5.彼女の視点Ⅰ

「じゃあ明日も、会いましょう」


 そう言って、サフィトゥリは都築透一に背を向け、万博の本部棟前の道を歩き出した。

 透一はケータイを片手に突っ立って、何かを言ってサフィトゥリを見送っていた。


 たまたま従業員食堂で向こうから話しかけてきたことがきっかけで連絡先を渡すことになった日本人の青年・透一は、彼の着ている没個性的な大量生産の服と似た、小奇麗だが特徴のな平均的な青年だ。透一はサフィトゥリになぜかすっかり惚れているらしいが、サフィトゥリはその想いを受け入れる気も拒絶する気もない。


 透一に対して好感を持ったわけでもないサフィトゥリが、彼の好意を無下にはせずその誘いに乗るのは、自分自身の隠した目的のためである。


(夜になると、少し冷えるかな)


 万博会場やリニモの駅から離れると、元々はただの田舎である長久手の夜は暗く静かだった。


 参加国のスタッフ向けの宿舎として使われている県営住宅に帰るため、サフィトゥリは人気のない歩道をバス乗り場に向かって進んだ。


 すると先ほど透一と赤外線通信したものとは別の携帯電話に、ちょうど「カルーセル」から連絡が入る。

 確認すると、以下のようなメッセージが入っていた。


『新展示は入場者が多くなってから。指示を待て』


 「新展示」というのは、「爆破テロ」の隠語だ。


 ドゥアジュタ国の外国館のアテンダントというのは表向きの話で、本当のところサフィトゥリは大名古屋万博で爆破テロを起こすために来日したテロリストである。


 「カルーセル」はサフィトゥリがテロリストとして所属している組織で、世界の反政府組織の複合企業体のようなものだと言われている。全貌はサフィトゥリも知らないし、もしかするとあまりにも大きな組織すぎて誰も全体像を掴んでいないのかもしれない。


 ただ一つはっきりしているのは、「カルーセル」には様々な主義主張の人びとが所属し、彼らは皆破壊と暴力とともに生きているということである。「カルーセル」に所属する者同士が敵対するケースも、ときにはあるようだ。


 「カルーセル」は多数のテロ事件を起こし、世界中の紛争に関わり続ける。しかし「カルーセル」が無くなれば血も流れなくなるという類のものではなく、おそらく「カルーセル」はただ元からある人びとの争いを円滑にするだけの存在なのだろう。


 サフィトゥリはこの「カルーセル」の計画に従い、大名古屋万博を爆破する。特殊な加工をしたC4爆弾を使用し、死者は百人単位になる予定である。


 別に日本や名古屋市に恨みがあるわけではない。貧困や暴力の犠牲者であるとか、世界を憎みたくなるような不幸な過去を持っているわけでもない。


 サフィトゥリは東南アジアで軍需産業を営む一族に生まれた母と、傭兵だった日本人の父との間に生まれ、南シナ海に浮かぶドゥアジュタ国の孤島で育てられた。

 その島にある裕福な母方の実家が所有する屋敷で、サフィトゥリは王女のように暮らしていた。だからサフィトゥリは、元々どちらかというと奪われる側というよりは奪う側に立つ人間だった。


 しかしサフィトゥリは自分が不幸ではなくとも、不幸な人びとの存在は認識していたし見てもいた。世界中で商売をする母親の実家の家業を通して、道端で飢えて死んだ人の死体も、無理やり銃を持たされる子供の姿も全て現実の一部として知った。


(私は彼らを可哀想だとか、助けるべきだとかは思わなかった。そういう感情を抱くことは、傲慢な気がしたから。だけどもしこの不均衡を壊す方法があるのなら、それを実行してはみたかった)


 サフィトゥリは正義と悪を区別して、何かを憎みたいわけではない。格差が間違いで、平等が人間本来の正しい姿だとは思わない。ただ愛とか平和とか綺麗なスローガンで包まれた勝利者たちの価値観の現実を、暴いてみたい気持ちだけが心にある。


 純粋に理想を追えるほどのロマンチストにはなれないのに、サフィトゥリはどうしてかテロ行為を立派にやってのけてみたかった。自分の行動がどんな結果を招くにしても、現状のこの世界を受け入れて粛々と従うのがどうしても嫌だった。


 テロを起こし、人を死なせ傷付けることは、もちろん許されないことである。しかしだからこそ、サフィトゥリはその犠牲に見合った価値について考えていた。


 バス停にたどり着いてしばらくすると、予定通りの時刻に路線バスが止まる。


 サフィトゥリはハンドバックのポケットから定期入れを手に取り、バスに乗り込んだ。


 ◆


 サフィトゥリが万博のスタッフとして借りている県営住宅は新築で、ショッピングセンターやコンビニが近いなかなか便利な場所にある。


 帰宅してドアを開ければ、カーペット敷きの真新しい部屋がサフィトゥリを待つ。元々は畳の部屋なのだが、利用者には畳に不慣れな外国人が多いためカーペットを敷設しているらしい。

 部屋には冷蔵庫や洗濯機などの家電や、レンタルのダイニングテーブルなどの生活に必要なものがすっきりと置かれている。


(さてと、今日は夕ご飯をうどんだけにしておいて、デザートを買ってみたけどどうかな)


 サフィトゥリは通り道のコンビニで買ったプリンと菓子パンの入ったビニール袋を、テーブルの上に置いた。


 テレビをつけると、ちょうど芸人たちによるお笑い番組が放送されていた。


 洗面所で手を洗ってから戻ったサフィトゥリは、いそいそと椅子に座り、さっそくプリンをビニール袋から取り出した。


 容器からフィルムを剥すと、作りものみたいに綺麗な真っ黄色のプリンがつやつやと姿を現す。サフィトゥリはコンビニでもらったプラスチックのスプーンでその黄色をすくい、口に入れた。


(この安っぽさと美味しさの両立は、さすが日本って感じがする)


 脆く甘く溶けていくかすかな弾力を、サフィトゥリはゆっくりと時間をかけて楽しむ。


 これまでにもっと高級なプティングを食べる機会があったが、日本のプリンはまた違う良さがあり好きだった。


 プリンを食べ終えると、サフィトゥリは次は菓子パンの袋を開けた。


 入っているのは「メロンパン」と呼ばれる、砂糖をまぶしたビスケット生地に覆われた丸いパンである。砂糖が溶けて表面がベタつき、中のパン生地もややぱさついているのだが、その点も含めてさっくりしたビスケット生地の甘さが引き立ち美味しかった。


 ぺろりと食べ終えると、テーブルの上にはプリンの容器とプラスチックのスプーン、メロンパンの空き袋が残される。


(こういうエコロジーじゃない食べ物って、だいたい美味しいから困るね)


 サフィトゥリはゴミをまとめてゴミ箱に捨てて、ペットボトルのお茶を飲んだ。自然志向の万博のテーマを無視してあえてゴミの出るものを買うのは、それはそれで気持ちが良い。


 今回が初めての日本なので、サフィトゥリはなるべく日本、そして名古屋のことをよく知る努力をしていた。その土地のことをよく知ったうえで爆破するのが、テロ行為の礼儀だと思っているからだ。


 ◆


 初めて愛知県を訪れた、今年の三月の上旬。


 サフィトゥリがまず降り立ったのは、大名古屋万博にあわせて開港した中部国際空港だった。


 天気の良い日のフライトだったということもあるが、中部国際空港のある常滑の海は青く澄んでいて綺麗に見えた。新しい空港は清潔で飛行機の離着陸を眺めることができる展望風呂もあり、搭乗者ではない地元住民も訪れているのかレストラン街も活気があった。


 そこから名鉄のミュースカイに乗り、名古屋へ行く。


 大名古屋と呼ばれるその世界都市は、JRセントラルタワーズを皮切りに、次から次へと新しい建物が立っている真っ最中だった。地上だけではなく地下の開発も盛んで、世界一の地下街を持つモントリオールに迫る勢いで、名古屋の地下街は拡張しているそうだ。


 海外ブランドで派手に着飾った名古屋嬢がカフェでロールケーキを食べ、高級スーツを着たサラリーマンがオフィスビル街を闊歩する。

 チャールストンが流れ始めそうなほどに、大名古屋は富み栄えていた。それはまるでこの土地だけに、バブルと呼ばれた時代の日本が残っているようだった。


 しかし名古屋はまったく軽薄で浮ついた街というわけではなく、どこか地に足が着いた、堅実なところがあった。余所者が少なく、その土地で生まれ育った者によって構成された街であるため、見栄や外聞よりも身の丈に合った生活が優先されがちなのかもしれない。


 実際、今日出会った万博会場のアルバイトの青年の都築透一も、それなりにお洒落なモノトーンのファッションに身を包みながらも、やはりどこかあか抜けない泥臭さがあった。名古屋や愛知県に住む人々らしい、素直に県内だけで生き続ける従順さを、透一は持ち続けているようだった。


(彼とこのまま付き合いを深めてこの土地のことをより知れば、さらに良い形で万博を爆破することができるはず)


 サフィトゥリは透一と出会って恋に落ちたわけではないし、これから先彼に恋愛感情を抱くことはないと確信している。それでも透一に付き合うことを決めたのは、自分がテロをする対象への理解を深めたかったからだ。


 大名古屋万博はまだ、様子見されているのか来訪者は少なめである。


 閑古鳥が鳴いているときにテロをしても盛り上がらないので、サフィトゥリはカルーセルの指示に従い実行のときを待っていた。

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