25.名古屋城とテレビ塔

 昼食後は、地下鉄を東山線から名城線に乗り換えて、名古屋城へと行く。


 市役所駅から降りて汗をぬぐいながら歩くこと五分、五層五階、約五十五メートルの天守閣の前に二人は立った。


「あれが有名な金の鯱ですか?」

「そう、一八七三年にウィーン万博にも出品されたやつな」


 透一は優雅に波打って重なる緑青の銅瓦の屋根に雌雄の一対の金の鯱が映える白壁の本丸を見上げながら、サフィトゥリに説明した。

 戦時中の大空襲の中でも焼けることなく奇跡に残った名古屋城は現存する天守閣の中でももっとも巨大なもので、大名古屋の誇りとしてランドマークになっていた。


 観覧チケットを買って急な階段を上がって中に入れば、当時の姿そのままの石垣や太い梁が見える。


 サフィトゥリは格子窓がはめられた廊下を歩きながら、武士が鉄砲を撃つために設けられた壁の穴を興味深げに見ていた。


「日本は平和を好む国だと思っていましたが、こういう戦闘的なものを積極的に観光資源にするんですね」

「確かに良く考えてみると、物騒な場所だ」


 日本を外側から見るサフィトゥリの視点に、透一は視野が広がったような気がして頷いた。近代の戦争と違って人が人を殺すことを忌避せずに語ることができるから、日本人は戦国時代が好きなのかもしれないとも、透一は思った。


 ◆


 名古屋城を一通り見ると、二人は今度は名城線で久屋大通駅へと移動した。行先はスタンダードに名古屋テレビ塔だ。


 透一は歩道を歩きながら、軽く名古屋の街並みについて説明した。


「この公園は元々は中央分離帯で、幅が一〇〇メートルの道路の真ん中に当たるって大学の授業で先生が言っとった」

「ああ道理で。無駄に広いよくわからないスペースだなと思ってました」


 延々と均一に並ぶ南北約二キロメートルの久屋大通公園の植樹を眺めて、サフィトゥリは納得した様子で歩いて行く。


 名古屋は江戸時代に徳川家康が名古屋城を築城した際に正方形に区画された碁盤割の城下町が作られ、さらにまた大正時代からも区画整備が頻繁に行われていたため、整然と整った町並みを持っている。

 特に戦後に行われた戦災復興土地区画整理事業は大規模なもので、久屋大通と若宮大通にある一〇〇メートル道路は車社会の到来を予期して設けられ、緑地帯と防火帯を兼ねた形で存在している。


(まあ平たく言うと、幅一〇〇メートルはちょっと広すぎて持て余し気味ってことだよな)


 透一とサフィトゥリは、一〇〇メートルの長さを実感しながら公園をついでに散策した。

 真夏日であるので、木陰の涼しさはありがたかった。


 テレビ塔は久屋大通公園の敷地内にある鉄骨組の電波塔であり、二人が見上げると白銀の塗装を日光に煌めかせて立っていた。高さは一八〇メートルで、東京タワーや通天閣よりも古い。


 受付で七五〇円を払い、地上一〇〇メートルの展望台に上がる。すると眼下には、雄大に久屋大通が横切る名古屋の街並みが広がった。


「高層ビルが少ないわりに、碁盤割の街並みは結構綺麗じゃないかと思っとるんだけど、サフィトゥリはどう?」


 透一は、展望室のガラスから名古屋を見下ろすサフィトゥリの横顔の様子を伺った。透一は貧乏というわけではないが、生まれてこの方日本から一歩も出たことがなく、パスポートも持ってない。

 サフィトゥリのようないろんな場所を知っていそうな外国の人が、名古屋を見下ろして面白いかどうかはわからない。


「今日は天気が良いから、どこまででも見えて良いですね。例えばあっちの方には、何があるんですか」


 ありがたいことにサフィトゥリは、眺めそのものはともかく街の造りには興味を持ってくれた。


「あっちにあるのは平和公園だな。一九八八年に名古屋オリンピックのメイン会場になった場所だ。俺は三、四歳だったからよく覚えてないけど、それはもう盛り上がったらしい」


 透一は、手すりの下部に置かれた案内板を見ながら答えた。


 名古屋が単なる地方都市から世界都市へと変貌していったのは、名古屋オリンピックがきっかけだったということになっている。

 家の食卓ではまだ名古屋オリンピックのマスコットキャラクターが描かれた皿が使われているし、父親の寝間着のTシャツは未だにそのロゴの入ったものであるので、名古屋オリンピックは透一にとって記憶はなくとも身近なものであった。


「じゃあ透一さんのお家の方向は?」

「ええっと、刈谷は名古屋の東だから……」


 サフィトゥリの深い紫色の瞳が透一の瞳と同じ方向を向き、同じように名古屋の街を見る。


(こういうのを確か、フッサールは相互主観って呼んだんだっけ)


 透一は窓ガラスをサフィトゥリと覗き込みながら、どこかで知った現象学の話を思い出していた。


 自分の横にいて同じ方向を見ている他者が、自分と同じことを考えているとは限らない。

 しかし、その他者が自分と同じ景色を見ていることは確かである。

 その体験の共有による同一性の中に、疑うことのできない超越、つまりこの世界は確かに存在するのだという確証がある。透一はそんな話を、大学の図書館で借りた本で読んだおぼえがあった。


(俺がこの景色を見ているように、サフィトゥリもこの景色を見ている。だから確かに、この景色はここにある)


 透一は自分のすぐ横にあるサフィトゥリの頬に、触れたわけではないのに温もりを感じる。透一は今このサフィトゥリと同じ眺めを分け合う瞬間が、お互いに手を絡めて口づけし合ったときの次くらいに、貴重なものであるように感じていた。

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