第19話 狼の王(中編)

 レグルスがディーバに不安そうな目を向ける。その後頭部をアルスが呆れた様子で見降ろしていた。


「なあレグルス、確認だけど、あの日のことを他の三羽に言ったわけじゃないよな?」

「話した」

「なんでそういうことするかな。どうせ誰にも話せないことなのに」

「煩さに堪えきれなかった。話せないのならわざわざ隠しておく必要もない」

「仲間が眠りに就いてもいいってことか。薄情だな」

「お前にだけは薄情と言われたくない」

「そりゃあどうも」


 ディーバは背筋をピンと伸ばし、告白の許可が下りるのを待った。国王はレグルスを見損なったと言わんばかりに一瞥し、ディーバに許可を出した。


「実はあの日、イグニスは魔神カエルムに……」


 ディーバが急に立ちくらみを起こし、倒れた。アルスが始まったと小声で呟いた。

 尻尾の大きな栗鼠が現れ、告白をやめるよう説得を始める。アグリコラに止められてもディーバは話を続けた。


「……イグ……イグニス……」

「イグニスがどうかしたか? しっかりするのだ」

「水が、ああ……」

「何を言っているのかわからない。ちゃんと話せ」


 返事をしたかったのだろうが、出てきたのはゴチャゴチャの呻き声で、とても言葉として聞き取れるものではなかった。

 アグリコラが半狂乱になって、やめてと叫んだ。

 ディーバは既にぐったりしていて、意識も朦朧としていた。辛うじて目を開いているが、殆どの感覚が麻痺しているだろうなと見ていてわかった。


「国王様、もう充分だろ。フロースの呪いは本物だ。そのうちディーバは強制的に眠らされる。やめさせてやれ」

「アルス、王家に仕えたことのないお前が意見するな」

「はい、わかったよ。っていうわけでレグルス、お前からもなんか言ってやってくれ」


 レグルスは何も言わなかった。アルスは翼を一振りし、舌打ちした。

 うわ言のようにディーバが何かを口走る。

 聞き漏らすまいと、周囲が水を打ったような静けさに包まれた。


「ゼ……ノ……」


 ようやく口に出来たのはその二文字だけだった。呪いが完全に体を支配したらしく、色鮮やかな鳥は目を閉じ、ピクリとも動かなくなった。

 こうして見ると、フロースの呪いの力って半端じゃないな。

 国王は唸り、眉をひそめた。


「レグルス、最後に何を言いかけたのかわかるか?」

「……言わんとしていることは」

「打ち明けるつもりはないのだな?」

「申し訳ございません、国王陛下。我輩は眠りたくない」


 レグルスはゆっくり前進し、グッタリしたディーバをくわえた。一礼し、炎となって姿を消した。

 アグリコラは悲しそうにうな垂れて二羽が消えた辺りを見ていた。飼い犬にでも命じるように、アルスはアグリコラに下がるよう言った。


「俺達もそろそろ退散させてもらうよ。あ、そうだ、イグニス。ディーバの力の使用権限はイグニスにある。こんな状態でも妖術は問題なく使えるはずだから安心しな」


 そう言い残し、アルスとアグリコラもいなくなった。

 再び国王の部屋が水を打ったような静けさに包まれる。


「話が大分脱線したけど、結局は俺が殺されたって思いこんで、腹いせで〈魔国デモンドカイト〉を襲ったってわけなんだよな? だったらもう襲わなくていいよな? 俺は生きてたんだから」

「うーむ……」

「なんだよ。他に問題があるのか?」


 言葉を詰まらせたまま、答えようとしない。クソ、物分かりの悪い王様だ。


「国王様、あんたがやってるのは殺戮なんだぞ。あんたは自分勝手なエゴで無実な人間を大量に殺していいほど偉いのか?」

「……お前は戦に至った経緯について、どこまで覚えているのだ?」

「何も覚えてないよ。サノーから俺の手術が関係してるって話を聞いただけ」

「ならば、憶測で自分の意見を進言する前に俺の話を聞くがいい。その昔、魔族は私利私欲のために妖族を利用し、生誕の日を操作するために妖族を虐殺していた。それが原因で〈妖国フェリアーヌ〉と〈魔国デモンドカイト〉は永きに渡り交流を断ってきた。それが十七年前、そう、イグニスが生まれた年に変わった」

「魔神カエルムが開国を迫ってきたんだろう。知ってるよ。力を与える代わりに〈魔鏡石スペキュラム〉をもらってたってことも」

「〈魔鏡石スペキュラム〉のことは正直どうでもよかったのだ。妖霊と共に自然の中で生きる我々にとって、〈魔鏡石スペキュラム〉というのは魅力的ではなかった。魔神カエルムがどうしてもというので受け取ったにすぎない。魔神カエルムが腹の底で何を企んでいるのか予想出来なかった我々は彼を捕らえ、五年間監禁した。視力を治療して欲しいと差し出してきた娘と、その主治医も一緒だったが、その二人は魔神カエルムとは別の場所に住まわせた。魂の契約は生後一週間のうちにしか結べないと知っていたから、魔神カエルムを見極める前に治療は進めてやらねばならなかった」

「そんな状況でよく治療してあげようって思えたな」

「〈魔国デモンドカイト〉の姫がお前と同じ日に生まれていなければ見捨てていたかもしれない。俺もフロースと同じ日に生まれたのがお前だと知った時、運命のようなものを感じた。だから踏み切った。五年間、魔神カエルムと娘のフロースは〈妖国フェリアーヌ〉で生活した。本当は医師のサノーも残ってもらいたかったのだが、考古学の研究を進めてもらう必要があったので拠点を〈魔国デモンドカイト〉にし、月に一度のイグニスとフロースの面会の時だけ来てもらう形をとった。五年間も〈魔国デモンドカイト〉の王を監禁すれば、〈魔国デモンドカイト〉の意志が計れると思った。もし、この行為が魔神カエルムの独断で国民の意志を伴わないものであれば、〈魔国デモンドカイト〉から何らかの使者が送られてくるはず。逆に、この申し出が国としての意志ならば、国民も魔神カエルムを信じて手を出しては来ないはずだとな。結果、〈魔国デモンドカイト〉からの襲撃はなかった。俺は開国を受け入れた」


 ところが、と国王は顔を曇らせた。


「イグニスが病を患った時に転機が訪れた。魔神カエルムはお前が不治の病と知るや否や、何としても助けて欲しいと俺に懇願してきた。イグニスを助けるためならどんなことでもすると」

「いい奴じゃないか」

「今となってはそうとは思えん。魔神カエルムはイグニスの死よりもフロースが魔力を失うことを危惧していたからな」

「それでサノーが助けてくれたんだろう? そんなに怒ることか?」

「今そこにある心臓の持ち主は誰だと思う?」

「さあ。運悪く死んだ子供とかだろ?」

「違う。いいか、移植出来る臓器は限られているのだ。拒否反応が出るとか言ったか、俺には難しすぎる話だが、要するに誰でもいいわけではないのだ。魔族がイグニスの手術を申し出てきた時、魔族の医療に精通していない俺は愚かにも全てを魔族に委任してしまった。イグニスは助かったが、代わりに一人の男が犠牲になった。コルヌの実の父親だ」


 なんだって? このことはコルヌ自身も知らなかったらしい。

 口をポカンと開けて呆気にとられている。国王は怒りに震え、声を荒げた。


「奴らは己の利のためなら誰かが死ぬことも厭わない悪魔だ。俺にだって自分の子は可愛い。何が何でも助けたいという気持ちはあった。しかし、誰かを殺してまでとは思っていなかった。病に伏したのはイグニスの天命、誰かの犠牲がなければ生きられないのなら、自然の摂理に任せるべき。それが自然とともに生きる妖族の在り方。奴らには俺の考えは通用しなかった。我が子の魔力のために命を弄び、罪のない人間の命を無残にも奪った。残虐で卑劣な行為だ。許されるべきことではない」


 国王はその責任を感じてコルヌを養子に迎え入れたらしい。

 というか、コルヌと俺って血は繋がってないのか。妖族って妖霊のせいで親子でも見た目が随分変わるから、家族かそうじゃないかって見ただけじゃわからない。


「それで? それがきっかけで敵対するようになったのか?」

「その時は俺がフロースとイグニスの婚約を破棄するように魔神カエルムに申し出ただけだ。魔神カエルムは強引な男ではあるが、その裏には何が何でも人を助けたいという人情がある。俺がそもそも〈魔国デモンドカイト〉を受け入れたのも、魔神カエルムの人間性に心を動かされてのことだった。カエルムは国民から非常に慕われていた。〈フォンス〉の治療のためにラインザを訪れた魔族は彼の言いつけを守り、俺達にも敬意を持って接してくれた。そんな男が、ある時豹変してしまった。あろうことか、魔神カエルム本人が〈妖国フェリアーヌ〉を襲撃してきたのだ。あの男が呼んだ大波に呑まれ、尊い命が多く奪われた」

「だから反撃したってわけか」

「まだだ。いいから、黙って聞いてくれ。俺だって一国の王、慕ってくれる民が無残にも殺されていくことに己を見失いそうなほどの怒りを覚えた。しかし、まだ上げた拳を振り降ろすことはしなかった。お前に止められたからだ。殺された理由もわからずに、ただ相手の挑発に乗るのは利口ではない、お前の主張を聞いて冷静さを取り戻すことが出来たのだ。俺は魔神カエルムに対し、何度も話し合おうと交渉を続けた。苦労の末、遂に会談の場が設けられたのだが、その時の魔神カエルムの提案に俺はおぞましさを覚えた」


 そこで一呼吸置く。国王のあまりの気迫に俺は思わず生唾を呑み込んだ。


「魔族を殺せば、殺した数だけ妖族の命を救ってやると」

「妖族の代わりに魔族を殺せって?」

「ああ。奇妙だろう。一体、何を企んでいるのか使者を出して探りを入れてきたが、全く手がかりがつかめていない。わかったのは、開国を願い出てきた誠実な男は消え去ってしまったことだけ。何度交渉しても、魔族の襲撃は止まらない。このままでは妖族への被害が拡大するばかりだ……。だから俺は〈魔国デモンドカイト〉を襲う決心をした」

「マジかよ。相手の思惑にはまっただけじゃないか!」

「その時もイグニスから同じ言葉を言われたよ。しかし情けないことに、あの男の力を打ち負かせるだけの力を俺は持ち合わせていなかった。魔族は妖族に比べて知性も技術も優れている。体力だけが自慢の妖族に勝ち目はない。生きるためには従うしかなかったんだ。反撃を開始すると言った時、俺は多くの非難を受けた。特にイグニス、お前からはな。お前は俺の決意を聞いたその夜に魔神城へと向かった。一番の抑止力となっていたイグニスを失い、俺はたががはずれたように次々と〈魔国デモンドカイト〉を襲わせた」


 フウと長めの溜め息をつく。狼の瞳を伏せ、国王はうな垂れた。

 今になって後悔したって遅いだろ。俺、あんたのことも大分許せないぞ。


「記憶喪失と言ったな。カエルムと話した内容は思い出せないのか?」

「ああ。魔神族の城に忍び込んだ記憶すらない」

「そうか。胸にかけていたペンダントはどうした?」

「ペンダント?」

「イグニスとフロースの絆を表すものだ。〈磁引石ラピス・マグネット〉という互いに引き合う力を持った特殊な石で出来ている。翼の形をしていて、フロースのペンダントと対になるように作られていた。お前は〈妖国フェリアーヌ〉と〈魔国デモンドカイト〉の関係が悪化しても、それだけは決して外そうとしなかった。フロースとの愛は本物だと俺に見せつけるかのように」


 そういえば、風の神殿でフロースが握っていたのを見たな。

 〈赤霊峰マウント・ルーベル〉で目覚めた時には既に俺のペンダントはなかった。なくしてしまったのか……?


「なくしてしまったのなら仕方ないか。さて、俺はどうするべきなのか……。お前の顔を見て、俺は怒りに狂わされていたのかもしれないと気づいた。妖族であれ魔族であれ、命の重さは変わらない。コルヌの父親を失った時、確かにそう思ったことを忘れていた。俺がやっていることは妖族の防衛ではない。単なる殺戮だ。民を守るという建前、最低なことをしてしまった」

「反省してるんなら、今すぐ〈魔国デモンドカイト〉への進撃をやめろよ。国を背負った国王様なら、魔族の侵略を国境で食い止めるとか、無実な人達には飛び火しないような方法を考えろよ」

「ああ、そうだな」


 話のわかる男でよかった。でなきゃ、今すぐここから出ていって、二度と戻らないところだった。

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