第23話:追跡者との戦い③

体が動く。


いつの間にか俺の体を縛り付けていた首元の熱さは、とめどなく流れ出る自分の血の生暖かさに変わっていた。


視界が暗い。まるで森の中全体が厚い影に覆いつくされているような……。


力が溢れる。今なら何だってできるような気がする。


手始めに、目の間に迫ってきてた鉄球を手のひらを前に突き出して受け止めた。


俺の手と鉄球が正面からぶつかると、衝撃が腕・胴・足へと伝わり、俺が立っている地面を大きくへこませた。だが不思議なことに、それだけ凄まじいものだったはずの攻撃を受けても、俺の体は何もされなかったかのようにびくともしなかった。


「あァん!? オメェ、なんだそれはァ」

「……?」


鉄球を投合した姿勢のまま固まっている男が、目を見開き俺の体を指さしていた。その視線に誘導されるように自分の腕を見ると、黒い霧のようなものが体から染み出てきて纏わりつき、漂っているのが見えた。よくよく全身を観察すると、その黒い霧は腕だけでなく全身からもうっすらと出てきていて、俺の体の周りを覆っているようだ。


さっきから視界が暗いと思ったら、正体はこれか。


俺のうちから湧き出る黒いエネルギー、実際に体から出ているのを見るのは初めてだったが、拍子抜けしてしまうほど動揺は無い。むしろ、しっくりきてしまっている。これが自然体だと感じるぐらいだ。


「ようやく本領発揮ってわけかァ? てかオメェ、何で動けンだよォ」

「……さア゛、ナ」


何だ、声がおかしい。搔きむしったときにどこか痛めてしまったか。


背後から、空間を割いて何かが伸びてくる音を俺の耳が察知した。


例の影から飛び出す奴の鎖が迫ってきている。恐らく3本。


その場から垂直に飛び、迫る鎖から逃れる。真下を見ると、本当に3本の鎖が俺の体があったところに巻き付くところだった。


聴覚もそうとう鋭敏になっている。これも黒いエネルギーの力なのか?


「飛んだなァ? バカがァ!!」


男は、空中にいる俺を見上げ不敵な笑みを浮かべると、片手を空間に向かって差し出し何やら集中し始めた。すると、辺りの影から一斉に、俺を取り囲むように鎖が飛び出してきた。その数10数本ほど。


なるほど、確かにこの数は俺の爪や牙でさばき切ることは難しい。そして空中では、急激な方向転換で鎖を交わすことも難しい。そういう魂胆なのだろう。


だが俺は、どこか冷めきったような目線で迫りくる鎖を眺めていた。こんなちゃちな鎖で俺をどうにかできるはずがないと、心のどこかですでに確信してしまっていたからだ。


色々打開策を考える中で、俺は一つ実験をしてみることにした。この黒いエネルギーを使ってできることの「底」を知っておきたかったのだ。


俺は空中でひざを曲げ足に力を籠める。すると、そこに群がるように黒い霧が濃くなっていくのが分かった。


頭を男のほうに向け空中で逆さになる。そしてそのまま、まるで地面でジャンプする時のように空間を蹴った。俺の足は、確かに何もなかったはずの空間で何かを土台にし、男へ向かっての急激な方向転換を実現したのである。


「なンだとォ……!?」


その動きがよっぽど意外だったのか、男は慌てたように担いでいた鉄球を向かってくる俺へと投擲した。何の工夫もない、勢いもない、本当にその場しのぎでしかないやわな一撃だった。


正直どうとでもできる。直撃したところで大したダメージにもならないだろう。


だから俺は戯れに、こぶしに力を入れて握りこみ、それを思いっきり振りかぶって殴りつけてみた。


「ンガァアッ!?」


鉄球はひび割れながらも勢いを180度転回し、男が放った時より数段スピードを増し持ち主の体にぶつかった。そのまま男の体ごといくつもの木の幹を破壊して進むと、何本目かでようやく勢いが弱まり止まった。


自分のこぶしの一撃が生み出した光景を眺めながら、俺は確信を深めていた。


やはりこの黒いエネルギーは、身体能力やスキルレベルの底上げをしてくれているようだ。


――跳躍…地面での跳躍力が向上する。スキルレベルが高くなるほど、空中での機動力も増していく――


例えばこれは、「跳躍」スキルの説明欄に書かれていた一文である。つまりは、レベルが上がっていけば空中でも自在に動けるようになるということなのであるが、俺の「跳躍」のレベルは1である。当然、空中で飛び跳ねるなどということはまだまだできないはずなのだが、今それができてしまった。


先ほどの拳での一撃に関してもそうだ、あれは明らかに「怪力」のスキルが何倍にも膨れ上がって成せる芸当である。あの大男のパワーを完全に上回っている。


これまで得たスキルに合わせて、黒いエネルギーによる力のブースト。こんなのもう、負けるわけがない。


「おいィ……オメェ、何笑ってヤがる」


崩れ落ちた木々を踏み越えながら男が現れる。体が頑丈なのか、それとも身に着けている鎧のおかげか、節々に打ち身の跡があるが大した負傷はしていないようだ。未だ眼光鋭くこちらを睨みつける目が俺の姿を捉えている。


そうか、俺は今笑っているのか。


なぜ笑っているのかって、そんなことも分からないのか。


目の前に憎むべき、敵と、実験台と、そして力の糧とを兼ねた存在が、わざわざその体躯を晒してくれているのだ。


これが愉快でなくて何だというのか。


「……テメェ゛を、ゴロゼル、ガら、ダ」

「ぬかせァッッ!!」


男が全力の一投を放った。これまでと様子が異なるのは、その軌道が俺からは明らかに逸れてしまっていることだ。


一瞬は投球ミスかと思ったが、どうやらそうではないらしいことを男の表情が物語っていた。俺から見て斜め後方に抜けていった鉄球を見る男の顔にはニヤケ面が浮かび、明らかにミスをしたものの立ち振る舞いではない。何か狙いがあるのだろう。


だが、そんなことは俺には関係ない。すかさず両腕をふるい、風の斬撃を生み出して攻撃した。遠距離攻撃の方も黒いエネルギーによる強化を受けており、斬撃の大きさもスピードも増している。レベル2では威力不足で牽制に使うのが主だったこの技だが、今なら十分致命傷になってくれそうだ。


目の前に迫る巨大な風の刃。男に見えていないはずはないというのに、なぜか男は微動だにせずそれを待ち構えていた。


男に刃が至ろうかといった瞬間、なぜか男の左方から飛んできた鉄球が風の刃を横からかき消し、そのまままた男の右方へと飛んで行った。見れば、鉄球は木の影の中に飲み込まれるようにしてその姿を消していっている。そして、そのまま影から影へ鉄球は森の中を縦横無尽に飛び交い、ぶつかったものを無慈悲に破壊してはまた次の標的を求め飛び交う。どの影から出てくるかもわからず、次の動向を予測することもできない実に危険な破壊者だ。


驚いたな、こんなこともできるのか。


「ゲェハッハッハッハ! ボーとしてたら……こうだぜェ!?」


空中を飛び交う鉄球を眺めていた俺に男が叫ぶと、鉄球は突然俺の足元の影から勢いよく飛び出してきた。どうやら鉄球が飛び出す影は、術者の任意によって決められるものだったようだ。


俺の影から出てきたということは、ほぼゼロ距離である。当然今から回避することも適わないし、手で押さえたり、ましてや殴りつけるなどということも全て間に合わない。


直撃することだけが、俺に待ち構えている未来だった。


目の前が鉄球だけに覆われた視界の向こうで、男が笑っている。


「ガアッハッハッハッハハァ!! でェじょうぶ、ちょっと痛ェだけだァ……!?」


だが奴は、決定的な間違いを犯していた。俺が奴の攻撃を押し返したり、手で防いだり、かわしたりした行動の意味をはき違えていた。


俺がそれに痛みを感じるから、ダメージを受けるからそうしているのだと思い込んでいた。


もちろん実際は全く違う。俺はただ、今の自分がどんなことができるのか試していただけだ。


そして今、「直撃を受けてみたらどんな結果になるか」という実験も済んだ。


俺の体にぶつかり、勢いを失って真下へと落下する鉄球。その向こう側で、何の変化もなくその場に立ち続けている俺へ、男が身をのけぞらせ驚愕の視線を向けているのが見えた。


「おいィ、嘘だろォ……噓だろおォッッ!?」

「ジね」


もう実験は十分だ。あいつの役目は、あとは俺の糧となるだけ。


俺は動揺して声を上げている男へと、地面を蹴って一気に迫った。身にまとう黒い霧でで暗い視界の中、一瞬で目の前に迫った奴の喉元めがけ、強化された鉤爪を振るう。


「……ちっ」


だが、俺が爪を振るい終わったとき、男は自分の影に飲み込まれるようにして姿を消していた。どうやら奴の術は自らの体すらも影に飲み込ませ、移動することが可能なようだ。


いいなあれ、欲しい。


辺りを見回し、男の姿を探す。はるか後方から大声で叫ぶ奴の声が聞こえ、振り向いた。


「おら見ろォ! ……さっきとは逆だなァ!?」


男はオプールの首を掴み、俺に見せつけるようにして持ち上げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る