京の化け蛙、埼玉へ!

おくとりょう

上京編

京の蛙は海を知らない

第1話 ご来店

「ここ…どこやねえぇぇぇぇん!!!」


 北野ツキは思わず膝をついた。まさかこの年齢になって迷子になるんなんて…。

 顔をあげて、再び空をぐるっと見渡す。


「あぁ、もう…山が…ない…」

 どこまでも広がってる青空の端には、ただぼんやりとした白い雲かかっていた。


******************************


 その数日前のこと。


「ふっ…ふっはっはっはっはっはっ!

 やはり…実家暮らしは最高だZEEEEE☆」


 ツキは自室でダラダラとネットサーフィンにきょうじていた。ネットニュースを眺め、掲示板に書き込み、ネット漫画を読みふけり、アニメをたしなんで、ネトゲを周回して、SNSで愚痴って…。

 ただただ自堕落な生活を謳歌おうかしていた。


「もう!いい加減にしぃやぁ!!」

 勢いよくドアが開く。大音量とともに現れたのは、ツキの母と北野家の掃除機。首長竜のようなその掃除機はかなりの年季もののため、なかなかの騒音を放つのだが、彼女の声も負けず劣らずだった。

「いい歳して、いつまで親のすねかじってるつもりなん!」

 床に寝転がったツキをガンガン突っつくように掃除機をかける母。対するツキは意地でも立つものかとばかりに、うめき声をあげて転がり避ける。

「そういや、こないだアンタの同級生にあったよ!

 ほら、ようよくウチにも遊びに来てたタッちゃん!忙しそうやったわぁ」

 突き回され、とうとう壁に追いこまれたツキは顔をしかめて、ため息をつくと、渋々立ち上がった。

「タッちゃんは家業継ぐって、ずっと前から言ってたもん!

 就活の必要ないの!アタシと違うの!」

 ようやく口を開いたツキを母は上目遣いでニヤッと見ると、

「…就活せなあかんの分かってるんやったら、はよハローワークなり、なんなり行っといで」

 再び掃除機で彼女の足を突っついて、しまいには部屋から追い出した。


******************************


「…ほんでそれで、ウチに逃げて来たん?」


 お客さんの髪から目を離さずに、茨木いばらぎ紬希つむぎは呆れたように言った。


「ええやん、ちょっとかくまってぇや」

 椅子に逆向きに座ったツキは、紬希の背中に向かって嘆く。

 茨木紬希は地元で評判の美容院の娘で、彼女自身も美容師として働いている。ツキとは幼馴染みであり、北野家の長女であるツキにとっては実のお姉さんのような存在だった。


「あたしも仕事あるんやけどなぁー」

 とは言いながらも、追い払わない紬希。

 髪を切ってもらっていた常連のおばさんがクスクス笑って口を挟む。

「ツキちゃんは何で就活したないのしたくないの?」

「ん~…。就活っていうかぁ…。

 仕事をしたくないよなっていう…感じ?」


「はぁ?!」

 紬希の声が低くなり、ツキは肩をすくめる。いつも優しいお姉さんというのは、怒ると怖いのだ。

「何ゆうとん言ってるの?!

 みんな一生懸命働いてんねんで!

 イヤやから、仕事探さへんって…!」

「ふふふ…」

 不意に女性が笑い声を洩らした。

「あ…すみません。つい、大声になってしもてしまって…」

「ええのよ。

 ほんで、ツキちゃん?あなたは仕事すんのかなんのイヤなの?)

 女性は鏡ごしにニッコリ微笑んだ。

「…嫌です」

 口を少し尖らせてうなずくと、女性は続けて優しく語りかける。

ほなじゃあ、どうするつもりなん?

 ずっとご両親のお金で暮らしていくん?」

「んぅぅぅ〜…。

 どないしょうどうしようかなぁ〜…って思ってます…」

 椅子の背もたれに突っ伏すようにして、うめくツキ。呆れて、小さくため息をつく紬希の前で、女性は再びクスクス笑ってこう言った。


「じゃあ、私のところで働いてみない?」


「ホンマに?!いいんですか?!?!」

 パッと輝かんばかりの笑顔で顔をあげる。しかし、鏡越しに微笑む女性の顔を見て、ツキは固まった。

「…ムギ姉ちゃん。

 …そのお客さん、誰…やっけ?」


 今まで親しげに話していた彼女は、近所の人ではなく、全く知らない顔だった。


「もう何を急に…。


……え?」


 軽く笑った紬希も鏡を見た瞬間に青ざめた。鏡の中で女性がニタっと笑う。

 ハサミが床に落ちる音が店内に響いた。

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