第32話 身代わりの懲罰

  フレッドはマリサを何とかして港からボートのせ、船へ戻った。さすがにボートから船へ上がるにはマリサの泥酔状態では困難だったので、留守番の連中にロープをおろしてもらって引き揚げた。そしてやっとの思いでマリサをハンモックに寝かせると船室を後にする。


「何で酒を飲ませたんですか!俺たちはマリサがこうなるって忠告したはずだ。あんたはマリサのお目付け役じゃなかったのか」

 いつもマリサの逃げ場となっているギャレー(厨房)の主、グリンフィルズが嘆く。

「い、いやほんの一杯と思っていたが歯止めが聞かなかった。まさかあんなに飲んで人に絡むとは思わなかった」

 マリサのこれほどの酒乱ぶりは初めてだったので、フレッドは返す言葉がない。

 船室からは時折大声でマリサが叫んでいる。ここが街中でなく、大声を出しても気にならない海上だったのが幸いだ。それでも久々のマリサの泥酔と酒乱ぶりに酒場から帰ってくる連中は口々にフレッドを非難する。

「ほらよ、マリサがあんたを呼んでるぜ、早く行ってやんな。静かにさせねえと俺たちは寝られやしねえや」

 船倉の仕事を終えたトムが昇降口から出てくる。確かに叫ぶような声が聞こえてくる。

「わかった……後始末はつけよう」

 ため息をするとフレッドは再びマリサの船室に向かう。


 トムの言う通り、マリサが懇願するかのように自分を呼んでいた。

「……フレッド、はやく来い……馬鹿者!」

「ああ、今行く」

 そう言って船室に入るとマリサが青い顔をしてハンモックのひもを握りしめている。

「……フレッド……もうダメだ……吐きそう……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 フレッドは慌ててギャレー(厨房)から汚水用のバケツを持ってくる。奪うようにそれを抱え込むマリサ。

「……うげっ」

 マリサはしばらくバケツを抱えこんで離さなかった。


 そうして何回か吐いた後そのまま寝るかと思われたが、マリサは再びフレッドを呼びつける。

「……フレッド……お願い……用を足したい……連れてって……」

 あれだけたくさんの酒を飲んだのだから排泄も近いのだろう。それはわかるが自分は男だ、いくら何でもマリサをトイレに連れて行くなんて紳士的にどう思われるだろうか。この船はマリサが乗ることになってからデイヴィスが軍艦の士官クラスが使うような外付けトイレをマリサ用に増設していた。とはいえ、やはりどう考えてもマリサのこの依頼は遠慮したい、そう思って返事をしないでいると

「あたしの頼みが聞けないのか。ボケ!」

 とうとうマリサは悪態をつきだした。もうこうなっては自分の体面など気にしてられない。フレッドは覚悟を決めてマリサをトイレに連れていき、再び呼ばれることを予想してそのまま船室で待つ。

 ふと見るとマリサの船室には母であるスチーブンソン夫人が書いた紙が今でも貼ってあった。


   傷口がふさがるまで禁酒

   賢い海賊は禁酒で治す

   酒は飲むもの飲まれるな


 あれはイギリスからブラント伯爵のご息女ジェーン御一行とフレッドの母親が乗船していたときのことだ。フランスの私掠船に襲撃され、迎え撃った”青ザメ”だったが、その際の白兵戦でマリサは撃たれた。その傷がふさがるまで安静にしなければならず、母親がマリサに向けて書いたものだった。マリサは不思議なことにそれを忠実に守っていた。そしてそれを破るきっかけを作ったのはほかでもない、自分だ。


「……終わったよー……フレッド、迎え来て……」

 マリサが自分を呼ぶ声がする。フレッドはトイレからでたものの立ち上がれずに座り込んでいるマリサを抱きかかえると再びハンモックに寝かせる。

(頼むからこのまま寝てくれ)

 そう思ったがまたマリサはバケツを抱え込んでしまったので、自分も気分が悪くなりそのまま甲板へ上がる。


 甲板では宿に泊まらなかった『新米水夫』役のグリーン副長が帰っている。デイヴィスもグリーン副長が帰ったことで船のことは任せようと船内に降りようとしていたところだった。

「ナッソーではほしい情報が手に入ったよ、スチーブンソン君。君が一緒なら良かったのだが、君はじゃじゃ馬のおりをしていたのかね」

「いや、おりでなく……やはりおりかもしれません。マリサはただいま吐き気と葛藤かっとうをしています。モノも話せないほどの吐き気で寝込んでいます」

 フレッドはありのままを話す。

「ほう……レディーが吐き気に苦しんでいるとな。スチーブンソン君、それは船酔いか、飲みすぎの酔いか、それとも……はは~ん、さてはご懐妊か?」

 グリーン副長の言葉に周りにいた連中は唖然あぜんとする。そして、この言葉にデイヴィスが反応した。


 カチッ


 ピストルの撃鉄を起こした音が聞こえた。デイヴィスはフレッドがマリサの掟を破らせたと思っている。これは非常にマズい。

「副長の言葉の三つ目の理由については神に誓ってあり得ません!僕は潔白です」

 必死の形相ぎょうそうで訴えるフレッドにグリーン副長が大笑いする。

「君は何でも正直すぎるよ、スチーブンソン君。マリサの酒乱については店を出禁になったとの情報をすでに得た。まあ、あした起きられるかどうかだな。なんでも『過ぎたるは及ばざるがごとし(More than enough is too much.)』だ。心しておきたまえ」

 デイヴィスはグリーン副長の冗談だと気付いてピストルをしまい、休息のために船内へ入っていった。

 そこへ航海長のニコラスがフレッドにささやきかける。

「フレッド、そもそもなぜマリサが酒を飲むと暴れるか考えたことはあるか?あんたはまだ『じゃじゃ馬』の女心をまだつかみきってないようだな。それを理解しないとマリサはまた繰り返すぜ」


(酒を飲むのに理由があるのか……言われてみればマリサの飲み方はやけくそで、後のことを考えてないような飲み方だ。マリサは何かかかえているものがあるのだろう……これは最後まで面倒を見ないとだめだな)

 フレッドはその晩はマリサの船室のそばで休むことにした。


 翌朝、グリーン副長が昨日得た情報を周知しようと連中を集める。宿に泊まっていた連中も全員戻ったのを見計らってだ。酒場や娼館で欲を解消した連中や十分に休息をとった連中はとてもさわやかな表情をしている。リフレッシュしたのだろう、それはとても航海上で必要なことだった。ただ、フレッドはあれからも何度かマリサに呼びつけられ、あまり寝られなかったので頭がまだ半分夢の中にあるようだった。それでも集合とあらばマリサを起こして連れて行かねばならない。


 カンカン、カンカン


 すでにフォアヌーン、4点鍾が打たれる。

「マリサ、起きないか。副長が集合をかけている。寝ていたら懲罰ものだぞ」

 フレッドがマリサを揺り起こそうとするが、マリサは苦痛の表情をしている。

「……う、うるさい……頭が割れそうだ……ほっといてくれ……」

 マリサ自身も繰り返す吐き気の後、いったんは深い眠りに入ったが、その後激しい頭痛で目が覚めたのだ。フレッドの声掛けが頭蓋骨に響くような気がして耳に入る音がすべて砲丸のように思え、明らかに二日酔いだった。

「……あたしは集合に参加しない……それ以上言ったら……ぶっ殺す」

 マリサは本気で苦しいようだ。

「わかった。グリーン副長にはそう言っておくよ」

 フレッドは自分自身も眠気があったが、とにかく甲板へ出た。


 甲板上ではマリサを除いた連中が揃っており、このことに副長は含み笑いをする。

「スチーブンソン君、マリサはどうしたのか。やはり起きられないのか」

「はい、明らかに二日酔いであります。苦悶くもん形相ぎょうそうで寝込んでいます」

 フレッドの言葉に連中は『またか』というように笑っている。そう、連中は今までにもそういったことにあっているからだ。

「では聞くがスチーブンソン君、この集合はある意味私の命令だが、それにそむいた場合、軍ではどうすると思うかね。君も士官であるなら心得ているだろう?」

「懲罰ものであります。むち打ちが妥当かと思われます」

 そう言ってフレッドはしまった、と慌てる。副長はマリサをむち打ちの罰を与えるのではないか。

「君の判断は正しい。しかしこの船は軍艦ではなく海賊船であり、協力しているとはいえ、船長は海軍ではなく海賊船の船長だ。海軍の規律を持ち込むわけにはいかないだろう。そこでだ、君に聞くが、君の”青ザメ”での使命はいったい何だったのだ?覚えているか」

 グリーン副長はフレッドの顔をのぞき込む。

「……頭目であるマリサの監視であります」

「よくわかっているではないか。それでいい。ではスチーブンソン君、君がマリサの代わりにむち打ちの刑を受けたまえ。監視を怠ったゆえの酒乱からくる規律違反だ。さすがにレディーを公衆の面前でむち打ちをするのは公序良俗に反し、我々の紳士としての振る舞いを疑われてしまうだろう。君が身代わりになるのが一番良い選択だと私は思うがね」

 グリーン副長は表情を変えずにフレッドを見つめている。その威圧的な眼差しはこの船で一番高位にあるという自信からであるようだった。フレッドは自分がマリサの身代わりにむち打ちを受けることになることに動揺を隠せないでいる。


(グリーン副長は僕を試しているのか……)


 これは上官の命令である。答えは一つだった。

「承知しました。マリサの代わりに懲罰を受けます」

 グリーン副長はフレッドの答えに納得をし、ハーヴェーにむちを持ってこさせる。フレッドは覚悟を決めてシャツを脱いでひざまずいた。

「よかろう、今回の懲罰はむち打ちを10回だ。君がこの船に乗って忘れていた海軍の厳しさを思い出したまえ。それが君のためだ。では”青ザメ”の諸君、海戦を前に心を引き締めてフレッドへの懲罰を見届けてくれ。君たちの頭目マリサがあとで後悔するようにな」

 そう言ってグリーン副長は一回、二回と続けてフレッドの背中めがけてむちを振り下ろす。


ピシッピシッ


 むちがはじけるような音を立て、同時にフレッドの背中に切り裂かれるような痛みが広がる。歯を食いしばって声を出すのをこらえるフレッド。


 連中の中には目を背けるものもいる。

 

……8回……9回


 フレッドはさすがに我慢の限界がきて体がふらついてくる。


「さあ、最後だ。10回。」

 グリーン副長の声がより大きくなり、むちが振り下ろされる。


ピシッ


 それとともにフレッドの身体は甲板に崩れるように倒れる。

「ハミルトン君、あとは頼んだ。最上の手当てをしてやってほしい」

 グリーン副長はそう言って船医ハミルトンに処置を頼むと、連中に集合の目的である情報周知をした。



 マリサが二日酔いの痛みから回復したのは日が傾いた8点鍾のあたりだった。結局その日は二日酔いでつぶれたことになる。マリサは眠りから覚めると例のごとく連中に合わす顔が無いのでグリンフィルズの手伝いをしようとギャレー(厨房)へ向かう。

「待ってましたよ、今回こそはしっかりと後悔してもらわないと実害が出ていますから」

 グリンフィルズはナッソーで仕入れたばかりの肉を切りながらマリサに言う。

「実害?何かあったのか」

「今朝、副長が招集をかけていたのに誰かさんが二日酔いで出られず、その懲罰をフレッドが代わりに受けたんですよ。連中の前でむちうち10回、この目で自分も確かに見ました」

「あたしの代わりにフレッドがむちうちを受けた?」

 マリサは慌てて甲板に上がりフレッドを探す。


「おはよう、というかもうすぐ今晩はだな。気分はどうだい、二日酔いから回復したか」

 マリサを見てグリーン副長が含み笑いをする。

 明日の出帆を前に連中は準備と点検で大わらわだ。二日酔いで寝込んでいたマリサは自分の行動を振り返ることになる。

「……集合に出られず申し訳ありません。そしてフレッドがあたしの代わりに懲罰を受けたと聞いてますが……」

「私への謝罪はわかった。スチーブンソン君は海軍士官として君の監督不行き届きとして懲罰を受けてもらった。私が君に懲罰を与えるわけにはいかないからな。だが彼は目下ニコラスやデイヴィス船長と航路確認中で取り込んでいるから今は遠慮してくれ。まあ、この機会に自分の行動を大いに反省することだ。しかし、そうはいってもこのままでは君の気持ちが晴れないだろうから、君が反省の弁を述べる機会を次の8点鐘のときにこの甲板で持とう。今はギャレーの手伝いをした方がいい。新鮮な肉を仕入れたので今日は英気を養ってもらうからな」

 グリーン副長の言葉を受け、とにかく彼に謝らねばと思ったマリサ。どんな顔で謝ったらいいのか考えつかない。しかし今できることはギャレー(厨房)の手伝いだ。マリサは再びグリンフィルズのもとへ急ぐ。



 グリンフィルズはグリーン副長からすでにマリサの対応を聞いていたので、マリサの意気消沈ぶりに内心いつもこうなら平和なのに、と思っていた。主計長のモーガンが一日当たりの食料や水の消費を計算しており、調理の方も腐らない程度に貯蔵し使用している。それでも新鮮な肉は何よりのごちそうであり、今日はグリーン副長から牛肉が振舞われるので連中は夕食を楽しみにしていた。マリサとグリンフィルズは手分けして肉を切って焼いたり、柔らかいパンに新鮮な柑橘を用意していった。



 グリーン副長が設定した8点鍾の時刻。当直の交代だ。


 カンカン カンカン カンカン カンカン


 点鍾を聞いて甲板に来るマリサ。あたりはすっかり夜だ。夜とはいえ、月明かりでほんのり明るい。甲板ではすでにフレッドとグリーン副長が待っていた。

「やあ、お姫様がいらしたぞ、スチーブンソン君。君に話したいことがあるそうだからしっかりと聞いてやってくれ。さて、マリサにもその目で確認をしてもらいたいものがある。これは事実だからな」

 そう言ってグリーン副長はフレッドが着ているシャツを背中からまくしあげた。

 はっきりとではないが月明かりと船の灯火で照らされたフレッドの背中にむち打ちでつけられたミミズ腫れのような傷をいくつも見つける。出血もしたのだろう、血が止まったことも見て取れる。

「……ごめん、フレッド……あたしのせいでこんなことに……」

 いたたまれなくなったマリサはフレッドの背中に顔をうずめる。

「スチーブンソン君にしっかり謝っておくことだ。では私は失礼するよ」

 グリーン副長はそう言って船内へ入っていった。


「君への監視と監督が不十分だったのは事実だからこの懲罰は僕に与えられて然るべきだった。気にするな」

 フレッドはまくし上げられたシャツをズボンに入れ直すとマリサに向き合う。

「ただ、なぜあんなやけくそに酒を飲んで暴れるのか教えてほしい。理由があるのか?」

 連中もフレッドもマリサの酒の飲み方は異常だと気付いていた。

「昔はともかく今は自分が抱えているものが重たすぎる……そうだと思う。総督からの返事を知ることもないし、この海賊討伐が終われば”青ザメ”はイギリス海軍の敵とされてしまうだろう。フレッド、あたしも連中も死にたくはない。平常心を装っていても心はいつも荒れている。どこかで吐き出さないと自分が不安でつぶされそうになってしまうんだ」

 マリサは仏頂面ぶっちょうづらの奥にいつも不安を抱えていた。”青ザメ”の恩赦についてはフレッドの母親がウオルター総督あてに手紙を書いているが返事を知ることはできない。この不安は頭目だからこそ抱えているものだろう。

 フレッドはマリサにキスをすると

「一人で抱え込むな、君の不安については母もウオルター総督も何とかしたいと思って働きかけている。総督だけで動けないなら議会に働きかけてもいい。女王陛下に願い出るのもいいかもしれないし、それはイギリスを敵としなかった君たちなら可能性がないではない」

 そう言って抱きしめた。そしてこうも付け加える。

「戦争が終わって結婚出来たら、またホットパイを作ってくれないか。グリンクロス島で食べたホットパイは母のものと同じ味がした。また食べたくなってきた」

「いや、今度つくるならあたしの味で作るよ、フレッド。あたしはスチーブンソン夫人じゃない。あたしはあたしだからな」

 マリサの顔に笑みが浮かぶ。

「……君と結婚したい。海賊のままでもかまわない」

「あたしはあんたを敵にしたくない。だから結婚するなら海賊をやめてからだ。『そのとき』がくるまで待ってほしい」

 そう言って二人はまたキスをした。


 恩赦についての未解決の問題は相変わらずマリサ達にはわからないままだ。ウオーリアス提督とグリーン副長だけが理由を知っている。というよりこの二人が恩赦を出さない原因である。提督とグリーン副長の思惑は”青ザメ”を壊滅、そしてある人物を抹殺するべく動いていたのだった。

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