10.実家暮らし

 二〇〇五年四月二十五日、月曜日、夕方。


 透一は大学からの帰宅途中、JR東海道線の急行の車両の中、吊り革を持って立っていた。


 四限の授業を受けた後であるため、車内はちょうど帰宅ラッシュで込み合っている。


(ゴールデン・ウィークは混むから、その次の週の五月九日、十日のあたりはどうかなっと……)


 携帯電話を手に、透一はサフィトゥリに一緒に大名古屋万博へ行く日の日程を決めるメールを打つ。

 別に明日また食堂で会えるのだが、それでも好きな女の子とメールをする時間というのは楽しかった。


(よし、いい感じだ)


 念入りに読み返して、送信ボタンを押す。


 携帯画面から顔を上げると、ちょうど電車は刈谷に着いたところだった。


 透一は駅で降りて、帰路につく。


 夕暮れの刈谷駅前は自動車関連の企業に勤めるサラリーマンの姿が多い。スーツ姿で毎日粛々と出勤しては退勤する彼らを見ていると、就職したらまた中学生や高校生のころみたいな生活に戻るんだろうなと思わせられる。


 人はいるのに妙に無機質なロータリーを通り過ぎて、透一は自宅のマンションへと急いだ。


 ◆


「ただいま」


 玄関を開けて靴を脱ぐ。


 鞄を自室に置いてお茶を飲みに台所へ行くと、エプロンをつけた母親が夕食を作っている。


「今日はバイトに行かないって、聞いてないんだけど」

「ごめん、言うの忘れとった」


 食材の配分の予定を崩されたせいか、母親は少し機嫌が悪かった。


「彼女とメールばっかりしとるから、忘れるんでしょ」


 母親から離れてリビングへ行くと、ソファに寝転がり携帯電話をいじっていた妹の明佳里が透一をからかう。

 明佳里はすでに高校の制服からパステルブルーのルームウェアに着替えていて、横目で透一を見てせせら笑っていた。ブスではないけれども、可愛げのない妹だった。


「なんで彼女がいるとか、そういう話になるんだよ」

「だって携帯見る回数増えて、妙に毎日にやにやしてんじゃん。彼女じゃなかったら、何なの?」


 サフィトゥリについて家族に何か話したことは一度もないので、透一は内心焦って言い返した。

 すると明佳里はせせら笑いを浮かべたまま考察を披露した。嫌なくらいに勘が冴えている妹だと、透一は思った。


「喧嘩してないで、もうご飯だからこっちに来なさい」


 母親は怒りっぽい調子で、透一と明佳里を呼んだ。


「はあい」


 明佳里は仕方が無さそうに返事をして、ソファから立ち上がった。


 透一の交際について明佳里が茶化すのを、母親が一切興味を示さないのは救いだった。


 まだ会社から帰宅していない父親を抜いた三人の家族で食卓を囲み、夕食を食べる。


 明佳里と母親がアイドルグル―プの噂話やテレビに映っているバラエティ番組の内容などについてずっとぺちゃくちゃと話しているので、透一が一切何も話さなくても食卓はにぎやかだった。


 夕食を終えた透一は、自室に戻った。明佳里と母親はテレビの前で二人、アイドル主演のトレンディ・ドラマを見ていた。


 透一の自室は小学生入学時に買ってもらった学習机、スチールラック、ホームセンターで買ったベッドで構成された統一感もインテリア性もない部屋だ。いつでも人を部屋に呼べるくらいには片付けているつもりだが、自分以外の人間がいて居心地がよい空間ではなさそうだとは思う。


「お、メールの返信来とる」


 透一は好きな邦楽ロックをMDラジカセでかけ、ベッドに腰掛け携帯の着信をチェックした。届いていたのは、サフィトゥリからの返信だ。


「十日なら空いてます。朝の九時半に北ゲートで待ち合わせでどうですか……」


 透一は声に出してメールの文面を読み上げた。極力メールの往復回数が少なくなるように書かれた文面が、好印象だけれども少し寂しい。


「十日の九時半だね。当日が楽しみ……、っと」


 文章が気持ち悪くなっていないか確認して、返事を送る。


 メールが終わると、透一は深緑と黄緑のマスコットキャラクターが表紙の万博の公式ガイドブックを広げて、デートのイメージトレーニングを始めた。


「目玉の企業パビリオンを午前中に一つか二つ行って、どこかの外国館で昼食。そのまま午後はすいとるパビリオンでゆっくりして、最後は観覧車かゴンドラって感じだな」


 透一は会場図を見ながらだいたいのプランを立てて、パビリオンの一覧に目を走らせた。しかし写真とキャッチコピーを見るだけでは、どのパビリオンもそうたいして変わらないように見えてしまう。


「そういえば直樹は、おばあさんと一回行ってみたって言っとったな。どのパビリオンがおすすめかとか聞いとこ」


 友人の直樹の家は二世帯住宅で、彼はおばあちゃん子である。来場済の人の意見を参考にしようと、透一は再び携帯電話を手にしてメールを打った。


 本当は明佳里がもうすでに学校行事で一度行っているのだが、妹を頼った結果からかわれるのはごめんだった。

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