第3話 三羽の神霊(前編)

 コウモリが降り立ったのは人気のない街道だった。

 遠くに立派な防壁に囲まれた街が見える。

 あそこがフロースの言っていたリアロバイトだろう。

 街の規模はそれほど大きくないものの、防壁の外には堀が巡らされていて、容易には侵入出来なさそうだ。防壁のせいで街の中の様子は見えない。


「さっさと降りて」

「はい」

「んで、私を降ろして」

「え?」

「どこが地面かわかんないから、降りられないわけ。ほら、早く」


 そう言って両腕を広げる。まあ、仕方がないっていっちゃあ仕方がないが……。

 後ろから抱きかかえ、ゆっくりと持ち上げる。

 柔らかい物が指先に触れた。フロースが悲鳴を上げ、体をよじった。


「ちょっと、どさくさに紛れてどこ触ってんのよ!」

「暴れないで。うわっ」


 体勢を持ち直そうとしたものの、耐えきれなかった。完全に僕が下敷きになった形で倒れ、フロースの全体重が無防備な腹にモロ直撃した。


 痛い……みぞおち直撃。息が出来なくなるくらい痛い……。


 悶える僕なんか気にも留めず、コウモリに鏡の光を当てた。

 少しくらい心配してほしかった。


「ここまでありがとう。今、巨大化の呪いを解いてあげるわ」


 コウモリは元の大きさまで縮み、逃げるように茶色い空へ飛んでいった。

 ペンナは霧に姿を変え、フロースの胸元に消えた。


「何してるの? 置いていくわよ」

「ごめん。行こう」

「じゃ、連れていって」

「先に行くんじゃなかったの?」

「見えないんだからどっちが街かわかんないわけ! はい、手! 文句言わずに連れてく!」


 確かに言っていることは間違いないけど、どうにもついていけない……。

 言われるままフロースの手を引いて街へ歩いていくと、その道中でも早すぎるだとか遅すぎるだとかちょっとしたことで文句を言われた。

 記憶を失う前まで、僕はこの人と上手くやっていたんだろうか?


 リアロバイトは堀に橋が渡してあり、ここからしか街に入れないようになっていた。橋の先の門は降りていて、脇の小さな扉から門番が出入りしているのが見えた。


「僕達は入れてもらえるんだよな?」

「僕って言うのやめて。私は顔パスでいけるから平気。あんたはまずいから天使の羽衣で姿を隠して」

「なんで僕だけ?」

「質問厳禁って言わなかった? イグニスは私の言うとおりにしていればいいの」

「というか、姿を隠さなきゃ入れないって、僕はお尋ね者なんじゃ……」

「つべこべ言わずにさっさとやる! 呪うよ!」

「わかったから! 物騒なこと言わないで」


 天使の羽衣ってことは、アルスに命令すればいいんだよな?

 半信半疑のまま、姿を消すように命令してみる。姿を現したアルスが羽で僕の体を撫でると、瞬く間に体の色が消えた。不思議な感覚だ。目の前で手を振っても、何も見えない。


 門番はフロースの顔を見るなり、背筋をピンと伸ばして敬礼し、すぐに門を開けた。

 本当に顔を見せただけで入れたけど、フロースは有名人なんだろうか?


 門をくぐり、街の中央を貫く大通りへ。

 街は活気に溢れていてとても平和だった。フロースと同じような黒い爪の人間が手鏡を片手に歩いている。

 さすがに僕のように足が鳥のようになっている人は一人もいないか。やっぱりこれ、変だよな……。姿を隠してなきゃ、とてもじゃないが恥ずかしくて外を出歩けない。


「鏡屋、見えてきた?」

「次の角にある」

「そしたら、越えた所を右に曲がって。そこから三軒目の風見鶏の家がサノー先生の家だから」

「サノー先生って?」

「質問厳禁。ま、答えてあげると、私が小さい頃からお世話になっている人よ。これからのこと、色々相談に乗ってもらおうと思って」


 サノーが住んでいる家はとても小さかった。小さいというより、みすぼらしいと言った方が正しいか。

 小綺麗な家が立ち並ぶ中で家の塗装が剥げ、ツタが屋根まで伸びきっているのは却って目立っていた。

 よく見ると三角屋根の天辺にはツタに呑み込まれかけた風見鶏があった。錆びたトサカの上で年老いた小鳥が羽を休めている。


「ここで天使の羽衣を脱いで」


 アルスに命令し、言われたとおりにする。

 フロースは鏡で周囲を照らしながら扉の位置を確かめると、ノックした。


「サノー先生、フロースよ。中に入れて」

「フロース? フロースなのか?」


 扉が開かれ、現れたのは年老いた男だった。

 銀色の髪に曲がった背中、褐色の肌には深いシワがいくつも刻まれている。

 しかし、鳶色の目には年に合わず若々しい光が湛えられていた。


「先生の声が聞けて安心した。えい! ハグハグー」

「心配したんじゃぞ! 一年も音信不通でどこをほっつき歩いておったんじゃ!」

「もう、まずは再会を喜ぶのが先でしょう? あ、そうだ! またチョコ作って。ここに来るまでずっと飲みたくてしょうがなかったの」


 フロースはルンルン弾みながら中へ入っていった。

 しかしテーブルに躓き、おでこから倒れこんでいた。


「はあ……。相変わらずのようじゃのう。ところでお前さんは? 今この街は妖族の立ち入りが禁じられておるが」

「イグニスって言います。初めまして……?」

「イグニスって、イグニス・G・イーオン?」

「えっと、多分」

「わし、その手の冗談は苦手なんじゃ。本当は誰なんじゃ?」


 え? フロースも妖霊達も僕はイグニスだって言っていたのに。


「先生ー、事情なら私が話すから早く中に入れちゃってよ。妖族がいるなんて誰かに見られたら騒ぎになるわ」


 フロースが助け船を出してくれた。

 サノーはあまり納得してない空気をムンムンに出しながらも、フロースに免じて中には入れてくれた。


「ふむ……。記憶を抜き取り、妖霊排除の力を弱めた上で七種の妖霊を詰め込んだとな……」


 サノーはまずフロースから簡単に説明を受けていた。

 どうやら僕は妖霊のせいで体だけでなく顔つきも変わってしまっているらしい。サノーもそれで僕がイグニスだと信じられないようだ。


「兎に角、そういうわけだから。先生、私他に身を寄せられる場所がないってことわかってるでしょ? 私の計画が終わるまでここで匿って。ね?」

「計画とはなんなんじゃ?」

「見てのとおり訳ありだから、先生と二人で話したい。イグニスはシャワーでも浴びてきて。もう一週間もまともに入れてないでしょう?」

「ふむ……。考えても始まらんか。ひとまずは言うとおりにするとしようかのう。体の変形はともかく、イグニスの文字列に他の文字列が重なっているのは気に入らん」


 サノーに背中を押され、小さな個室に押しこめられた。

 呪文を唱えながら、メモ帳のような小さな手帳のあるページを手鏡で投影する。

 すると鏡で照らされた辺りから熱々の湯が噴き出し、僕は頭からそれを被った。


「あっつ!」

「おお、すまん。年かのう。最近どうも手元が狂うようになってしまった。ほれ、これでいい湯加減じゃ。石鹸はそこらへんにあるのを好きに使うといい。タオルは外に用意しておこう」

「ありがとうございます」


 サノーは出ていった。

 髪を洗おうと頭に手を伸ばすと、妙に硬い突起に指先が触れた。角か?

 背中にも妙な塊が二つ付いている。感覚はないが引っかいても取れない。

 ああもう、自分の体ながら気持ち悪い!


「イチイチ驚くなよ」


 アルスだ。他にも続々と妖霊が姿を見せてくる。

 鮮やかな尾羽の鳥、毒々しい色の大蛇、綿毛の尻尾のリス、ヒレの美しいマナティ、長い牙を持った黒い翼の奇妙な生き物。

 彼らの多くは嘲笑うように僕を指さしてきた。僕の髪型が変だの、体格がみすぼらしいだの、宿主の僕を貶す言葉が沢山並んだ。


「やめろよ。何を言ったってもう契約は結ばれてるんだし、どうせ三つの神殿を調べ終われば離れるような一時的な関係じゃないか」

「どこの馬の骨かもわからないウスノロじゃない。さっきのヘタレっぷりを見たでしょ? こんな奴に宿っても満足だなんて、高貴な天使っていうのは随分と育ちがいいのね」

「イグニスがどこの馬の骨かもわからないって? そっちの方がよっぽど育ちがいいと思うぜ、ディーバ。俺はイグニスみたいなすげえ奴に宿れることを誇りに思ってる」

「どこがすげえ奴よ。あんな妖獣ごときに怖気づいちゃって」

「記憶喪失だったからだろ。誰だって戦った記憶がなければ怖いと思うに決まってる」

「どうだか。どうせ吸い出された記憶もロクでもないんじゃないの?」


 ゴウと浴室が熱気に包まれた。全身に炎を纏った勇猛な獅子が悠然と現れた。レグルスだ。

 揺るぎない瞳は王の品格を湛え、喧しく騒いでいた妖霊達を一瞬で大人しくさせるほどだった。


「静かにしろ。ここは動物園ではない。今度そんな下品なメス猿のように騒ぎ立ててみろ。我輩の牙がその身を引き裂き、契約が切れるまで眠ってもらうぞ」


 煩く鳴いていた鳥のディーバがヒッとクチバシを閉じた。

 助けてくれたことはありがたいけど、レグルスって結構言い方キツいな。

 こんなにも厳格な妖霊を相手にどんな風に接していたのか、見当もつかない。

 レグルスの視線に堪えきれなくなり、ディーバは青い羽をまき散らして姿を消した。他の妖霊達も罰が悪そうな様子で次々と去っていった。

 残ったのはアルスだけだった。

 レグルスも熱気のこもった溜め息をつき、炎となって消えた。急に浴室内が静かになる。サノーの出してくれたシャワーの音だけがサラサラと石の床を叩いていた。


「アルスは戻らなくていいのか?」

「イグニスが自分の姿を見たいだろうって思って残ったんだよ。俺の力は光に干渉出来るから、命令してくれたら、今の姿を映してあげられる」

「天使アルスよ、僕を映す鏡となれ」


 アルスは銀色の翼から羽を一本抜くと粉に変え、壁に塗りつけて鏡を作り出した。

 恐る恐るその前に立つ。写っていたのはおぞましい姿の僕だった。様々な動物のパーツを無理矢理はめ込んだような姿で、趣味の悪い怪獣にしか見えない。

 黄色い角、銀色の髪、緑色をした獅子の耳、体を覆う紅の鱗、手に貼りついた水色の水かき、肩から短く生えた青い羽、土色の鳥の足、桃色のフサフサなしっぽ。

 尻尾や翼は殆ど感覚がなく、自力で動かすことも出来なかった。


 ハア……。無理矢理サイズの合わない着ぐるみを着せられた気分だ。


「アルス、もういいだろう。戻れ」


 レグルスが姿を現し、叱った。はいはいと気の抜けた返事をすると、アルスは銀色の塵になった。

 縦に切れた厳しい目が舐めるように見上げてくる。強烈な視線に堪えきれず顔を反らすと、レグルスは百獣の王らしい唸り声を吐き散らした。


「みっともない顔をするな」

「みっともない顔にもなるよ。これじゃあ、お伽話に出てくるキメラよりも酷いじゃないか。なんでこんな姿にさせられたんだ?」

「フン。妖族なんだから黙って受け入れろ。他の妖霊達に失礼だ」

「なぁ、僕の妖霊って元はレグルスだけだったんだろう?」

「……ああ」

「他の妖霊をこんなにヒッチャカメッチャカ押しこめられた理由は? それくらいは訊いたっていいだろう? 何も覚えてないんだから」

「言えない」

「そんなこと言わずにさあ」

「フロースの呪いを受けて話せないのだ。話そうとすると体が動かなくなり、何日間も眠ることになる。他の妖霊も同じだ」


 どうりで誰も過去の出来事については何も教えてくれないわけだ。

 それにしても呪い、呪いって物騒な。フロースは悪者なのだろうか?


「さっきのサノーって人の説明だと、皆が僕に宿ったのと僕の記憶喪失って関係があるのか?」

「ああ。妖霊が人間に宿ることは、人間と時と記憶を共有することに等しい。従って我輩達と宿主の人間は一対一が基本だ。それ以上の妖霊を宿そうとしても、宿主が持つ記憶が妖霊を弾いてしまう。故に二羽以上を宿すことは不可能だ」

「でも、記憶喪失になれば妖霊が弾かれなくなるんだな?」

「然り。記憶には思い出という個々の記憶と、常識という皆共通の記憶とがある。妖霊を弾くのは思い出の方だ。故に常識の部分に関しては情報を開示しても問題はない」

「なるほど。だから魔法の使い方の記憶はすぐに返してくれたんだな」


 サノーが出してくれたシャワーが止まる。

 おいおい、嘘だろう? まだ全然洗い終わっていないのに。

 お湯を求めて水の出ていた辺りを叩いていると、マナティのマルガリータが出てきて壁から滝のような温水を出してくれた。

 浴室が湯気で真っ白になる中、手探りで石鹸を探し、彼女の手も借りて体の塗料を落とした。

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