第3話 それはもう不憫としか言えない物語

 左右の両端が上に跳ね上がっている髭が目にいってしまいがちな初老の男性――警邏隊総隊長ビトラ大佐の顔色が物凄く悪い。カタカタと小刻みに震えながら直立している彼の隣には、賓客用の豪華な椅子に座っている三十代手前くらいの男性軍人がいる。短く刈った灰褐色の髪の、随分と男振りの良い彼は硬直しているヴェルザの姿を認めると、上質の琥珀に似た目を細めて、意地の悪い笑みを浮かべた。


(セルスホフジ小隊長……早速ですが、選択肢が消滅しました。私は王都に帰還するしかないようです……)


 ヴェルザにはどうしても逆らい難い人間が三人存在している。両親を失って以来、ずっと後見人をしてくれている養父母の二人と、目の前にいる人物――ヘルギ・クヴェルドゥールヴ中将だ。”義兄君あにうえ”と慕う彼に「ポチ、家に帰るぞ」と言われたら、主人に忠実な犬宜しく「わん!」と元気良く尻尾を振って返答するしかない。


「ビトラ大佐。ステルキ准尉に大切な話があるので席を外してもらいたい。できるだけ、この部屋に人を寄せ付けないよう手配してくれると……有難いのだが?」

「はっ、了解であります!中将閣下にお声がけ頂くまで人払いを徹底致します!どうぞ、ごゆっくり!ステルキ准尉、中将閣下に失礼な真似をしないようにしてくださいね!」


 王都から単身乗り込んできたヘルギにびびりまくっているビトラ大佐はぎくしゃくとした動きながらも、驚くべき速さで退室していった。


「あれほど怯えなくても良くないか?後ろめたいことでもしているのかと勘繰りたくなるだろう」


 中央の目が届き難いことを利用して、好き放題に振る舞う不届き者は一定数存在しているものだからなと呟いて、ヘルギは突っ立ったままでいるヴェルザの向こう側に目を向けて、今度は随分と音量を上げて声を出す。


「ロスガルジからヴァトナボルグまで馬を走らせて二時間ほどか?疲れただろう、ステルキ准尉。其方の席に着くと良い。ああ、そうだ、喉は乾いていないか?扉の外で聞き耳を立てているだろうビトラ大佐に頼んで、茶と菓子を用意してもらおうか?」


 がしゃん、と、硝子製の何かが割れる音と、慌てて走り去っていくような足音が、扉の外から聞こえた。


「ビトラ大佐は諜報員に向いていないようだ。……ステルキ准尉、そんなに縮こまっていると体が辛くなるぞ?」


 先程とは違う、優しい声がド緊張しているヴェルザの鼓膜を叩いた。俯いていた彼女は反射的に顔を上げる。


「久しぶりだな、ヴェルザ。息災にしているか?」


 対面のヘルギが上官ではなくて、義兄として此方を見ていて、ヴェルザは安堵した。


「……はい、ロスガルジでの生活や仕事に慣れてきましたので、少し余裕が出てきました」

「それは結構なことだ。お前がロスガルジに左遷されて以来、一度たりとも手紙を寄越してこないと両親が嘆いていてな。若しや左遷先で意地悪をされているのか、田舎での生活に嫌気がさして行方でも晦ませてしまったのかと、両親が案じているぞ」

「……義兄君や義父君ちちうえの下には自ずと私の情報が集まってくるだろうと思いましたので、手紙を出す必要はないかと……」


 何かと遠慮がちな義妹に、ヘルギは窘めるような目と声を向ける。


「他人が寄越した報告書ではなく、ヴェルザ自身が書いた手紙でお前の近況を知りたかったんだよ。両親も私も、妹も」

「……はい、義兄君。気が利かず、申し訳ないです」

「いや……私も申し訳ないことをした。許してくれ、ヴェルザ」


 ヴェルザが一人で問題を抱え込んでしまっていないかと案じる気持ちが、彼女を責めるような言動となって表れたことをヘルギは詫びる。


「ヴェルザがハムセール王子に怪我を負わせ、恥までかかせたとして、五階級も降格させられ、更には近衛師団から地方に左遷させられたと耳にした時は開いた口が塞がらなくて、顎が外れるかと思ったぞ」


 士官学校を優秀な成績で卒業した後、将来性を買われて精鋭揃いの近衛師団に配属されたヴェルザ。彼女はそのことに驕らず、真面目一徹の性分で職務に励み、やがては中隊長を務めるまでに出世して、護衛対象であるヒミングレーヴァ王女からの信頼も厚かったのだ。そんな彼女がどうして?ヘルギは疑問しか持てなかった。


「まさか事件の発端が、妹のアルネイズに一目惚れした馬鹿王子が結婚を迫ったことだとは……」

「義兄君、馬鹿王子という呼称は不敬に当たるかと……お気持ちは物凄くよく分かりますが」


 過ぎ去った日の出来事を思い出して、ヴェルザは頭と胃が痛くなってきた。




 ヘルギの年の離れた実妹アルネイズは、黙っていれば可憐な少女に見える。故に異性・同性問わず他人の目をよく引き、年頃になるとすぐに四方八方から縁談が飛び込んでくるほどだ。そのアルネイズはというと、縁談にもハムセール王子にも全く興味が無い。ヘルギたちの両親、クヴェルドゥールヴ夫妻も政略結婚に全く興味が無い。というより、諸事情によりハムセール王子に関わりたくない彼らはよくよく話し合い、結果を出した。


『世間知らずの我侭娘を王室に嫁がせては王室の品位を落としかねず、また、国民の王室への信頼も失いかねないと思われますので、恐れながらこのお話は丁重に辞退させて頂きます』


 然し困ったことにハムセール王子は障害があればあるほど恋愛に燃える類の人物で、アルネイズを諦めようとしない。クヴェルドゥールヴ一家は、頭を抱えた。


『ならば、アルネイズ嬢が理想の結婚相手と名を挙げていると噂のスヴェルズレイズ・ステルキ准佐と決闘しよう。理想の相手という彼……え、彼女?うむ、彼女を負かしたとなれば、実質私がアルネイズの理想の相手。問題は無くなる!』


 名指しされたヴェルザは勿論、クヴェルドゥールヴ一家、そして周囲の人間は「え?それ、どういう理屈?意味分かんないんだけど?」と唖然とする他なかった。

 どういう訳かいきなり巻き込まれてしまったヴェルザは頭を抱えるしかない。困ったヴェルザは自身の主君であり、ハムセール王子の異母妹にあたるヒミングレーヴァ王女に相談した。


『あの訳の分からない生物は半殺しにして良し』


 相談相手を間違えた――ヴェルザはより一層頭を抱える羽目になった。失念していた、ヒミングレーヴァ王女は父王から溺愛されている異母兄を毛嫌いしているのだ。更に不運だったのは、王族の方々を諫めることが出来る王太子と、睨み一つで野生の熊をビビらせるヘルギが国を留守にしていることだった。ともすれば、暴走するハムセール王子を誰も止めることが出来ない。


『愛しのアルネイズに恋焦がれるハムセールの心情を汲んでやれんのか、ステルキ准佐?ハムセールと決闘をしなさい。勝敗については……分かっているな?』


 寵愛していた妾を母とするハムセール王子を溺愛している国王に冷静な判断は出来なかったようだ。勝っても負けても気分が悪くなることしか約束されていない戦いを、ヴェルザが承諾する必要があるのだろうか?然しここで逃げたらクヴェルドゥールヴ一家に迷惑がかかってしまう、そう考えたヴェルザは渋々王命に従い、ハムセール王子と決闘をする羽目になったのだった。




 遂に迎えてしまった、決闘の日。

 王国軍が日頃の訓練に利用している屋外訓練場が会場に選ばれた。雨天の場合は延期するとハムセール王子が言っていたので期待したが、生憎、空はどんよりと曇っているが雨は降りそうにない。王子と国王以外の関係者は皆、二人に分からないように舌打ちをしていた。

 決闘の勝敗は対戦相手が敗北を認めるか、または人事不省に陥るか、手にした木剣を地面に落とすかで決まる。決闘の審判は籤引きによって決められた。当たりと書かれた外れ籤を引いたドーマリ少佐の目が死んでいる。心の底から審判をやりたくないのだろう。そんな審判とは対照的に、ハムセール王子の目は自信に満ちて、輝いている。対戦相手にされてしまったヴェルザは困惑した様子で立っている。


『私は以前、アルネイズ嬢の父、クヴェルドゥールヴ元元帥に稽古をつけてもらったことがある。彼は言ったよ、殿下は才能に満ち溢れています。私如きにお教えできることは何一つとして御座いません、とね』


 木剣を手にしたハムセール王子は天に両腕を掲げ、万歳をしているような上段の構えをとる。ヴェルザは困惑しながらも、中段の構えをとる。

 本人は格好良いと思っている不可思議な構えから繰り出される剣撃は、微動だにしないヴェルザの体に掠りもしない。これは若しや、相手の意表を突く攻撃なのか?と考えたヴェルザは敢えて未だ動かない。日頃の鍛錬をしていないハムセール王子の体には十分に体力が備わっておらず、滅茶苦茶なステップを踏んでいた両足は疲労で縺れ、体勢を崩した彼は海老反りをしながら倒れ――石の舞台に強かに後頭部を打ち付けて、脳震盪を起こして白目を向いた。

 決闘は、ハムセール王子の奇抜な剣舞による自滅で幕を閉じた。ヴェルザは木剣を構えたまま、何もしていない。ヴェルザは思った、私が此処にいる理由って何だろうと。


『絶望的に剣術の才能が無い人に教えられることは何も無いです。無理、絶対』


 義父がハムセール王子にかけたという言葉の真意にも気が付いた。

 斯くして、愛する息子の勇姿――ではなく、醜態を目にした国王は火山が噴火するが如く激怒し、何もしていないヴェルザとアルネイズに重い処分を科したのだった。

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