蹲る闇(一)

 永瀬との「打ち合わせ」から三日後――

 志藤は待ち合わせ場所である松戸駅前のファミレスを訪れていた。時刻は午後一時五十分。二時が約束の時刻であるから、ちょうど良くたどり着けたようだ。そもそも、この付近には志藤もよく訪れている。土地勘があると言っても良いのかも知れない。

 気候は暑さがぶり返してきた様で、今日はレタードポロシャツという自分の格好が丁度いいらしいな、と店内をザッと見回した志藤は一息ついた。少なくとも悪目立ちはしないだろう。席に案内されるとそのままドリンクバーを注文し、アイスコーヒーを用意して頭の中を整理する。

 とにかく――

 この調査が実を結ぶかどうか。それよりも自分が永瀬に告げられた「不自然な死」にこれほど拘る理由を俯瞰できるようになるまで小さくまとめておかなければならない、と志藤は改めて思考の意義を確認した。

 まず快談社に見切りをつけられていることは、もはや決定事項と考えた方が精神衛生上でも有意義だと志藤は考える。そもそも志藤と快談社に縁があったのは、それこそ「青田もの」を快談社から上梓させて貰った事が始まりだ。出来上がったときに持ち込むべきレーベルはやはりライトノベルになるだろうな、と志藤は判断し快談社に持ち込んだ。

 当時、快談社はライトノベル用の新たなレーベルを立ち上げたばかりで、それに志藤が狙いを付けた形だ。そしてその狙いは見事に的中した。出版にまで至った事はもちろん、文化祭や演劇に使わせて貰って構わないか? という問い合わせまであったのだから。もちろんそれに併せて重版も。しかし続刊というのは難しい話であったので、やがて快談社のレーベルの中心は「異世界もの」であり「タイトルが長い作品」が主流となっていったのである。それが世の流れかと怨嗟の声を上げるべきか、流れを生み出せなかった自分自身の力量不足を嘆くべきか。

 とにかく現在の快談社にとって、志藤は扱いづらい作家になってしまったことは間違いない。それならそれで諦めてしまうこともできるし、覚悟も決まっていたと強がることも出来る。

 しかし、ここに来て「青田」の再登場を要求されてしまった。これがどうにも志藤の心の内をざわめかせる。

 まず快談社に持ち込んだ原稿の半分、いや三分の二は妻である奈知子が書いたものであることが、考えるまでもなく原因の一つだろう。

 もちろん盗作では無いと自負できるし、全体の構成、書式を整え、そしてミステリー風に仕上げたのは間違いなく志藤である。バラバラであった奈知子の文章を再構成して、残りの三分の一で全てまとめたのは間違いなく志藤であるのだ。

 この点については奈知子は元より青田もそれを認めている。志藤が手を加えなければ「小説」にはならなかった。何しろ奈知子の書いていたものには「終わり」が無かったのであるから。

 だから問題はその点では無く……自分と奈知子の馴れ初めに青田が深く絡んでいることが問題なのだろう。

 志藤の容姿では俄かには信じられない事ではあるが、付き合いの始まりは奈知子が志藤に好意を抱いたことから始まっている。そして青田は、そんな奈知子を後押し――いや罠に嵌めて志藤に告白させた。そんな経緯がある。それなのに今では志藤の方が奈知子にすっかり惚れ込んでしまっている状態だ。

 それとなく志藤が奈知子に自分の何処が良かったのか? と理由を尋ねてみると、奈知子は物語を作るという楽しみを示してくれた夫に深く感謝しており、まずそれが発端らしい。となるとだ――

 その夫よりも安定して文筆業で稼ぎを生みだしている現状を奈知子はどう考えているのか? どうしても自分の心が折れ曲がっていくような錯覚を志藤は抱いてしまう。最近、心の内だけではあるがやたらに奈知子への感謝を「言葉」の形にしてしまうのは、むしろそうやって自分のちっぽけな自尊心を満足させるためなのではないか? 糟糠の妻への感謝の心を忘れない、そんな度量の大きな夫であると主張するため……そんな風に俯瞰することを志藤は止められない。

 またはじまりが青田に原因があるとするなら、自分に見切りをつけた奈知子が改めて青田に心を寄せるのではないか? そんな事まで志藤は想像してしまう。

 であるならば、この機会に……しかし、いったいどうすれば自分は心を落ち着けることが出来るのか。それがどうしても俯瞰できない。

 俯瞰できないがしかし、このまま青田に頼りっぱなしでは立つ瀬が無い。それだけは確実な話だ。さらには「不自然な死」に何とか格好を付けることが出来たのならば、収入の面でも取りあえず格好は付く……はずだ。何よりこの話は編集から振られた話でもあるし、出版へのハードルは幾分かは低いはず。

 やはり結論としては「不自然な死」について調査することは、決して無駄にはならない、ということになるだろうと志藤は俯瞰した。

 いや、それ以外に心の持って行きようが無い。それこそ、あの居酒屋ですでに俯瞰していた地点に、再び志藤は戻って来てしまうのだから。

「志藤、何だお前随分暗いな」

 そんな志藤に、頭上から声が掛けられる。

 もちろん声の主は待ち合わせの相手、虎谷とらやだった。


※カクヨムだけの追記

今回、志藤がゴチャゴチャ言っている妻との馴れ初めはこちらにあげている「副会長を射止めたのは誰だ?」の顛末になっております。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る