第3話 お散歩

 あのあと、ムギ姉ちゃんにお夕飯もご馳走になって、外に出る頃にはもう雨は止んでいた。

「今日は泊まっていったら?」

 お姉ちゃんは引き留めてくれたけど、アタシは帰ることにした。

「ネトゲのイベントボスを倒さなきゃいけないから!」なんて、言い訳して…。ひとりでじっくり考えたかったから。でも、きっとあの顔はお見通しなんやろうな…。

 雨あがりの夜空で輝く星は、こぼれた金平糖みたいだった。いくつもの星座に囲まれた丸い月がこちらを見下ろす。

 でも、通りに並ぶ街灯はもっと明るい。この数十年で夜も明るくなってしまった。『一寸先は闇』どころか、「一丁約109㍍行っても光」という感じ。深い用水路の水面まで白い光に照らされる。

「…おかげで、露出狂の噂も減ったけど」

 チラッと顔をあげると、スマートフォンに夢中の中年男性がすれ違って行った。一瞬、变化を解いて見せたアタシに見向きもすることなく…。


 自分の心をなだめるつもりで、深く息を吸い込むと、雨の匂いが鼻腔をくすぐった。

 降り始めの雨の匂いは嫌いだ。雨あがりではなく、降り始め。湿った重い空気の中で、最初に漂うあの匂い。どこか刺戟的な吐き気がするような…。


『カエルが鳴いてる!』

 不意にあの子の声を思い出した。雨の気配に満ちた町をルンルン歩いていた彼女。東京生まれ東京育ちのあの子は、きっと雨の匂いを嗅いでいない。

 あのウンザリするような匂いに満ちた田んぼの中の一本道。黄色がかった雲の下、カエルの声に歓声をあげながら、飛び跳ねるように歩いていたのを思い出す。


 立ち止まって、また空を見た。側の灯りが夜空を黒く染めている。

 あの日、彼女と歩いたこの一本道も、ここ数年で変わってしまった。カエルの鳴いていた田んぼは荒れ果てて、一部は分譲住宅に。よそ見をしていた彼女が落ちた側溝は水が途絶え、蓋がされていた。もう彼女の靴が濡れることはない。


 町が変わるのは嫌いだ。

 景色とともに空気も変わる。知ってる場所なのに、肌がチクチクする。馴染みの土も水も見えなくなって、他所よそのアスファルトたちが我が物顔で居座っている。何だかいたたまれなくなって、アタシは家路を急いだ。町も人も変わってしまう。アタシのことなんて置いてきぼりに。

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