第2話

 遠くから聞こえていた足音が、徐々に近づいてきている。その巨体故か、あるいは先程受けた閃光のダメージが抜けきっていないのか、ドラゴンの動きは酷く緩慢だ。


 木の影に身を隠した龍太は、そっと様子を窺う。気づかれている様子はない。ドラゴンは五感が人間よりも優れているとハクアから聞いたけど、こうして身を隠し音を出さなければバレない。匂いも、ハクアが持っていた魔導具とやらの香水で誤魔化している。


 だから大丈夫だと、必死で自分に言い聞かせるけど。それでも、身体の震えは止まってくれない。

 恐怖と緊張、そして少しの昂揚感。

 非日常、異世界に対する困惑は、完全になくなったわけではないけれど。今やれることを、やるべきことをやる。そのための覚悟は、もう決めた。


 足音はもう、すぐそこから聞こえて来る。太い幹一つを挟んだ向こう側に、人間など容易く殺せてしまう化け物が歩いている。

 息を殺して、首を巡らせた。少し離れた位置の木の上に腰を下ろし、ライフルを構えたハクア。目が合うと、こくりと頷きが一つ。


 作戦開始の合図だ。


 ライフルの引き金が引かれ、低い音と共に光弾が発射される。音を聞いてハクアの位置を視認したドラゴンだが、それでは遅い。

 光弾は翼に直撃し、銀色の渦が着弾地点を呑み込んだ。


 ハクアの持っているライフルは、ただの銃じゃない。この世界で魔導具と呼ばれる、魔法の力を宿した銃だ。六つの回転弾倉にはそれぞれ魔法の力が込められたカートリッジが入っており、実弾を使うわけではない。カートリッジ内の魔力とやらが尽きない限りは、いつまでも撃つことができる。

 使用する魔法に合わせたカートリッジを、ボルトアクションによって装填、魔力を励起させて撃つ。


 最初に見たのが爆発の魔法で、これは斬撃を渦にした魔法。それぞれを光弾にして放ち、着弾すれば魔法が発動する。


 先程、作戦の説明と共に聞いた話を思い返しつつ、ドラゴンの様子を窺えば、やつの翼はズタボロに切り裂かれ、もはや使い物にならなくなっていた。


 まずは機動力を削ぐ。それが作戦の第一歩。そしてここからは、龍太の役割。


「今よリュータ! お願い!」

「うおぉぉぉぉぉぉ!!!」


 木の影から身を晒し、預かっていたナイフのトリガーを引いて全力で投擲。

 刀身に淡い光を帯びたナイフが、赤い軌跡を描いてドラゴンの背中に命中した。瞬間、ドラゴンが動きを止める。その巨躯を痙攣させ、全身を痺れさせていた。

 目玉だけがギョロリと動き、恨みがましそうに龍太を睥睨する。後退りそうになる足を気合で踏ん張り、無理矢理にでも笑みを作る。


「へっ、お前はこれでおしまいだよ!」

『Reload Particle』


 無機質な音声が、雪山に響く。木から飛び降りたハクアは、ドラゴンへ向かって一直線に駆け出しながら、素早くボルトを操作する。


 翼を無力化し、麻痺毒で動きを封じた。機動力は完全に殺してある。これは避けられない。


「ごめんね、名も知らないドラゴン」


 悲哀を帯びた声。懐まで潜り込んだハクアは、ドラゴンの頭に銃口を向け、容赦なく引き金を引いた。


 ライフルから放たれたのは一筋の極光。大気を焼いて天を突き破る、荷電粒子ビーム。ハクアが現状持てる中で最大威力の攻撃らしいそれが、周囲に衝撃を撒き散らしながらどこまでも伸びていく。


 枝に乗った雪が地面に落ち、その熱にハクアの周囲では雪が溶けている。龍太は衝撃で飛ばされないように必死だ。


 やがて光が晴れ、ドラゴンの焼け焦げた頭が露わになる。ゆっくりと倒れ伏す巨体。背を向けたハクアがこちらに振り返って、駆け寄って来る。その時だった。


「ハクア、後ろ!」

「え?」


 倒れたはずのドラゴンが、再び起き上がっていた。やつの周囲には円形の幾何学模様がいくつも浮かび上がり、なにかの力がそこに集まっている。


 力が鏃の形を持ったのと、龍太の足が動き出したのは同時だった。何も考えずただ前に走り、ハクアの華奢な体を横に突き飛ばす。

 最後に、驚愕に染まり切ったハクアの顔を見て、龍太は鋭い鏃によって串刺しにされた。



 ◆



 わたしのせいだ。龍太がも、今こうして死にかけているのも。全部わたしのせいだ。


 内心で自分を責めながら、ハクアは血塗れの龍太を抱えて森の奥深くへ逃げ込む。ドレスや肌が赤い血で汚れ、美しい純白は見る影もない。

 もう一度目眩しのナイフを投げて逃げてきたけど、今度はさっきのように長く誤魔化せないだろう。


 ある程度の距離まで離れると、抱えていた龍太を下ろして雪の上に寝かせる。

 体に突き刺さった魔力の槍は消えているが、傷口から血が溢れて止まらない。明らかに致命傷。少年の命は、今にも消えそうになっている。


 ハクアはとある事情で、魔力を持っていなかった。この世界の人間なら誰しもが持っている、血液のようなものである魔力を、純白の少女は持ち得ない。

 だから魔導具に頼っている。身の丈以上のライフルも、隠し持ったナイフも、全て自分の魔力を使わない魔導具だ。

 もしも自分が魔力を持っていれば、魔導の力を自在扱えていれば、簡単に助けられたのかもしれないけど。


「リュータを助けるには、もうあれしかない……」


 友人からは強く禁じられている術。魔力を持たないハクアでも、龍太を助けられる唯一の手段。


 太腿のベルトからナイフを抜き取り、指に傷を入れる。流れた血が、龍太の傷口へと落ちていった。途端、二人の体が輝きだす。

 龍太の手を取ったハクアは祈るように自分の額に当てて、小さく、少年の未来を決定的に変えてしまう言葉を、口にした。


誓約龍魂エンゲージ


 輝きは増し、二人を包み込む球体へと変じる。遠くのドラゴンにもそれは視認できたのか、咆哮が森の中に轟く。


 そして球体が弾けて消えて、現れたのは、純白の鎧と紅い瞳を持つ仮面で全身を覆った、一人の戦士だった。



 ◆



「なんだ、これ……?」


 龍太が意識を取り戻した時には、なぜか自分の足でしっかりと立っていた。ぶつ切りの記憶。その最後は槍のようなものに体を串刺しにされた場面だ。

 しかしどういうわけか、こうして雪の上に二つの足で立っている。おまけに傷も塞がっているようだ。


 だが最も困惑しているのは、今の自分の姿だろう。全身を純白のスリムな鎧に覆われ、顔にもフルフェイスのヘルメットのようなものが。いや、仮面と称した方が適当か。

 なにより特徴的なのは、右手だけに装着されたガントレットだ。

 まるで龍太がこよなく愛する、日曜朝のヒーローじみた格好。


『気がついたみたいね』

「ハクア?」


 少女の声が聞こえたが、付近に姿は見当たらない。

 しかし声が聞こえるということは、会話可能ということ。


「お前、あの後大丈夫だったのか⁉︎ 怪我は⁉︎」

『真っ先に他人の心配するなんて、思ったよりも元気そうでよかったわ』

「つか、どこにいんだよ。そんで俺のこの格好はなんだ?」

『質問は一つずつにして頂戴、と言いたいところなのだけれど』


 声に苦笑する気配が混じる。たしかに、一気に色々聞きすぎたか。

 しかしどうやら、取り敢えずハクアは無事なようで一安心だ。身を挺して守った甲斐があった。


 安堵する龍太はしかし、次に聞かされた言葉に絶句することとなる。


『わたしは今、あなたと一体化しているの。誓約龍魂エンゲージという術でわたしとあなたの魂を一つにすることで、あなたを助けた。この鎧は、その恩恵みたいなものね』

「魂を一つに……?」


 言っている意味は分からないが、なにかとんでもないことになってしまったということは、なんとなく察せられる。


 というか、一体化してるって。つまり今、俺の中にハクアがいる……ってこと⁉︎


『詳しい話は後! まずはあの子をどうにかしましょう!』


 びっくりしてちいかわになっている場合じゃない。

 あのドラゴンが、空から降りてきた。翼は使えないはずなのに。いや、飛翔というよりも跳躍と言った方が正しいのか。着地も荒々しいものだったし、翼を動かしていた気配はない。四肢の強靭な筋肉を活用して、思いっきり跳んで来たのだろう。


「■■■■■■■!!!」


 怒りに満ちた咆哮。翼を奪われ毒を打たれ、プライドが傷つけられたか。血走った目は射殺す勢いで眼下の龍太を睨み、口からは涎が垂れている。


 再び目の前に現れた死の体現者に、しかし龍太は、不思議と恐怖を感じなかった。緊張もない。ただ、昂揚感だけが沸き起こる。


『さあリュータ、イメージして。あなたがあの子を倒す姿を。あなたは、その通りに動けばいい。魔力の操作はわたしが引き受ける』

「ああ、分かった!」


 振り上げられたドラゴンの腕が、鉄槌となって頭上に落ちる。右手のガントレットを上にする形で両腕をクロスし、重い一撃を難なく防いで見せた。

 それどころかドラゴンの巨体を弾き、高く跳躍。お返しとばかりに拳を胸に打ち込む。


「■■■■ッ!!」

「す、すげぇっ……!」


 悲鳴をあげて背中から倒れるドラゴン。想定外の怪力が発揮されて、龍太自身も驚く。

 けれど、この力があれば。夢に、正義のヒーローに、大きく近づける。


『腰にカートリッジがあるでしょう? それをガントレットに差し込んで! この鎧は、わたしのライフルが素体になって形成されてるから!』

「よし、こいつだな」


 腰の横に装着していた、弾丸のような形をしたアイテムを手に取る。ガントレットは龍太の意思に反応して、外側の装甲を展開、差し込み口が露わになった。

 そこにカートリッジを突っ込めば、ガシャン、と音が鳴りガントレットに力が収束される。


『Reload Explosion』


 ガントレット内部の機構が作動、カートリッジが排挾されて、飛び出したそれを左手で掴んだ。

 ハクアのライフルが素体になっている。つまり、あのリボルバーとボルトアクションが一体化したような魔法の銃の力が、そのまま使えるということ。そしてその力を集約したのが、このガントレットだ。


「うおおぉぉぉぉぉ!!!」


 倒れたドラゴンに向けて跳び、右腕を構える。ガントレットが変形し、先端からは杭のようなものが飛び出した。無防備に晒された腹へ力が収束した右の拳を叩きつける。その瞬間、小さな爆発と共に杭が射出。ドラゴンの硬い鱗を突き破る。


「■■■■■■■■■!!!」

「うおっ⁉︎」


 苦痛の滲む悲鳴。腹から血を流しているにも関わらず、ドラゴンは底力を見せる。無理矢理立ち上がる巨体から空中に弾き出された龍太は、ドラゴンの口の中で燐光が漏れ出ていることに気づいた。


「あれはヤバいだろ!」

『大丈夫、わたしに任せて!』


 顎が開かれ放たれるのは、超高温の放射熱線。ブレスなんて生優しいものじゃない。一点に威力を集約させた、明らかに貫通力が優れているタイプのもの。


 それを受けて立つのは龍太ではなく、龍太の中に宿っているハクアだ。

 少年の体内でなにかの力が蠢いたと思えば、目の前に円形の幾何学模様が現れる。龍太の体を貫いた時、ドラゴンが使ったのと似たようなものだ。

 ただしハクアが出現させたのは、攻撃のためのものじゃい。迫る熱線から少年を守るためのもの。


 その防壁に熱線がぶつかった瞬間、強い衝撃が全身を襲った。


「くっ……!」

『衝撃までは防ぎきれない……! 踏ん張って、リュータ!」

「なにかいいカートリッジはねえのかよ!」

『わたしも、この状態のカートリッジは完全に把握してるわけじゃないから……!』


 やがて熱線が完全に止むと、龍太は地上に音もなく着地する。腰にぶら下がったカートリッジのうち、効果を把握しているのは三つ。ハクアがライフル形態で使った斬撃の渦と荷電粒子ビーム、そして龍太自身が今しがた使った爆発のカートリッジ。

 そして把握していないのは、同じく残り三つだ。腰の両横にそれぞれ三つずつぶら下がっているそれらの、右側三つは全て使った。

 後は効果を把握できていない左側三つ。そのうちの一つだけ、他と違うことに気がついた。カートリッジは全て金属の色をしているが、その一つだけは紅く染まっている。


 あからさまに特殊なそのカートリッジを、直感で手に取った。


「これは⁉︎」

『使ってみないと分からないわ!』

「ぶっつけ本番ってことかよ……やってやろうじゃねえか!」


 ドラゴンの放つ鏃を素早く躱しながら、紅いカートリッジをガントレットにセット。するとガントレットは、音声を流しながら腕から分離していく。


『Reload Execution』

『Dragonic Overload』


 ガントレットは形を変えて、右脚に装着。純白の鎧を紅いオーラが包み、一瞬後に右脚へと収束される。

 より一層湧き上がる力を自覚して、龍太は実に楽しそうな笑みを見せた。


「なるほど、分かってんじゃねえか。ヒーローの必殺技は、やっぱりキックじゃねえとな。行くぜ、ハクア!」

『ふふっ、あなたが楽しそうでなによりね』


 ハクアの鈴を鳴らしたような笑みを聞きながら、助走をつけて三度目の跳躍。空中で右脚による蹴りの体勢を取り、ドラゴンの傷ついた胸に目掛けて突っ込んだ。


「はあぁぁぁぁぁぁ!!」

「■■■■■■■!!!」


 流星のような軌跡を描き、ドラゴンの胸を貫通。地面に滑り込んで着地した後、遅れて背後で大爆発が。


 振り向けば、ドラゴンは跡形もなく消し飛んでいる。付近の雪は完全に蒸発してしまい、その下にあった枯れた大地が露出している。


「今度こそ、本当に終わり、だよな……?」


 先程みたく復活する気配はない。安堵のため息を漏らすと同時に、全身から力が抜けていく。純白の鎧は光の球体に包まれ、それが弾けて消えると、龍太は元の姿に戻っていた。


「あれ、力入んねえ……」

「リュータ!」


 膝から崩れ落ち、そのまま地面に倒れてしまう。そして再び意識を失う直前に見たのは、自分の体を取り戻したハクアの、泣き出しそうな顔だった。

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