4

アパートのエントランスを抜けるとそこには黒塗りのアルファードが止まっていた。誰か別の人の待ち合わせかと思いスマホに目を落とすと、聞き覚えのある声が私の名前を呼んだ。


「一輝ちゃーん!お待たせ!乗って!」


顔を上げると助手席側の窓が開き、運転席から手を振る陽さんの姿が見えた。


「まじかよ…」


あの小柄な陽さんが乗っているとは誰が想像できただろう。こんなにいかつい車から弾んだ調子の声が私の名を呼んでいる。恐る恐る車の扉を開けた。


「おっはよ!子ども乗せてるからシート汚いかも!よければ乗って!」


申し訳なさそうに笑いながらシートを払ってくれた。薬指に輝く指輪が眩しい。


「大丈夫ですよ。ありがとうございます。」


言いながら車に乗り込んだ。改めて瞳を見つめる。昨日ちゃんと喋ったばかりなので少し緊張する。


「わあ!ほんとに来てくれた!嬉しい!ありがとうね!ショッピングモールに行こうと思うんだけど良いかな?」


「はい。よろしくお願いします。」


「ええ!なんか硬い!タメでいいよ!」


そう言って陽さんはギアをドライブに入れ替えた。


車道は土曜日ということもあって混んでいた。信号が多い道では軽い渋滞も起きている。


「今日はお休みだった?」


ひょいひょいと車線変更をしながら、陽さんが話しかけてくれる。街乗りはお手の物といった所だろうか。


「はい。大体暦通りです。」


「てか、絶対電話で起きたでしょ!?ほんとごめんねえ!」


「いえ、いつもあの時間にトイレに行くので。」


「うっそだあ!一輝ちゃん優しいんだね!」


可笑しそうにクスクスと笑っている。目尻に皺が寄り子どもの嘘を面白がっているようだった。


「普段は何の仕事してるの?」


「事務員です。」


「てか、タメでいいってば!え!?事務!?その髪色いいの?てかそれピアス!?何それ!?」


信号待ちをしながら、私のインナーカラーの赤色と00Gまで広がった耳たぶを交互に見て声を上げる。


「色々緩い会社なので…だから?…これはラージホール。穴がちょっと大きい。」


敬語を何とか言い直す。一度敬語で話してしまった相手とフランクに話すのは難しい。


「いや、ちょっとどころじゃないし!反対は!?」


言われるがまま左耳が見えるように体を捻る。


「インダストリアルをクロスしてる。」


「ひえぇ!なにそれ!どうなってるの?」


「4つ穴開けて爪楊枝が交差するみたいに棒刺してる。」


「なにそれー!!痛くないの!?」


陽さんは眉間に皺を寄せて、まるで自分が痛い思いをさせられているかのような表情をした。


「痛いよー。」


「何でそんなことするの?」


何でと聞かれても難しい。やってみたかったから。それだけだ。恐らく親目線で子どもに問うような感覚なのだろう。陽さんのころころ変わる表情が面白くて冗談を言ってみる。


「悪い子だから。」


「やぁん!こわあい!」


陽さんは目を細めて大笑いをした。目元をくっきり囲んだアイラインが落ちないようにそっと涙を拭う。ひとしきり笑ったかと思ったら、今度は少し悲しそうに眉をひそめる。


「体だいじにしなよ。お姉さんとの約束。」


ヘソにもピアスが開いていて太腿には大蛇がいるなんて言ったら張り手でも飛んできそうだ。この手の人間はちょっと普通と違うだけで何でも不良だと言ってくる。そして極めつけは親から貰った大事な体だと言う。快楽に溺れ勝手に産み落としておいてそりゃないだろと思う。しかし、久しぶりに向けられた私への真剣な眼差しに不思議と嫌悪感は感じなかった。都合良くおばちゃんやお姉さんを行ったり来たりするこの人が段々面白くなってきた。子どもが大人をからかうように舌を突き出して笑って見せる。


「ねえー!ちょっとぉ!ベロにもなんか付いてるー!!」


目に涙を浮かべながら叫ぶ彼女にはシルバーに輝く蜘蛛を象ったピアスが見えたことだろう。


ショッピングモールは家族連れでごった返していた。久し振りの喧騒に面食らってしまう。場違い感が半端じゃない。右側を見下ろすと嬉しそうにこちらを見上げる陽さんと目が合った。


「いいの見つかるといいなあ!」


気合いは十分そうだ。こちらの不安感は伝わっていないようで良かった。今すぐにでも逃げ出したい私をよそに、陽さんは意気揚々と白のビックTシャツの裾をはためかせて歩いた。こちらも必死にその歩調に合わせる。しかし段々と息が上がってくる。隣を見下ろすと陽さんは表情ひとつ崩さずに歩いている。この人歩くのが速い。140cmそこそこの人間の歩調とは思えないくらいに速い。170cmある私の歩幅で追いつくのがやっとなのだから相当速い。女と歩く時は大抵私が合わせてきたのに初めての事態で困惑する。


「陽さん歩くの速いっすね…」


「へ?あ!ごめん!よく言われる〜。主婦なめるなよ~!あ、一輝ちゃん革靴かあ。歩きにくかったね。」


心配そうにこちらを見上げてくる。陽さんはカーキ色のパンツに同じような色のスニーカーを合わせている。とても歩きやすそうだ。


「手、繋ごっか?」


思わずきょとんとした顔で陽さんを見つめてしまう。


「あぁっ、ごめん、子どもじゃないね!あんまり若いから、ついね!」


陽さんもきょとんとしていたが、事を理解したのか恥ずかしそうに笑った。こちらも何だか恥ずかしくなり、頬が赤くなっているような気がして更に恥ずかしくなった。気まずさから歩を進める。ペースを落としてもらってゆっくりとモールを散策した。


「若いって言ったってそんなに変わらないんじゃ?」


「えぇ、やだあ。おばちゃん褒めても何も出ないぞー。ふふっ、一輝ちゃんには何歳に見えてるのかなー?」


エスカレーターの上りの段差で身長が高くなった陽さんが私を見下ろして不敵に笑う。この手の質問が一番苦手だ。居酒屋アルバイトで散々質問されたが、質問者は何と答えてもらいたいのだろう。未だに正解が分からない。悩むのも悪いのでそのまま直感で伝えた。


「30くらい…?」


「やった!若い!」


陽さんは目を細めて笑った。


「正解は35でした!一輝ちゃん何歳だっけ?」


「25。」


「ひぇえ!10も違うのか!でも流石に娘にはならないね。」


陽さんはくすくすと笑った。メイクのせいもあるのかもしれないが実年齢より若く見える。


「陽さん、若く見えるね。」


「なんだ~?何が欲しいんだ〜?」


絵に描いたように右端の口角を引き上げてニヤリと笑うものだから思わず吹き出してしまった。釣られたのか陽さんも声に出して笑う。出会って数日とは思えない馴染みの良さだった。


スポーツ店を何店舗か回り、お目当てのウェアを探し出す。


「んー、どうしようかなぁ…。このお店のこの色可愛いけど二の腕が出過ぎてる気がするんだよねぇ…。ねぇ?もう1回あっちのお店見てきてもいい?」


陽さんが困ったようにこちらを見上げる。天に向かって綺麗なカールを見せている睫毛には、ふんだんにマスカラがのせられている。瞬きをする度に黒い蝶が羽ばたきをしているようだった。目には瞳が一回り大きく見えるコンタクトを入れているようだ。涙の膜を薄く張った琥珀色の眼がこちらを一心に見つめてくる。一瞬どきりとして返答にまごついてしまう。やっとの思いでいいよと答えて乾いた喉に生唾を飲み下す。この人といると何だか調子が狂う。落ち着きなく左耳のリングピアスを触った。


「ねぇ!どっちが良いか選んで!!」


結局陽さんは自分で決めることが出来ず、私に託してきた。ビックシルエットのTシャツで色はカーキか薄い桃色。二択問題だ。正解は2分の1。こういう時女は既に着たい服は決まっているものだ。今までジムで着ていたウェアは目が覚めるような水色だったが、それに比べたら今回選んだ色はどちらも大人しい。そうなるときっと、陽さんはより大人しいカーキを選ぶのだろう。自分のことをおばちゃんおばちゃんと比喩するし、重ねる年齢との向き合い方を考えているようだ。しかしこのピンクの色合いも好きなのだろう。実際、薄桃色は陽さんによく似合っていた。このTシャツを着て溌剌とエアロビに参加する陽さんの姿が思い浮かぶ。


「ピンクがいい。」


「ピンク!?ほんとにー!?私まだイケるかなぁ??」


陽さんは照れ笑いの表情を浮かべる。華やいだ頬にこちらの口元も緩んでしまう。自分を卑下する必要はないし、年齢も役回りも考えずもっと好きに振舞ったらいいのに。


「この色が似合うと思う。」


「そっかあ!ありがとう!うーん、でもやっぱり、カーキにしよ!おばちゃんだからね~。買ってくる!」


そんなことないよと伝える前に、陽さんはさっさと会計に進んでしまった。好きな色を着たらいいのにと心の底から思うが、友達との兼ね合いとか色々あるのだろう。去り際、一瞬だけ瞳に差し込んだ影が脳裏に焼き付いて離れなかった。


陽さんは会計を済ませると今まで通りの笑顔でこちらに戻ってきた。


「いやぁ!買った買った!アタシちょっと御手洗行ってきてもいい?戻ったらランチしよ!」


「何か持ってましょうか?」


「んー、大丈夫!流石王子ちゃん!気が利くなあ!あ、これは王様の子どもの方ね!」


そう言うと陽さんはひらひらと手を振り人混みの中へ消えて行った。私はどうしてもあの目が忘れられず先程のスポーツ店に踵を返した。


ウェアを購入したはいいが買い物袋を下げていたら何か突っ込まれそうで恥ずかしいので、陽さんには見えない位置で隠し持った。どちらかの手が常に体の後ろにあるので不振な動きになっていないか不安だ。


「何食べよっかぁ!苦手なものとかある?」


「何もないよ。」


「お腹すいてない?朝ごはん遅かった?」


朝ごはんという単語に思考を巡らす。食べたといえば食べたし食べていないといえば食べていない。飲食は朝5時のココアとチョコで終わっている。どう答えたものかと唸っていると陽さんは急に私の手を掴んで定食屋へとずんずん歩き出した。


「ちょっともう!ちゃんと食べてるの!?食べなきゃだめだよ!ほんとに!何この細い腕!しっかりして!」


やいのやいの言われながら定食屋の暖簾をくぐった。席に通されるなり陽さんはサバの味噌煮定食と野菜の辛味噌炒め定食大盛りを頼み定員を下げさせた。2つ食べるのかと驚いていると、こちらににこりと笑いかけた。


「嫌いな物無いって言ったよね?」


「え?うん、陽さんふたつ食べるの?」


「一輝ちゃんって意外と天然?」


質問に質問返しをされてきょとんとしてしまう。質問の意味が汲み取れず首を傾げると、陽さんが悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「一輝ちゃんの分頼んどいたから。アタシがサバ味噌ね~。家だと魚大変だから嬉しい~!」


「まじっすか…。」


どうやら私に選択権は与えられていなかったようだ。しかも大盛りという選択。これは全て平らげなければ帰してもらえなさそうだ。


「もう!ジムがある日も食べてないの?いくら体動かしても食べなきゃ意味ないよ!」


「それは…。」


ご最も過ぎてぐうの音も出ない。最近は鳥を焼いて食べているが以前はゼリーや菓子パンで済ませていた。陽さんは訝しげにこちらを見つめている。こんなこと絶対に言えない。


「なんかお母さんみたい…。」


ぽろっと本音が出てしまう。我が子が心配故につい声に力が籠ってしまう陽さんの姿が浮かぶ。家庭での癖だろうか。


「まぁ、三児の母してますけどね~。これから暑くなるんだからちゃんと食べなよー。ほんと心配だよ。」


陽さんはしょうがないなと言うように笑いながら小さくため息を吐いた。本気で笑って本気で心配して、忙しい人だ。百面相の様にころころ表情が変わっていく。こんな風に素直に生きられたら私ももっと普通を歩めてたのかもしれない。


到着した料理のお盆にのっていた割り箸を割ると見事に左側が欠けてしまった。性根が曲がった私みたいで嫌気が刺したが陽さんの楽しそうな笑い声がそれを掻き消してくれた。気合いを入れ直して料理を夢中でかき込んだ。



「今日はありがとうねぇ!」


陽さんは運転をしながら嬉しそうに声を弾ませた。綻んだ顔を見ていると食べ過ぎの苦しさが少しだけ和らぐような気がした。


「今日、お子さんは?」


光太こうたは留守番。陽菜ひな光彩ひかりは友達の家行ってるー。上が幼稚園の頃からの付き合いで光彩の事も良くしてくれてるんだよね。まだ帰ってこないけど、帰って夕飯の準備しないとぉ。」



時刻は15時になったばかりだった。フロントガラス越しにアスファルトの照り返しが眩しい。今から夕飯の支度と聞くと早いように感じるが、子どもの年齢がまだ高くないのであれば頷ける。陽さんはふーっと息を吐き出しながら伸びをした。家事の合間に買い物をこなしジムにまで顔を出しているのかと思うと尊敬の念を抱かずにはいられない。


「疲れてる?」


「んー?はしゃぎ過ぎたかなぁ?一輝といると楽しい!なんか最近会った感じしないね!」


不意な呼び捨てに心臓がどきりと跳ね上がった。親くらいしか名前で呼ばないので、慣れていなくて何だか気恥しい。


「無理、しないでね。」


「やぁん。イケメーン。そんなこと言ってくれるの一輝くらいだよ~。ありがとうねぇ。甘えたくなっちゃうよ。」


「甘えてもいいよ。」


運転する横顔をじっと見つめてそう返してみる。陽さんはこちらの視線に気がついて慌てて視線を戻した。


「もう何!?ちょーイケメンなんですけど!おばちゃん、からかわないでよー!」


取り繕うように照れ笑いをしている。薄く引かれたチークのラメが直射日光を受けて乱反射する。


「べつに。陽さんならいいかなって思っただけ。」


「そっか。ありがとうね。」


そう言って陽さんは静かに微笑み、私の太腿に手を置いてそのままとんとんと軽く指先を上下させた。片手にすっぽりと収まってしまいそうな小さな手に深爪が並んでいる。家事による手荒れだろうか。少しかさついているようだった。指先から熱が伝わると何とも言えない感情が胸の中一杯に広がっていった。


帰りの道は空いていた。ちょうどそれぞれが目的地に着き、楽しんでいる頃なのかもしれない。外の景色に見慣れた葉桜の並木が流れ出したのを見て、もう自宅に着くことを悟る。想定していたよりも早い帰宅に心がざわつく。


「陽さん、あの水色の服はどうするの?」


「え?ああ、ジムのやつ?あれは…汗あんまり吸わないし派手だからもういいかなぁ…。お陰様で今日いいの買えたしね!」


「1枚でいいの?」


「んー?」


「これから暑くなるから替えの服とかあった方がいいんじゃないかなって思って。」


アパートの前に車を停め、陽さんは少し考えた顔をする。


「あぁ、そうねぇ…。その時はまた一輝に付き合ってもらおうかなっ。」


はにかんで笑う彼女に背に隠していたスポーツ店の袋を手渡した。ずっと隠していたので袋にシワがついてしまった。


「ごめんっ。何か恥ずかしくてずっと隠してたから袋にシワついた。」


「へっ?なにこれ?くれるの?」


「うん、開けてみて。」


促されるままに陽さんは袋を開けた。顔がぱっと華やぐ。嬉しそうにピンクのTシャツを取りだした。


「ええー!買ってきてくれたの!?」


「うん、似合ってたし私はそっちを着てほしい。歳とか変に気にしたり我慢してほしくないから。」


瞳を見てゆっくりと伝える。歳をとる毎に呼ばれ方が変わり、劣化しているなどと蔑まれるなんてそんなの変だ。陽さんは陽さんでこんなに一生懸命で輝いているというのに。


「はぁ?…なにそれ?…」


私の言葉をじっと聞いていたが、陽さんは目を伏せ口元に薄笑いを浮かべた。10も下の人間に言われるのは流石に癪に触ったかと不安になる。伏せられた瞳が大きく滲む。


「もうほんとにイケメンかよぉ。そんなに優しくしないでよっ…。」


さっきまでの表情から一転して陽さんは大粒の涙を流し始めてしまった。あまりの展開についていけない。百面相を通り越して中国の技巧、変面のようである。


「ちょちょちょ、どうしました!?何か嫌でしたか?」


「もう全部いやだよぉ!朝から旦那と喧嘩するし!ちょっと話聞き間違えたり忘れたりするだけですっごいバカにして見下してきてさあ!陽菜もぜんっぜん言うこと聞かないし…!」


嗚咽混じりに心中を吐露する陽さん。明るい表情とは裏腹に色々なものを抱えていたようだ。掌は固く結ばれ小さい握りこぶしができている。こんなに小さな手で沢山のものを背負っているのかと思ったら体が勝手に陽さんを抱き寄せていた。


「あっ…ねぇ、だめ、優しくしないでっ、お願い…。」


両手でぐっと押し返されそうになるが、それごと抱き抱える。


「大丈夫。誰も見てないよ。」


落ち着くように背中をさする。徐々に抵抗する力は弱まり腕の中にすっぽりと収まってしまった。頭に頬をそっとのせる。小さく震えているのが伝わってきた。まだ何かを我慢しているのかと思うとそれがまたいじらしかった。


「もっと泣いていいよ。声我慢しないでいいから。」


「もう、そんなに泣かせないでよっ。帰れなくなっちゃう。」


「帰らなくていいんじゃない。」


「もう!上手いんだから!なんか腹立つ!」


額で私の鎖骨に頭突きをして、ケラケラと笑った。涙を浮かべながら笑う姿が不思議でとても印象的だった。親指でそっと涙を拭ってやる。


「んっ…耳くすぐったい。」


涙を拭った際に中指が微かに耳に触れてしまった。見ると泣いたせいもあるのか耳たぶが赤くなっていた。くすぐったそうに腕の中で身をよじる。抱き寄せたことで近くなった距離に鼓動が忙しなく音を刻む。


「耳、弱いの?」


口を耳元に寄せて吐息を多く含んで聞いてみる。


「ふっ…ねぇ、だめ!ほんとに…!戻れなくなる…!」


涙を孕んだ瞳に嗜虐心が煽られる。もう一言二言耳元で何かを問いかけようかとした時、左手で口を塞がれ押し戻された。指輪の感触がひやりと伝わってくる。


「ね、お願い…いい子だから。おばちゃんからかわないで…。」


潤んだ瞳が真剣にこちらを見据えてくる。頬は紅色し声はか細く湿っぽい。偶然の産物か狙ってやているのか一挙一動にどきどきしてしまう。


「陽さんはおばちゃんじゃないってば。もっと自信もって。可愛いよ。」


頭にそっと手をのせ頭頂部まで染め抜かれた髪を優しく撫でる。そのまますっと手を滑らせ耳のヘリをなぞった。


「ひゃっ、もう!だめだってば!ほんとに!帰るよ!」


表情に活気が戻ったのが分かった。元気を取り戻したようだ。私は冗談ぽくちえっと拗ねて見せ、ドアノブに手をかける。するとシートに残されていた手に陽さんの手が重なった。


「こっち見ないで!見たら帰れなくなりそうだから…。今日は本当にありがとう。泣いちゃってごめん。でも本当に色々嬉しかった。久しぶりにどきどきしちゃった!なんか一輝って不思議!またね!」


ぎゅっと手を握られる。陽さんの熱が伝わってきた。後ろ髪を引かれる思いだが言いつけ通り私は背を向けたまま車から降りる。扉を閉めて振り向くと満面の笑みの陽さんがこちらに手を振っていた。助手席の窓が開く。


「Tシャツだいじにする!ありがとう!行くね!」


「気をつけてね。」


こちらも手を振るとアルファードは動き出した。ハザードランプを数回点滅させると走り去っていってしまった。


部屋に帰るなりベットに倒れ込んだ。心臓がうるさい。腕の中に抱き込んだ熱と唇に感じた指輪の冷たさが体を支配して離さなかった。


暫く身動きがとれずにいると、着信音が鳴った。陽さんからかと思ったら友達のレイからだった。


{やっほ~。今日行くべ?23時に乙女なー。}


ふーっとため息を吐いて了解の旨を送った。


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