幸運は気まぐれ(二)

 青田もまた自ら鯖缶の何かしらを取り分けて、箸の先で崩れやすいその身を崩していった。

「俺としては、出版社、というか編集という仕事ですね。今まで作家と協力して一冊の本を作り出すものだと。我が儘な作家をなだめすかして何とか形にしていく事が編集の仕事かと考えていましたが、最近はどうも違うようですね。編集の仕事とはちまたから見込みのありそうな作品を選ぶだけ」

「お前の理解の仕方は極端だよ。それに編集のイメージが妙に古い」

 志藤が辛うじて反論した。そして青田は当たり前に止まらなかった。

「出版社も随分悪辣な真似を行っているらしい。何かしら賞を与える。そうやって作家を呼び出したあとに『印税については印刷費に回すと言うことで』と事後通達。自分の作品が世に出るとなったら選ばれた作家は反故にすることも出来ないでしょう。そうやって出版社は作品だけをかすめ取る――まともな倫理観の持ち主が出来る事では無いですよ」

 志藤としては缶ビールを傾け「よく調べてやがる」と胸中で感心しながら黙り込むしかなかった。実際にそんな「やり口」については志藤も聞いたことがある。あるがしかし、そこをあげつらっても「小説家」と身を立てている現在、志藤はどうしようも無いのだ。

 だからせめて話を逸らさなければ、と志藤は微妙にずれた賛意を示す。

「そういう出版社と作家の関係が歪だと? つまり強弱関係というか主従関係がまともな状態では無いと言うことか?」

「そうなりますね」

「……と言うことは永瀬さんもその被害者だと? 永瀬さんはそういった作家……志望者なのだからさらに関係性の歪さが強まるな。そういう関係性が先に形成されているからこそ永瀬さんは加害者として、作家志望者を的にかけるような事をしてしまった、と?」

 志藤がそう言うと青田は黙り込んでしまった。志藤も理解している。自分が「小説家」であるからこそ「青田」にしては強引な理屈を積み上げてしまったのだろうと言うことに。

 だがそれを指摘しても、この後輩は決してそれを認めない。だからこそ強引に話を変えた。

「その永瀬さんな。結局ずっと黙秘してるようだが」

「俺もそう聞いてます。付いた弁護士の戦略でしょうね」

 青田も自らの「行き過ぎ」に気付いていたのだろう。すぐに志藤の話に乗ってきた。

「やはり、立証は難しいか?」

 箸の上にバランス良く鯖缶の何かしらを載せることに苦心しながら、志藤がそう尋ねてみると青田は腕を組む。

「難しいでしょうね。俺は正直、起訴も危ないと考えていましたから。『秘密の暴露』は確かにありましたが、それを引っ張り出したのは……」

 腕を組んだままの青田は斜め上を見遣る。

「……おとり捜査でもないですし、さて?」

「その辺りの不備が予想されたから、お前はあれだけのことをしたんだな。永瀬さんの心を折るために」

 今まで、それを確認してこなかったのは何故なのか? あまりも明白だったからか。それとも他の理由が青田の口から紡がれることが怖かったのか。志藤は「俯瞰」出来ない自分に気付いていた。

「今更ですか? そうですよ。他に無いでしょう? 永瀬さんの心に疑心を植え付けておかないと被害は拡大する一方ですから」

「疑心? 誰に対しての?」

 吸い込まれるように志藤が問い掛ける。

「永瀬さん自身にですよ。結局どこまで『運』が強かったのか測れませんでしたからね。ですが俺が思うに永瀬さんが本当に恐ろしい部分とは『運』では無くて、それほどに自分の『運』の強さを信じ切った……やはりあれは狂信と呼ぶべきなんでしょね」

「だからこそ、そこに傷を入れることにしたわけか……被害者は三人なのかな?」

「さて、その辺りは。余罪の追及も難しそうですし。ただ名前が出たのがあのお二方のお名前だけでしたし。他に被害に遭われた方はいないと祈るしかなさそうです」

「祈る……そうだな」

 対象がはっきりしなくても、祈ることは出来るのだろう。実際、志藤も自分の心の内を「俯瞰」してみれば、やはり「祈る」と表現するのが適切な心持ちであるように思えた。そしてそれは被害者についてだけでは無く……

「青田。今回の件、報酬が無かったようだが」

「ありますよ。まさか印税を反故にするつもりなのですか?」

「そうじゃなくてだな。いや、本当に出版できて印税を貰えるならお前にも回すし――」

「業が深い」

 話が出版社批判に戻りそうになっている事を察した志藤は慌てて続ける。

「――つまり、今回はあまりにお前の苦労が大きすぎた気がするんだよ。巡らせた策は今まで以上だし、身体も張った。それなのに実入りが少ないというか……あちこちの警察にコネが出来るような気はしていたが……」

 それを聞いた青田が本当に、ポン、と手を打った。

「そうですね。その可能性には気付いていませんでした。虎谷さんに尽力願いましょう」

 いらぬ事を気付かせてしまった、と志藤は歯がみしながら話を先に進めた。

「つまり今回は、どういう理由があってここまでやったのか? っていう点がどうにも引っかかってな」

 青田はその志藤の言葉を聞いて、目を爛々と光らせた。

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