第3話:魔物襲来

「馬鹿な! 何だこの数は、森の最深部じゃないんだぞ!?」

「モタモタするな、陣形をとれ! 円になって馬車を背にしろ!」


外から聞こえてくる声や、開け放たれた幌の扉から少し見える様子から、結構とんでもない状況になっているということが伝わってきた。


確認できただけでも、大きなブタのような魔物やら緑色の小人のような魔物やら、鳥やら虫やら様々な魔物がいた。


初めは、あの男がガンガン音を出したせいで魔物が来たんじゃねえのかと思ったが、どうやら規格外の数が押し寄せてきているようだ。


そこでふと、最初に話をした女が言っていた言葉を思い出した。


『けしかけるからね。それをモノにできるかどうかは君次第』


「まさか……これが?」


思わず疑念が口から洩れる。しかし、もしそうだとしたらあの女は何者なんだ?


ますます謎が深まるばかりだが、とにかくこれはチャンスである。どさくさに紛れて、さっさとこの場所から脱出してしまおう。


まずはこの檻の破壊だ。先ほど感じた力を開放すれば、こんな檻あっという間だ。それほどの強大なエネルギーが湧きあがってくるのを、確かに感じた。


目を閉じ、意識を集中する。視覚を遮断すると、聴覚が敏感になって周囲の喧騒がやけに耳についた。


兵士たちが騒ぐ声、武器が衝突する音、魔物の鳴き声、人の悲鳴。それらすら遮断して、自分の心臓の音、さらにその奥の深いところまで意識を集中させた。


だが、そこにはもう何もなかった。さっき確かに存在したはずの荒れ狂う膨大なエネルギーは、嘘のようにその痕跡すら残さず消失していたのだ。


これは、どういうことだ? 不思議に思うと同時に、しまったと後悔する。


あのエネルギーが何なのかはよく分からないが、破れるうちに檻はさっさと破っておくべきだったのだ。外の状況はよく分からないが、人間が勝とうが魔物が勝とうが、この檻が破れなければ絶望的状況に変わりはない。


それからも何度か、あの未知のエネルギーへのアクセスを試みたが、結局力を感じることはできなかった。



しばらく経つと、辺りの喧騒がだんだん静まり返っていった。決着がついたのだろうか。


だが、幌の中からではどちらの陣営が勝利したのかを把握することはできない。ただじっと息をひそめて、事の成り行きを観察した。


突然、幌の中へと一人の男が飛び込んできた。俺を買った、ゴテゴテ服装のちょび髭親父だ。だが、今ではその面影が全く見られないほどに、服はボロボロに引き裂かれていた。体の各所に引っかかれたような傷を負って、涙や鼻水で顔はぐしゃぐしゃだ。


その姿を見た瞬間、俺はどちらの陣営が勝利したのかを悟った。


男は、俺たち二人の姿を確認すると叫んだ。


「おま、お前らぁ! 私のために戦えぇ! 私を守れえ!!」


見苦しく唾を飛ばしながら男はのたまう。そして、俺たちの檻の鍵を開け始めた。


何だそりゃ、誰がお前のためになんか戦うかよ。気でも触れたのか?


だが、鍵を開けてもらえるならラッキーだ。隙を見て逃げ出して……!?


開け放たれた檻から出て、その場を去ろうとする。だが、なぜか体は俺の物でなくなってしまったかのようにビタリと男の側から離れようとしてくれなかった。それどころか、男の前に立って、庇うように構えすらとってしまう。


「かしこまりました、ご主人様」


終いには、思っていもいないようなセリフすら勝手に口から出てくる始末だ。どうやらもう一人の方も同じようで、俺の隣に立っている犬耳少女の姿は、涙を流して震えながら男を庇っているという、あまりにもアンバランスな状態だった。


見ると、その首元にある模様のようなものが淡く光っている。そして、少女が抵抗しようとするとそれが強く光っているようであった。


なるほど。奴隷が反抗することの無いように刻まれた呪印といったところか。そりゃあ、そのぐらいの保険は打っておくわな。俺の考えが浅かった。


さて、この状況は絶望的だ。それには二つの理由がある。


一つは、檻から出れたとはいえこのおっさんから離れることはできず、体の自由が奪われているという点でむしろ悪化しているということ。


そしてもう一つは、このおっさんが俺たちの戦闘力を全くはき違えてしまっているという点だ。


「ひ、ひいいい! 出たあ!?」


幌を引きちぎり、魔物が押し寄せる。兵士たちも頑張って戦ったのか、そこまで数は多くない。それでも、大小様々な魔物がまだ十数体は生き残り、兵士たちの死体を踏みにじっていきり立っていた。


「ブオオオオオ!!!」

「ああっだめだああっ!!」


一番前に立っていた、身の丈がおっさんの2倍以上はあろうかという豚顔の魔物が咆哮する。ビビったおっさんは、あっさりと俺たちを置いて逃げ出そうとする。


しかしブタの魔物は、何の工夫もないただの腕の超大振りで、おっさんごとこちらを薙ぎ払いにかかった。


木の幹ほどに太い剛腕が、俺の目の前に迫る。動かない体で、それを呆然と眺めながら悟った。


あ、これは無理だわ。どうひっくり返ったって勝てねえわ。


衝撃とともに、体のあらゆる部分が軋み、折れる感覚。なぜだかゆっくりと、それらは俺の脳に伝わってきた。


殴られた勢いのままに俺の体は、馬車からは遠く離れた森の中まで吹き飛ばされた。


「ゲホっ、グホゲホ……オエエエッ! 痛ッッッてえ」


意識が飛ばなかったのは、幸いだったのか不幸だったのか。森の湿った土の上で、ひたすら痛みに悶える。食べた記憶もない胃の中にあったものが腹の中から飛び出していった。全く、ありがたみのかけらもない。


霞む視界の中、遠くの木と木の隙間に馬車が見え、かなり飛ばされてしまったことが分かった。この森の茂みや、柔らかい土の上に落ちたおかげで、何とか意識を保てているのかもしれない。


これだけ遠くまで飛ばされたのなら、奴らも俺を見失ったりしていないだろうか。このまま木陰に身を隠していればやり過ごせるかも。


そんな淡い望みは、近くから響いてきた断末魔によって水泡に帰した。


「止めてくれ! 俺は貴族だぞ、貴様ら、き……ギイヤアアアアアアアッッッッ!!!」

「ダメか……くそ」


奴らは見逃してはくれないらしい。俺は少しでも逃れようと地面に這いつくばりながら、聞こえて来た悲鳴とは逆方向に進んでいく。


痛い。地面に触れるところ、力の入るところ、折れているところ。それら節々のすべてが、俺に動くなと警鐘を告げてくるようだ。


だが、俺は立ち止まるわけにはいかないのだ。俺には、目的がある。こんな、こんなところで……!


ダンッと、俺の目の前に、緑色の肌と尖った爪が特徴的な足が踏み下ろされた。


「ギィイイイイ……!」

「……まじかー」


見上げれば、背丈の低いとても醜悪な顔の魔物が、尖った牙をむき出しにして俺の前に立ちふさがっていた。

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