

 サノー達は〈妖国フェリアーヌ〉の王宮内なら安全だろうと思っていたので心配していなかったみたいだ。

 だからこそカエルムが王宮に現れたと話した時は二人とも動揺を隠せない様子だった。


「お父さんのこと、知ってたんだな?」

「ええ」

「俺達の調査とカエルムには関係があるんだよな?」

「そうよ。どうしてお父様があんな残酷なことをするようになったのか、原因がわからないの。ただ、あの石を手にしたのとおかしくなり始めた時が一緒だったから、きっと石に影響されてるんだって思って、私は石を破壊する方法を捜してた。一度金槌で叩いてみたことがあったんだけど、そもそもあれ凄く硬いし、欠けても効果が失われなかったから意味がなくて。破片を庭に捨てたらキレイな薔薇も全部枯れてしまったの」

「ってことは、フロースもその石を持っていない方がいいんじゃないのか? 気が触れてきたらどうする?」

「その時はペンナに全力で止めてくれって言ってある。けど、今のところ何ともないわ。ほんの欠片しかないから、影響する力も弱いだけなのかもしれないけど、なんとなくあれが原因じゃない気がしてるし」

「ならいいけど。それから、パーティーのことだけど」

「やっぱりやるのよね。私はその日にアレを破壊するつもりだった。あのパーティーの日が唯一お父様に近づける日。それまでに全てのアーラの秘宝を回収して、方法を見つけようと思ってた」

「だったら急がなきゃいけないじゃないか」

「言われなくてもわかってる。あんたがいない間も私は色々やってたのよ?」

「ごめん。今夜は俺も秘宝の解析をするから」

「お願いよ」


 拗ねたような表情が一変、甘えたようになる。それだけで許された気分になれた。

 ずっと父親のことを気に病んでフロースは辛かったはずだ。

 なのに俺は、自分の記憶のことばかり気を取られて。


 フロースの首元であの翼のペンダントが揺れていた。片割れを失った翼はどことなく不安定に見えた。


「なあ、フロース」

「何?」

「俺ってフロースがしてるのと似たようなペンダントをつけてたんだよな? それはどこに行ったんだ?」

「私が知ってるわけないでしょ。どこかで無くしたんじゃないの?」

「いつから無くなってるかは覚えてるだろ」

「知らないわ。今言われるまでないことにも気づかなかったし」

「俺はそのペンダントを常に身に着けていた。フロースなら無くした瞬間絶対に気づくはずだろう」

「だって、私失明してるのよ? 気づきっこないじゃない」

「失明したのは俺の記憶を吸い出した時だろう。ペンダントは俺が目覚めた時にはなかったんだ。ってことは失明する前からなかったってことになる」


 フロースがドキリとした表情を見せた。

 やはり何か知っているな。

 サノーも感づいたらしく、優しくフロースに問いかけた。しかしフロースは断じて口を割ろうとはせず、懐中電灯をつけると足早に寝床へ引き上げていった。


「ひょっとすると、姫様が失明したのはアーラの秘術を使う前なのかもしれんな。やはり、アーラの秘術くらいで失明するとは思えんし」

「なんでそう言いきれるんだ?」

「カエルム卿じゃ。カエルム卿は一人の妖族を殺害し、その〈命源ポエンティア〉を使って一人の少年を生み出している。その時は虹の力を借りたんじゃが、アーラの秘術を使ったという意味では大差はない。カエルム卿は今やその呪いのせいで己を見失ってしまったが、見てのとおり視力は失わなかった」

「なんであいつがアーラの秘術なんか?」

「無論、お前さんを救うためじゃ。カエルム卿の話に寄れば、あの男の生まれ変わりはお前さんとそっくりな遺伝子を持つことがわかっていたんじゃ。いわば、自然が作り出すクローンじゃ」


 遺伝子が似ていても、環境要因によっていくらでも外見や性格は少しずつ変わってくるので全く同一人物とはならないらしい。

 それでも似ていることは確かなので、昔の人間はそれをドッペルゲンガーという妖怪と恐れて、見たら死ぬとまで思われていたそうだ。


「遺伝子が似ているんなら、心臓を取り換えても拒否反応は出ないってことか」

「ほほう、拒否反応の話を覚えていてくれたとは感心じゃ。そのとおり。わしもお前さんを絶対に助けたいと思っておったから、確実な方法をと思ってのう」


 てっきり、コルヌの父親の心臓がそのままこの胸の中に収まっているのかと思った。

 コルヌの父親の魂から別の命を作り出してそこから心臓を入手していたなんて。あまりにも手が込みすぎじゃないか。


「そういうわけじゃ。お前さん、フロースの言動に注意を払うんじゃぞ。もしかしたら、とんでもないことを隠しているかもしれん」


 俺が全ての記憶を取り戻せばわかるんじゃないかと思うが、それも安易すぎる考えかもしれない。

 現にリアロバイトが陥落した今、二本の小瓶が失われてしまっているんだ。他にも隠されたものがある可能性だってゼロじゃない。


「サノー、俺ってなんなんだよ。そんなに大変なことまでして救わなきゃなんない命だったのか? 一国の王子だったから? 一人を殺して、死ぬためだけの命を作って殺して。俺はそんなに偉いのかよ?」

「イグニスや、もうすぎたことじゃ。お前さんは助かった、それだけのこと。お前さんにそんな顔をされると、わしやカエルム卿の立場がなくなってしまう」


 サノーは励まそうと俺の肩を叩いた。

 その瞳には暗い陰が差していた。昨日、俺の手術のことを話してくれた時と同じだ。


「イグニス、わしはカエルム卿が己を見失ったのはアーラの秘術を使ったからではないかと考えておる。カエルム卿はアーラの秘術を使って一年経っても死ななかった。命の代わりに精神を壊されたと考えるのは自然じゃろう。それでもカエルム卿は後悔しておらんじゃろうて」

「違うだろう。フロースの視力が心配で、俺はおまけだった」

「そんなに卑屈になって、お前さんらしくないのう。お前さんはそれだけ愛されていたということじゃ。偉いとか偉くないとか、そういう話ではない」


 俺は寝ると言って席を立った。サノーに慰められれば慰められるほど惨めになってくる。

 俺の命は二人の犠牲の上で保たれている。単純に考えれば、俺の命には三人分の価値があるってことだ。

 でも、別に人の三倍の長さを生きられるわけじゃない。なら、何をもって俺の命は三人分だと言える? そもそも、人によって命の重さに差なんてあるのかよ?


「思いつめすぎだ。サノーもああ言っていただろう。しゃんとしろ」


 部屋に入るなりレグルスが声をかけてきた。

 何も考えたくなくて俺はベッドに飛び込むと布団をかぶった。

 もう一羽妖霊が出てきたらしい。見ていなくても、なんとなくアルスだとわかった。


「イグニス、一つお願いがあるんだけど」

「なんだ?」

「風の神殿で見つけたコンピュータ、見たいんだ。ツバサって子のことが気になってて。もしかしたら、その映像のどこかにあの子が眠りに就くまでのことが書いてあるかもしれないだろ。わかったことがあったら、教えるから」


 俺はブレスレットを外してアルスに渡した。「ありがと」と短い返事が返ってきた。

 布団越しにアルスが端末のボタンをカチカチさせるのが聞こえる。

 まもなくツバサの明るい声が聞こえてきた。平べったい発音の言葉を聞きながら、アルスは黙って画面に注目していた。


「へえ。この子、幼い顔してかなり頭脳明晰だぜ。遺伝子についてこんなに詳しく知ってるなんて」


 アルスはこれまで見たことがないほど興奮していた。楽しそうな笑い声を聞いているうちに、俺の淀んだ気持ちも軽くなっていった。

 布団を払いのけ、俺も画面を覗き込んだ。


「この子、さっきからアポトーシスについて熱弁してる。なんでも、がん細胞にはアポトーシスがなくて、でも新しく見つかった酵素の働きでがん細胞のアポトーシスを復活させて、がん細胞を自然に死滅させる新薬が発表されたとか、異国の言葉で書かれた論文を片手に語ってる」

「アポトーシスって?」

「プログラムされた死って意味さ。これによって細胞の寿命が決まる。わかりやすい例を言うと、人間って大昔は蛙とか魚と同じだったから、その名残として胎児には手にヒレみたいな膜が張ってるんだ。それが子宮内で成長するうちになくなっていくんだけど、その水かきの細胞はアポトーシスによって退化していくんだ」

「……全然わかんないんだけど」

「これ以上わかりやすい説明他にないだろ」


 アルスは拗ねたように肩を縮めた。

 何の話をしてるのかはさっぱりだけど、アルスって頭いいんだな。


「凄い、凄いぜ! なあ、今夜借りててもいいか? サノーとフロースが入ってこられないように、扉をツタで縛ってくれ。イチイチ中断してたんじゃあ、頭がついていかない」

「あ、ああ……」


 あのひょうひょうとしたアルスが、驚いたな。

 あまりにも夢中なんで、映像の調査はアルスに任せることにした。

 言われたとおり扉を固定してやると、アルスは話しかけても全然振り返らないほど集中した。まるで人が変わったようだ。


「アルス、俺は先に寝るぞ」


 アルスは正座をしたまま、探偵みたいに顎に指を添えて考え込んでいた。

 さっきから映像を巻き戻しては聞き直している。今夜のところはそっとしておくか。

 俺は遮音の膜を張り、芽鼠の尻尾を抱き寄せた。

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