第12話 ハルジ 問題児 一大事

 男ばかり四人兄弟の末子であるハルジの将来を、彼の両親は心配していた――「末っ子って愛想と要領が良いって聞くけど、ウチの末っ子って真逆じゃない?」と。

 薄暗い部屋の片隅で読書に耽るのが好きなだけあって、学力には問題は無い。それに反比例するように運動能力に問題があるが、人間関係の構築の下手糞具合に比べたら可愛いものだと、両親は顔を引き攣らせて笑う。

 自分の世界に入りがちで、他人の世界に興味が持てないでいたハルジに、両親は幾つかの約束事を課した。いずれ独立し、家を出ていく彼が人生で躓く回数が少しでも減るようにと願いを込めて。その御蔭か、ハルジが実家を出て独りで暮らすようになっても、躓くことはあっても何とか生活できているのではないかと、彼は考えることもある。




「クラキ室長、お先に失礼致します」

「はい、お疲れ様、カウピさん。日が落ちるのが随分と早くなってきましたから、気を付けて帰ってくださいね~」


 切りの良い所で仕事を終わらせたハルジは机の上を整頓し、手早く荷物を纏めて席を立つ。書類の山に埋もれて姿が見えないクラキ室長に挨拶をして、彼は普段よりも早い時間い職場を去った。

 庁舎の外に出るとクラキ室長が言ったように、空はもう夕方の色になってきている。今夜は実家での食事会に招かれているハルジは自宅がある独身寮に荷物を置いて、それから手土産を調達しに、新市街の市場を目指した。


『耳の穴はかっぽじらなくて良いから、しっかりと聴きなさい、ハルジ』


 基礎学校を卒業して、大学に進んだ或る日。神妙な顔をした父親が、本から目を離さないハルジにこう言ってきた。


『人間と人間の付き合いに難しかないお前が、他人様の御宅に招かれる機会は皆無に等しいかもしれない。だがな、万が一、億が一にもそのような事態が発生したら、清潔感のある恰好を心掛け、手土産を用意して他人様の御宅に伺うようにするのだぞ。そうすれば多少の失敗は見逃してもらえる。先ずは我が家で練習をしていこう。我が家で食事会をする時は必ず手土産を持って来なさい』


 ハルジの実家は港に商いの拠点を置く、王都でも有数の商家だ。「カウピ商会に手に入れられない品はない」と評価を頂いている実家に相応しい手土産とは、何なのか。開いていた本を閉じて暫し考えてみるが、ハルジには答えが見当たらない。


『手土産を持って来なさいと簡単に仰るが、お父さん、気が利かないことに定評がある僕には難易度が高すぎませんか?』

『少々時間を使って考え出した答えがそれか。おやつにでもどうぞと菓子を持っていくとか、今宵の宴にこの酒を添えてくださいとか……全然浮かばなかったのか?』

『察する能力が皆無の僕に察しろなど愚の骨頂と言わざるを得ませんよ、お父さん』

『……思いつかないなら思いつかないで良いから、せめて家族やお店の人に、手土産に持っていくと喜ばれるものは何ですか?と訊いてみるとか……考えつかなかったのか?』

『はい、その通りです』


 成人するまでには少しはマシになるかと期待したが、これは駄目かもしれない。深い深い溜め息を吐いた父親の言葉を素直に受けたハルジは家族や顔見知りの従業員たちに尋ね回り、やがては市場に足を運べるようになっていったのだった。




 庁舎のある旧市街にも買い物ができる場所はある。然し、取り扱っている商品の多さはやはり新市街の市場の方が圧倒的に多い。露店が集まる市場には実家に縁のある店もあり、ハルジでも顔を覚えている人を見つけることもできる。


「やあ、ブリュンハルズ坊ちゃん。今日は御実家にお呼ばれの日ですかい?」


 主に木の実や果実の乾物を取り扱っている露店の店主スコーグは、ハルジの実家と長く取り引きをしている商売相手だ。大きく空いた胸元と、袖を捲った腕にびっしりと毛を生やした彼は、ハルジを見つけるなり、気さくに声をかけてきてくれた。


「その通りです、スコーグさん。手土産を買いに参りました。ついでに、僕のおやつも」

「いつも有難う御座います。あ、これ、味見用の干しイチジクね。良かったらどうぞ」

「遠慮なく頂きます」


 スコーグはハルジを赤ん坊のころから知っているので彼が成人した今も、多少、子供扱いしてくる。嫌味はないので、ハルジは気にしていない。

 今夜の食事会の主催は両親で、同居している祖父母と、父親の跡を継いだばかりの長兄一家が参加する。彼らにハルジを一人足して、合計十一人。なかなかの大人数だ。因みに、二番目と三番目の兄は他の場所で支店を任されているので、滅多に会うことはない。

 大人はともかくとして、長兄の子供たちは育ち盛りで食欲が旺盛。ハルジにも覚えがあるが、育ち盛りの子供はとにかく目につく食料を腹に収めたくなる衝動に駆られるもの。よって、調理しないでも食べられるものを多く持っていくと、実家の家族に非常に喜ばれる。


『ハルジ叔父さん、今日は菓子持ってきてないの?使えねえー……』


 先月の食事会のことだ。菓子ばかりではいけないかとハルジが花を持っていくと、思春期真っ盛りの甥が失望の視線を寄越してきたトラウマもある。甥と姪たちの食欲が落ち着きを見せるころまで、馬鹿の一つ覚え宜しく、手土産には菓子だけを持っていこうと心に誓ったのだった。


「味見のものが美味しかったので……干しイチジクを大袋で一つ、スノキとコケモモの実と干しブドウが混ざっているものも大袋で一つ、それから飴を絡めたハタンキョウの実を中瓶で一つください」

「こちらは御実家用ですかい?」

「はい。そして、そちらとは別に……」


 こうして無事に手土産と自分のおやつを購入出来たので、ハルジは軽く息を吐く。


「足元には十分に気を付けてくださいよ、坊ちゃん。直に夜になっちまうから、余計にね。またのお越しを待ってます」

「困った時には特に参ります。それでは……」


 買い過ぎではないかと思う量だが、これくらいは自分も甥たちも直ぐに平らげてしまうので、結局はこれくらいが丁度良い。ずっしりと重い買い物袋を両腕で抱え込んで、歩き出す。

 何時間も机に齧りついて仕事をする集中力のあるハルジだが、重たい荷物を抱えて何十分を歩き回る体力はない。カウピ家の屋敷は新市街にあり、幸いにもこの市場からそれほど遠くもない。市場の出口まであと少しというところで、背後から悲鳴が上がり、ハルジはぶつかられて体勢を崩し、硬く冷たい石畳の上に勢い良く倒れた。


「……痛い」


 強かに体の前面を打ち付けてしまったが、不幸中の幸いは顔面の強打を免れたことか。顔の一部と言っても過言ではない眼鏡が割れてしまったら、ハルジの視界はぼやけてしまい、色々なものの境界が判別しにくくなってしまうのだ。夕闇の色が濃くなってきた空の下では、眼鏡があっても見えにくいものが増えてしまうというのに。

 腕で支えて、体を起こして気が付く。両腕に抱えていた買い物袋は何処にいってしまったのか。キョロキョロと首を動かして探すと、少し離れたところに転がっているのを見つけられた。中身は無事か、誰かに盗られたりしないうちに回収しなければ、と、立ち上がろうとしたハルジだが、それが叶わない。それはそうだ、ハルジの胴体に見知らぬ女性がしがみついているのだから。


「……何処の何方か存じませんが、しがみつくお相手を間違えてはいらっしゃいませんか?」

「た、助けて、夫に追われてるの、殺されちゃう……っ!」

「はい?」

「ダラ!!それがお前の間男かぁー!!!」

「ひいぃっ!!」


 怒号が発せられた方へと目を向けると、騒ぎに反応して集まってきた野次馬を掻き分けて、無精髭を生やした大男が現れた。その男を見るなり女性はガタガタと震えて、ハルジにしがみつく力を増す。その様子から、”ダラ”というのが彼女の名前だとハルジは察した。

 ともすれば――


「若しかして、間男というのは僕のことですか?」

「俺の女房がくっついてんだから、そうに決まってるだろ!?」


 思わずハルジに突っ込みを入れた大男は手に酒瓶を持っていて、顔も赤らんでいる。酒に酔っているのは一目瞭然。どの程度酔っぱらっているのかは分からないので、若しかしたら相手に話が通用しないかもしれない。然し、ハルジには言わなければならないことがある。ハルジは毅然とした態度で、主張した。


「僕はこの女性とは全くの初対面です。いきなり後ろからぶつかられて転んでしまって、何故かこの方にしがみつかれて動けなくなっている状態だけを見て、彼女の間男であると断定されるのは腑に落ちません」


 大男とその妻ダラ、野次馬たちは唖然として、言葉を失う。ざわめいていたその場に、痛いほどの沈黙が訪れたのだった。

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