30.人は一面だけじゃ収まらない

 夜。抱き合う男女。これだけのキーワードで期待が膨らみます。

 まあ琴音ちゃんが俺に抱きついているだけなのだが。俺は彼女を抱きしめてはいないよ? だって、すぐそこでお母様が見ているんだもん。


「琴音、そろそろ家に入りなさい」

「えー」


 唇を尖らせる琴音ちゃん。言われたことは父親と変わらないのに、態度が全然違っていた。


「あー、俺も帰らなきゃだから。琴音ちゃんも早く帰って勉強しなさい」

「なんで親みたいなこと言ったんですか!?」


 いや、なんとなく。琴音ちゃんが子供っぽい一面を見せたのが悪いよ。


「もしなんかあったらすぐに連絡するんだぞ。すっ飛んできてやるからな」

「……うん。あたしには祐二先輩がついているもんね」


 琴音ちゃんはニコニコというか、にまにました表情で家の中へと入っていった。

 今すぐなんとかなる問題ではない。人様の家庭の問題だからな。琴音ちゃんの気持ちがすぐに変わるなんてことはないだろう。

 でも俺は彼女の両親に、琴音ちゃんの彼氏だと伝えた。つまり味方ってことだ。もし家庭内暴力にでも訴えてみろ。それをネタに脅してやろう。俺には脅迫の前科があるからな。


「会田、祐二くん……。祐二くんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「よ、よろしいです!」


 もう好きに呼んじゃってください! なんなら「ご主人様」でも可! ……我ながらメイドカフェに染まってんなぁ。

 自分で自分の脳内発言に呆れていたら少し緊張がほぐれた。

 目の前の美女は、今でもちょっと信じられないが琴音ちゃんの母親である。格好悪いところは見せられない。

 さっきの父親とは別種の緊張感。穏やかに微笑んでいらっしゃるのに、嘘や誤魔化しは許されない雰囲気がある。

 しばしお母様と見つめ合う。

 たぶん、言葉を探しているんじゃないだろうか。そう思って待つことにした。俺から口を開く度胸がなかったわけじゃないのは知っての通りだ。


「琴音の、彼氏さんでよろしいでしょうか?」


 そう確認された。

 さっき俺が言ったことをこの人は聞いていたはずだ。なのに確認してきたのはなぜだ?


「はい。琴音ちゃん……いえ、僕が琴音さんの彼氏です」


 はっきりと言葉にする。嘘は言っていない。期間限定の関係ではあるけどな。

 ふっと、空気が緩んだ気がした。


「夫はああ言いましたが、琴音は私達にとって大事な娘です。祐二くんもあの子を大事に想ってくれるのなら……」


 お母様は流れるような美しい動作で頭を下げた。


「これからも、琴音のことをよろしくお願いしますね」


 返事をするのが一拍遅れてしまった。それだけ藤咲母の行動に意表を突かれた。


「はい、もちろんです」


 でも、藤咲母の姿を見て、俺は安心したのだ。

 俺が琴音ちゃんの恋人として認められたからじゃない。いや、それもあるけどそれだけじゃない。

 琴音ちゃんは大事に想われていた。その事実を知ることができて、ちょっぴり安心できたのだ。



  ※ ※ ※



 後日。


「これ、アイスコーヒー代です。お納めください」

「そんなの気にしなくてもいいのに……」


 藤咲さんを呼び出して、払い忘れていた喫茶店でのアイスコーヒーの代金を差し出した。

 彼女はおごってくれるつもりだったらしい。相手が井出なら気にすることでもないが、学園のアイドルとなれば話が別だ。誰かの耳にでも入ってみろ。吊し上げられるのは俺だ。


「それに、会田くんにはお礼を言いたいわ」

「なんで?」


 いや本当になんでだよ。藤咲さんに何かした覚えはないぞ。

 俺の疑問に構わず、彼女は言った。


「琴音の味方でいてくれてありがとう。お父さんの前でも変わらず味方でいてくれて、本当にありがとう」

「……まあ、彼氏なので」


 真っすぐ感謝されるってのはなんだかくすぐったい。純粋な目で、恥ずかしげもなく言うんだからこっちが恥ずかしいっての。

 琴音ちゃんから聞いた話。姉である藤咲さんはことあるごとに姉妹を比較する父親に対して「やめて」と言い続けていたのだそうだ。ずっと琴音ちゃんを身近で守ってきたのは藤咲さんである。

 ただ、守られるだけで何もできない自分が嫌になった。姉に対して劣等感を抱いてしまう自分が嫌になった。だから姉は悪くないのだと、普段は仲良し姉妹で、憧れの姉なのだと言った。まあ今回は行き過ぎたところがあったのも事実なんだけどね、と笑ってもいた。

 ちなみに、メイド服は無事に琴音ちゃんへと返却されたらしい。所持していた理由を問わないと約束もしてくれた。俺の性癖も不問ってことですかね? そこんとこの誤解は解かれているのだと信じたい。


「って、お父さんの前でもって……琴音ちゃんから聞いたのか?」


 もしくはお母様から? どっちからにしてもあまり言いふらさないでほしいのだが。


「いえその……、家の前だったから、自分の部屋にいたのだけど聞こえてきたのよ。だって、あんなにも大きな声だったのだから仕方ないじゃないっ」


 どうやらリアルタイムで聞かれていたようだ。同級生に、しかも彼女の姉に聞かれるとか、もう黒歴史確定じゃないかよ……。


「……あれだけの気持ちをぶつけられて、ちょっと羨ましかったわ」

「え、今なんか言った?」

「ううん、何も言っていないわ」


 藤咲さんが笑った。その笑みは琴音ちゃんとよく似ていた。

 やっぱり姉妹だなぁ。ほのぼのと眺めていたら、これはチャンスだと神の啓示が降りてきた。


「藤咲さん藤咲さん」

「何かしら?」

「俺とジャンケンをしよう」

「……はい?」


 きょとんとする藤咲さん。油断しすぎである。


「じゃーんけーん」

「えっ、ちょっ、いきなり──」

「ぽんっ」


 慌てて出された藤咲さんの手はグー。俺はパーだった。


「俺の、勝ちだ」

「か、勝ったからどうだっていうのよ?」


 動揺している彼女に笑顔を向けてやる。藤咲姉妹とは似ても似つかない、ゲスの笑いってやつだ。


「琴音ちゃんに自慢するんだよ。君の彼氏はお姉ちゃんに勝った、てね」

「こんなことを?」


 こんなことでいいんだよ。ちょっとの勝ち負けで一喜一憂できたら。それだけでちょっと楽しくなる。


「さて、勝負にも勝ったことだし、琴音ちゃんに報告を──」

「待ちなさい。今のはずるかったわ」

「ずるかったって……」

「だから、もう一度勝負よ」


 藤咲さんの目は本気だった。遊びの目ではなかった。数多くの男子を魅了した目が、負けず嫌いの炎を燃やしていた。


「えー……」


 こんなお姉ちゃんだったら確かに妹は苦労するよな。

 学園のアイドル、藤咲彩音は思った以上に負けず嫌いだった。知ってよかった一面もあれば、知りたくなかった一面もある。そういうことを知って、俺は少しだけ大人になったのであった。


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