第7話 見えている世界


最近、御徒町正一が必死になってノートに書きつけている。

常日頃一緒にいるわけではないが、予習しているところは見たことがない。


短い付き合いだが、彼に何かしらの変化が起きているのは分かる。

本当に何をしているのだろうか。


「正一くん、何それ」


隣から覗いた瞬間、背中に冷たいものが走った。

よれよれのシャツを着たカピバラや猫背のウサギ、ライスを盛っている寸胴鍋が細かに描かれている。人間社会に紛れ込もうとする異人なのだろうか。

簡潔なセリフまで加えられ、臨場感とシュールさが増している。


「見られたからには仕方がないな。

田町先生。こっちは雅樹くん。これは食堂の人。

今日以上に自分の才能に感謝したことはないな」


「……つまり、お前には世界がこういうふうに見えてるってこと?」


「そういうことだ」


指さしながら教えてくれたが、雅樹は絶句してしまった。

自分の見えているものを素直に描くような患者に会ったことがない。

ひたすら隠しておくのが当たり前だと思っていた。


「あの病気にかかって以来、すっかり変わってしまったからな。

誰が誰だかさっぱり分からなくなってしまったんだ」


「ああ、それは分かる。俺なんて人の顔を見て話せなくなったもん」


親しい人たちが気味の悪い化物へと変化してしまい、長時間見ていることが難しくなった。友人でも話す気が失せてしまう。話を切り上げて逃げることが増えた。


「情報を整理するつもりだったんだけど、これは困ったな」


頭をかいているが、困っているようにはまったく見えない。


「ここんとこ何やってんのかと思ったら、おもしろいことやってんのなー」


「目に入る情報が多すぎるんだよ……黙っててくれないか、何言われるか分からないから」


そんなことは言われなくても分かっている。

怪人症候群であることを黙っている以上、ノートのことも誰かに話せるわけがない。


前向きに考えると、そこらじゅうにネタは転がっている。

アイデアをまとめる必要すらないということか。


そこまでポジティブにはなれない。うらやましいもんだ。


「何かこういうの好きな人、結構いるよな。

ネットに投稿してみたら? バズるかもよ」


もしかしたら、思っている以上にヤバい奴なのかもしれない。

同じ病気にかかっているとは思えない。


「異形頭だったか。聞いたことはある」


シャーペンでひたすら描きこんでいた。

ノートを机から離し、遠目に見た。満足そうにうなずいている。


「楽しそうだな、お前」


「実際、とんでもなく楽しい」


これまで見たことないような笑顔を浮かべていた。

イメージ通りの作品ができるのは絵描きとしての本望ではある。

だが、病気にかかってまでやりたいことではない。


こういう奴は施設に送るだけ無駄かもしれない。

どんな場所かは知らないが、あの場所だと治療どころか悪化してしまう気がする。


「障害者の人が描いた絵を展示することはよくあるけど、俺たちの場合はどうなんだろうな」


「といいますと?」


「怪人症候群の患者が見ている世界を絵にすることで、誰かに理解してもらうことはできるのか」


真面目に考えているだけに厄介だ。

今日は大分調子がいいらしい。話がどんどん飛躍している。


「真理の会がすでにやってそうだな、その企画」


「……あの感じだと共存するような真似はしないと思うけどな」


「殺人犯の手記が出版されているくらいなんだ。

まったく不可能ってワケでもないんじゃないか?」


決してありえない話ではないのかもしれない。

平和な方向に狂った誰かがそのうちやるかもしれない。

期待せずに待つことにした。


***


「だから! あそこにはアタシしかいなかったんだって!」


「その割にはノリがよかったって聞きましたけど」


「アンタらがそういうふうにカッコつけるからでしょ! 

パフォーマンスじゃなかったら、とっくに捕まえてる!」


女性の喚き声が響く。

会館で行われる定期集会にランサーズが来る。

雅樹からそのように聞いて、会わせてもらうことになった。


彼らの行動は真理の会の理念に反している。

他の会員から目をつけられており、滅多に顔を出さない。


部屋には女性の他に制服を着崩した学生がいた。二人ともマスクを外していた。

真理の会の会員ではなく、あくまでもランサーズとしてここにいるということか。


「あのスーパーにいたのって桃園さんだったんですね。マスク変えたんですか?」


「今はただの駆除業者だからね。真理の会と関わりたくないし」


机の上には黒猫のマスクが置いてある。

あの厚底ブーツもまちがいない。仁美を助けた黒猫のそれだ。


「こんにちは、御徒町先輩。

俺は秋羽場ライっていいます」


「なぜ、俺のことを?」


「そりゃあ、我らがアイドルですし。

美術部の奇才を知らない奴はうちの高校にいませんよ」


仁美と同級生だろうか。

顔を見たことがないから、美術部の後輩というわけではないのは確かだ。


「アンタら、知り合いだったの?」


「直接の知り合いではありません。ほぼ初対面ですしね」


はっきり言っておかないと、誤解される気がした。

秋羽場は「ひでぇなあ」と毒づいていた。

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