あかねさす(二)

 完全平屋だが、木造であるのかどうか。そもそも志藤は青田の家の全貌を知らない。玄関、居間――贅沢なことに縁側付き――それとトイレ。それぐらいしか記憶に無い。風呂も何度か借りたな、とは思い出せるが家の中でどういう場所にあったのか間取りがはっきりとわからない。こうなるとしっかり寝室に案内されていた奈知子の方が詳しいだろう。志藤が泊めて貰うときには居間に布団が敷かれることになるし、実際それで十分でもあった。

 今回も玄関でスニーカーを脱ぐと、志藤はそのまま居間に通される。つまり青田に先導されるという形になったわけだが、そうとなれば志藤としてはこう言うしかない。

「青田。散髪行けよ」

「なかなか時間が無くてですね」

「毎日忘れてるだけだろ」

 そこで青田は黙り込んだ。青田は志藤より十センチ以上、上背があるわけだが完全に志藤に懐にはいられた形だ。廊下の唸るような音だけがやたらに響く。この辺りの二人の関係性は学生時代に培われたもので、なかなかぬぐい去れるものでは無い。また、ぬぐい去る必要も無いのであろう。何しろ居間に通されてすぐに志藤が目にした物は奇妙極まりない物だったからだ。

「……あれは何だ?」

 志藤は居間に出現した奇妙な物体を指差しながら青田に尋ねる。いや「奇妙な物体」という説明は適切では無い。どんな物体であるのかは説明出来るのだ。古式ゆかしい書見台の上にタブレットが乗っている。説明するならそういうことになるのだが、なぜそんな事をしているのかが、さっぱり見えない――いやタブレットを閲覧していたのだろう。

 しかし全体的な印象としては「奇妙な物体」と言う以外に言い様が無い。

「これはアイデアだと思うんですよ。こういう状態であれば自然と姿勢もよくなりますし、軍師たる勉学を修めるにあたって実にそれらしい形になるかと」

 青田は「形」にかなりこだわる男だ。今回も志藤に尋ねられたのをきっかけに朗々と説明を開始する。

「やはりこうやって形を整えることは重要なことだと。厭魅えんみいやこの場合は厭勝あっしょうの方が適切かも知れませんが形を作ってしまえば実体が伴う――やはり一種の『しゅ』ですね」

 後半は何とか志藤にも理解は出来たが、その前の「えんみ」とか「あっしょう」はまず漢字変換が出来ない。というか漢字で書けると思ってしまったのは予断かも知れないと志藤はしばし瞑目した。青田とはこういう男で、どうかすると小説家である志藤を上回る妙な知識を振りかざすのである。もとより適切かどうかなどと判断出来るはずが無い。

 以前は「風度ふうど」などという聞き慣れない言葉を青田が使うものだから、散々に話がおかしな方向に迷い込んだりした過去もある。

 つまり青田に対しては先輩風を吹かせることが出来るぐらいの関係性が必要というわけだ。

 最近、青田が標榜している「日本の食客」という言葉もそれほど小難しい言葉では無い。しかし、それを堂々と言ってしまう辺り、思わず志藤が悄然となってしまうのも仕方が無い所だろう。有り体に言えば青田は「ヒモ」のようにはも見えるが、実際、食客のように「生活全般面倒を見よう」なんてお大尽と繋がっている可能性は高い。何しろ、そういった人間関係を築くこともまた「軍師にとって重要」なのであるから。

 十畳ほどの居間の中央にはそういった書見台の他に志藤が何度もお相伴にあずかった木目調のテーブルが一台。その四方には座布団が配されているが、志藤は縁側に向かって歩いて行き板の間に腰を下ろした。そこがこの家での志藤の指定席であるという以上に、緑の薫る内庭の光景に志藤が心を惹かれた事が理由だろう。雨上がり、と言える程さっぱりした雰囲気では無いが、これから話す「不自然な死」には似合いの光景だと――志藤はそんな風に思えたのだ。

「おっと、お茶がいるんでしたね。麦茶でいいですか?」

「お茶はいらないが、代わりにこれ」

 台所に向かうであろう青田に、志藤はトートバッグからタッパーを取り出した。

「奈知子からな。煮浸しだと。ナスの」

「それは有り難い」

 青田は嬉々としてそれを受け取って居間から消えた。そんな姿が見えない青田に向けて志藤は言葉を投げる。

「――独り占めしようとか考えるなよ。分ければ済む話なんだから」

「…………」

「家の中まで戦争状態に持ち込むなよ」

 結局、青田はまたも黙り込んで次に「泉州水ナスによる煮浸し」の旨さを語り始めた。そのまま志藤家に是非とも味わって貰いたい。手配は自分がするから、いっその事現地に赴きましょう、と「食客」ライフ満喫計画を披露し始めた。それに志藤は適当に付き合いながら――水ナスの煮浸しに心惹かれている部分も確かにあったことも手伝い――それでも二人はゆっくりと形を整えてゆく。

 志藤は変わらず縁側で背を丸め、その視線は青田には向けられず内庭へ。

 そして青田は書見台の前で正座し、スッと背筋を伸ばした。視線は心持ち伏せた状態で。

「では」

「ああ。まずは『不自然な死』についてから説明するとしよう」


 ――やはり曇天は晴れない。 

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